リクルート事件(政治家汚職事件)

■経緯:昭和63年6月18日朝日新聞が「川崎市助役へ一億円利益供与疑惑」をスクープ報道した。これによって、リクルート疑獄事件が始まる。リクルート社はグループ企業であるリクルート・コスモス社の値上がり確実な未公開株を店頭公開前に譲渡することで実質の利益を供与するものであった。

翌7月には自民党の中曽根康弘、竹下登、宮沢喜一など大物政治家にコスモ株がばら撒かれていたことが発覚する。
9月5日、この疑獄事件追求の急先鋒であった社民連の楢崎弥之助代議士にコスモス社の松原弘社長室長(当時)が500万円を持参し「国会での追及を中止してほしい」と申し出る。この一連のやり取りは楢崎が隠し撮りをしており、日本テレビで大々的に報道された。

リクルート事件大物の逃げ切り

リクルートの江副浩正会長(当時)は、急成長する自社に政治的・財界的に地位を高めようと、有力政治家・官僚・通信関連でNTTの3つをターゲットに未公開株をばら撒く。政治家の大口としては中曽根康弘が29000株、竹下登・宮沢喜一・渡辺美智雄・加藤紘一らが10000株前後、官僚では高石邦男文部次官・加藤孝労働次官、民間ではNTTの真藤会長・長谷川寿彦取締役ら100人前後に渡った。

10月30日の店頭公開では一株3000円に対して初値5270円が付いた。中曽根の場合で言えば、労せず1日で6583万円の利益になる。
翌年の平成元年2月13日、リクルートの江副会長、NTTの真藤会長とその秘書らが逮捕。3月8日加藤労働次官、同月28日高石文部次官がそれぞれ贈収賄で逮捕された。竹下登は一連の責任を取り首相辞任を表明した。
だが、政治家は自民党の藤波孝生議員、公明党の池田克也議員が在宅起訴されただけで、中曽根や竹下をはじめ大物政治家はついに逃げ切った。
リクルート創業者江副浩正1936年6月12日大阪市天王寺区に生まれる。東京大学卒。在学中の大学新聞の広告営業を発展させ就職情報会社リクルートを創立。情報をお金に変えるビジネスの天才と呼ばれるが平成元年、政界上層部と高級官僚を巻き込んだ未公開株の譲渡事件、いわゆるリクルート事件で逮捕・起訴され表舞台から消え去る。その後、平成4年に所有していたリクルートの923万8000株をダイエーに譲渡。

リクルート事件とは?

リクルート事件は、値上がり確実であったリクルートコスモス(現 コスモスイニシア)社の未公開株を賄賂として受け取ったとして、政治家や官僚らが次々に逮捕された日本の汚職事件である。

リクルート事件:概要

1988年(昭和63年)6月18日、朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』をスクープ報道し、その後、リクルートにより関連会社リクルート・コスモス(現 コスモスイニシア)社未公開株が、中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家に、店頭公開前に譲渡していたことが相次いで発覚する。90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、森喜朗は約1億円の売却益を得ていた。時の大蔵大臣である宮澤は税制特別委員会で「秘書が自分の名前を利用した」と釈明した。
東京地検特捜部は、1989年、政界・文部省・労働省・NTTの4ルートで江副浩正リクルート社元会長ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人を起訴、全員の有罪が確定した。だが、政治家は自民党では藤波議員ただ一人、そして公明党の池田克也議員が在宅起訴されただけで、中曽根や竹下をはじめ大物政治家は誰一人立件されなかった。

