喪中はがき 「何をどう書けば」戸惑い…陸前高田

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師走を迎え、年越しの準備が各地で始まる。東日本大震災で人口の1割近くが犠牲になった岩手県陸前高田市でも「喪中はがきの印刷承ります」と書かれた張り紙が目立つようになった。だが、注文の出足は鈍いと業者はいう。「あまりにもたくさんの人が亡くなり、喪中はがきをどう書いたらいいのかも分からない」。遺族はつぶやく。

陸前高田市の印刷会社「高田活版」は10月下旬、プレハブで事業を再開した。例年、11月末までに50件は受けていた喪中はがきの注文だが、今年は10件に満たない。

 佐々木松男社長(61)によると、今年は、こんな文面の注文が目立つ。「3月11日の東日本大震災で、多くの友人、知人が亡くなったため 新年のご挨拶(あいさつ)を申し上げるべきところ ご遠慮させていただきます」

 津波で妻を失った佐々木さんは、こう話した。「震災直後に世話になった親類に礼状1枚出す気になれずにきた。礼状を兼ねて、住所が分かる範囲で、何か出さなきゃいけないんでしょうけどね」

 市内の仮設住宅で1人暮らしの下重ヨシ子さん(78)はこう漏らす。「本当なら、そろそろ喪中はがきを書かなきゃいけない時期なんだべね」。夫秀一さん(当時77歳)は津波にのまれ、見つからないまま。「塩水ばかり飲んで苦しんだんだべな」と思いやり、位牌(いはい)のない仏壇にお水やお茶をたくさん供える。

 すぐ近くに住んでいた姉の菅野マサミさん(当時79歳)も亡くなった。これまでなら、正月に備えて姉と2人、大根を漬け始めるころだ。「喪中はがきも何も……。何を書いていいか分からないし、そんな気にもならないもの」。年越し気分にはほど遠い。

 市内にある郵便事業会社陸前高田支店によると、年賀はがきの販売枚数は「過去のデータは津波で失ったが、実感としては昨年の半分程度」という。担当者は「亡くなった方が多いこともあるが、被災して、どこに転居したか分からず、年賀状を出したくても出せないという話も聞く」と語った。