警察庁指定117号事件(埼玉東京連続幼女殺人事件) 宮崎勤

事件当時年齢:26歳

犯行日時:1988年8月〜89年6月

罪状:殺人、誘拐、死体損壊、死体遺棄、わいせつ目的誘拐、強制わいせつ

事件名:警察庁指定117号事件(埼玉東京連続幼女殺人事件)
宮崎勤 死刑囚事件概要:無職宮崎勤被告は1988年8月から1989年6月にかけて、当時4歳から7歳の幼女4人を誘拐。全員を殺害して、遺体を山林などに捨てた。また、1989年7月には東京都八王子市で当時6歳の女児を連れ歩き、裸にした。「警察庁指定117号事件」の概要は以下。
●1988年8月22日夕方、入間市内を歩いていた幼女(当時4)に声をかけ、八王子市内の山林に連れ出したが泣き出したので絞殺。遺体をビデオに撮った後、衣服を持ち帰る。1989年2月、自宅裏庭で骨などを砕いて焼いた後、2月6日、幼女の骨片や歯などが入ったダンボールを、幼女の家の玄関に置いた。
●1988年10月3日、飯能市の小学校付近で遊んでいた幼女(当時7)を誘拐し、車で五日市町の山林に連れ去り殺害。
●1988年12月9日、川越市の自宅団地のそばで遊んでいた幼女(当時4)を誘い出し、殺害。近くの山林に遺体を捨てた。
●1989年2月10日、朝日新聞社宛に、誘拐、殺害の詳細を綴った「今田勇子」名義の手紙を送った。
●1989年6月6日、東京都江東区の公園で遊んでいた幼女(当時5)を誘拐して悪戯、殺害。遺体を自宅に持ち帰り、ビデオ撮影。二日目には遺体を切断し飯能市の霊園などに捨てた。
●1989年7月23日午後、八王子市で遊んでいた幼女(当時6)に声をかけて車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、裸にしてビデオを撮ろうとしたところ、尾行していた幼女の父親に捕まった。

拘置先:東京拘置所

死刑執行:2008年6月17日 45歳没
 宮崎死刑囚の弁護人は、再度の精神鑑定と刑の執行停止を求める書面を5月末に法務省に提出していたが、鳩山法相は「再審が必要だという具体的な理由が主張されているわけでもなく、裁判でも完全な責任能力が認められている。慎重に調べて執行した」と説明した。
 宮崎死刑囚の弁護人は再審請求について宮崎死刑囚から依頼を受け、2008年2月ごろから準備を進めていた。宮崎死刑囚は東京拘置所で精神科の治療を受けていたといい、専門家に意見書の執筆も依頼していた。