リクルート事件の経緯

・1984年12月〜1985年4月:江副浩正リクルート社会長、自社の政治的財界的地位を高めようと、有力政治家・官僚・通信の3分野をターゲットに未公開株を相次いで譲渡(1984年12月20〜31日39人、1985年2月15日金融機関26社、4月25日37社、1個人)。
・1985年:10月30日 コスモス株店頭公開、上記譲渡者の売却益は合計約6億円といわれた。
・1986年6月:藤波孝生元官房長官ら政財界へのコスモス株譲渡。
・1988年6月18日:川崎駅前再開発を巡り、小松秀煕川崎市助役へのコスモス株譲渡を、朝日新聞がスクープ。当時再開発が行われていた明治製糖工場跡地の再開発事業(かわさきテクノピア)に関して便宜を図った(具体的には本来容積率が500%のところを800%に引き上げて高層建築を可能とした)とされる。
・7月:マスコミ各社の後追い報道により、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮沢喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長ら、自民党派閥領袖クラスに、軒並みコスモス株が譲渡されていたことが発覚。
・7月6日:森田康日本経済新聞社社長が、1984年12月に受けた未公開株譲渡で8,000万円の売却益を得た事が発覚、社長辞任。
・7月26日:江副会長、「抑うつ症状」で半蔵門病院に入院。
・9月3日:松原弘リクルートコスモス社長室長が、国会で未公開株譲渡問題を追及していた楢崎弥之助社民連衆議院議員に対し、手心を加えるよう贈賄を申込み。しかし、9月5日、楢崎らによって隠し撮りされた模様が、日本テレビ『NNNニュースプラス1』で全国放送される。
・10月19日:東京地検特捜部、リクルート本社、コスモス社、松原自宅を家宅捜索。
・10月26日:東京地検特捜部、東洋信託銀行証券代行部を家宅捜索。コスモス社の株主名簿等を押収。
・10月29日 藤波元官房長官、真藤恒NTT会長、高石邦男前文部事務次官、加藤孝前労働事務次官へのコスモス株譲渡が発覚。
・11月10日:東京地検、捜査開始宣言。松原を贈賄申込罪で起訴。
・11月15日:江副、衆議院リクルート問題調査特別委員会に、コスモス株譲渡者全リスト提出。
・11月21日:衆議院リクルート問題調査特別委員会、江副、高石前文部次官、加藤前労働次官を証人喚問。
・12月9日:宮沢蔵相が辞任。
・12月12日:真藤NTT会長が辞任。
・12月26日:竹下首相、内閣改造を実施。
・12月30日:長谷川峻法務大臣、リクルートからの献金が発覚し、辞任。
・1989年:1月24日 原田憲経済企画庁長官、リクルートがパーティー券を購入した事実が発覚し、辞任。
・2月12日:参議院福岡選挙区補欠選挙、社会党新人渕上貞雄が自民党候補に圧勝。
・2月13日:検察首脳会議開催。同日、東京地検特捜部、江副前会長・小林宏ファーストファイナンス前副社長・式場英及び長谷川寿彦NTT元取締役をNTT法違反(贈収賄)容疑で逮捕。
・2月21日:鹿野茂元労働省課長(ノンキャリアで加藤の側近)を贈収賄容疑で逮捕。
・3月6日:真藤前会長をNTT法違反(贈収賄)で逮捕。
・3月8日:加藤前次官、辰已雅朗リクルート社元社長室長を贈収賄容疑で逮捕。
・3月28日:高石前次官を贈収賄容疑で逮捕。同日、真藤前会長、加藤前次官らを起訴。
・4月25日:竹下、記者会見で首相退陣表明。
・4月26日:青木伊平元竹下登在東京秘書が自殺。
・5月15日:検察首脳会議開催。
・5月22日:東京地検特捜部、藤波元長官と池田克也元衆議院議員を受託収賄罪で在宅起訴。
・5月25日:衆議院リクルート問題調査特別委員会、中曽根前首相を証人喚問。
・5月29日:東京地検特捜部、宮沢前蔵相秘書を含む議員秘書4人を、政治資金規正法違反で略式起訴。同日捜査終結宣言。
・6月3日:竹下内閣総辞職。

■リクルート事件:判決内容
・藤波元長官は、1989年12月、東京地裁で初公判が開始。1994年9月、東京地裁は藤波被告に無罪判決、検察側控訴。1997年3月、藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告。1999年6月、最高裁が藤波被告側の上告を棄却・有罪確定。2007年10月死去。
・池田元議員は、1994年12月、東京地裁にて有罪判決・確定。
・江副元会長は、2003年3月、東京地裁にて、懲役3年執行猶予5年の有罪判決(確定)

リクルート事件の影響

これまでの疑獄事件と異なり、未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄く、検察当局は大物政治家の立件ができなかった。しかし、ニューリーダー及びネオ・ニューリーダーと呼ばれる大物政治家が軒並み関わった事で、“リクルート・パージ”と呼ばれる謹慎を余儀なくされ、政界の世代交代を促した(この事件が無かったら、党内事情からいって、安倍晋太郎が次期首相になった公算が大きいという意見もある)。また、事件以降「政治改革」が1990年代前半の最も重要な政治テーマとなり、小選挙区比例代表並立制を柱とする選挙制度改革・政党助成金制度・閣僚の資産公開の妻子への拡大等が導入されることになった。
また、1989年7月の第15回参議院議員通常選挙にて、自民党は惨敗・改選議員過半数割れとなった(自民党にとって、リクルート事件、消費税導入、牛肉・オレンジの農産物自由化が“逆風3点セット”と言われ、宇野宗佑首相の女性スキャンダルも支持を減らす大きな要因と言われた)。2008年現在に至るまで、自由民主党は参院選後における参議院単独過半数を回復していない。

リクルートとリクルートコスモス(現コスモスイニシア)はこの事件でイメージが悪化、これにバブル崩壊が追い討ちをかけ、リクルートはダイエーに身売りされ、江副浩正はリクルートを追われることとなった。