第26航空戦隊司令官 有馬正文

最初の体当たり作戦の発動はレイテ沖海戦
特攻、第1号は台湾沖航空戦のさなか昭和19年10月15日に、一式陸攻で敵空母に体当たりをした第26航空戦隊司令官有馬正文少将である。

これは捷1号作戦での特攻隊より10日も早い体当たり攻撃であった。また体当たり自体も日中戦争の時から、作戦中被弾して帰還できないとなったとき、個人の判断で行われていた。
では組織的な特攻はというと、これは前述の通り、フィリピンマバラカット基地において編成された。各隊の呼称は本居宣長の「敷島の 大和心を人間はば 朝日に匂ふ 山桜花」から引用し、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊。零戦13機で構成され、ここに初めて神風(しんぷう)特別攻撃隊という名前が誕生した。有名な敷島隊は、関行男隊長(23)をはじめ、谷暢夫(20)中野盤雄(19)永峰肇(19)大黒繁男(20)の5人で構成されていた。

最初の体当たりは敷島隊より4日早く10月21日に大和隊が行っている。だが米軍に被害の記録はない。いっぽうの敷島隊は、10月21日〜24日に敵機動部隊を求めて出撃するも発見できず、4回出撃して4回帰投。そして昭和19年10月25日午前7時25分、マバラカット基地を直掩機4機と共に出撃した零戦5機からなる敷島隊は午前10時40分にスルアン沖に機動部隊を発見した。

この機動部隊は直前の日本艦隊との戦いで傷ついており、その疲れが幸いし敷島隊の特攻は見事に成功する。まず護衛空母「セントロー」を轟沈。その他ホワイトプレーンズ、キトカンベイ、カリーニンベイにも損傷を与え、任務を見事に遂行したのであった。

わずか5機の爆装零戦がこれだけの戦果を記録した例は他にない。さらに特攻の狙いである「一機で一艦を屠る」ことも達成された。軍部はこの大戦果を受けて特攻を本格的に採用していくのであった。

しかしこのセントローの轟沈は実は、格納庫内の爆弾、魚雷の爆発や高オクタン価ガソリンの火災によって8回もの誘爆を繰り返して起こった沈没で、それはまさに奇跡とも言える轟沈で、別に特攻自体に神がかり的な力があったわけではない。だが海軍は、そんなことは知らずにただ、特攻作戦の全面採用を押し進めていく。

大西中将は特攻には反対であり、体当たり攻撃は本作戦のみと言っていた。