岩手・被災の漁業者 復興進まず、「脱政治家依存」へ

20121201-00000060-mai-000-4-view崩れ落ちた岸壁、ひび割れた路面……。岩手県山田町の田ノ浜漁港では今も、東日本大震災の傷痕が至る所に残る。「選挙といえば、昔は自民党一色だったな」。解禁されたばかりのアワビ漁を終えた同町の漁業、橋端辰徳(はしばた・たつのり)さん(64)は衆院選を前に振り返る。大震災は、かつて特定の候補者を支援していた橋端さんを「脱政治家依存」へと向かわせた。

 高校を卒業後、サケやサンマを取る遠洋漁船の船員になり、20代半ばで長兄に誘われ、地元で漁業を始めた。当時は同町出身で後に首相となる鈴木善幸氏(04年死去)の全盛期だった。

 鈴木氏が強い影響力を持った漁協を中心に、漁業者のほとんどが自民党を支持していた。橋端さんは「総出でポスターを張ったり、みんな熱心に応援した」と語る。90年に鈴木氏の息子、俊一氏が地盤を引き継いだ後も、同町では自民党の優勢は変わらなかった。

 一方、後継者不足や魚価の低下を背景に、漁業者の間では徐々に生活への不安が高まっていく。「若い人だし、漁師の生活を良くするために新しい事を始めてくれるかもしれない」。05、09年の過去2回の衆院選で、橋端さんは仲間の漁業者と一緒に、民主党の新人候補を応援した。09年の衆院選では政権交代の風に乗り、その候補が初当選を果たし、自民党は長年守った議席を失った。

 震災後初の国政選挙となる今回の衆院選。橋端さんは「自民と民主、どちらにも投票する気になれない」と話す。漁業の復興は遅れ、網やカゴなどの漁具は品薄で手に入らない状態が続いた。やっとの思いで中古品を買い集め、漁を再開できたのは震災から9カ月後の昨年12月。造船所の人手が足りず、漁船の修理が終わったのは、今年5月になってからだ。「民主でも自民でも、浜に来て自分たちの話に真剣に耳を傾けてくれれば、復興はもっと進んでいるはずだ」

 津波で長兄を亡くし自宅は流された。震災前に比べ水揚げが激減したため、今は義援金などを切り崩して生活する。自宅再建のめどはいまだに立たない。

 昨年10月、橋端さんは仲間の漁師約20人と一緒に、漁協とは別の互助組織「山田漁民組合」を設立。1月には他の市町村からも漁業者が加わり、全県的な「漁民組合」に発展した。今は内陸での魚の販売や水産物の加工など、自分たちの手で「漁師の生活を豊かにして後継者を育てる取り組み」を進めている。

 「結局、政治家に良くしてほしいとお願いしてばかりいた。誰かがやってくれる時代は終わったんだ」。漁船を整備する手を止めて、そう力を込める。