金川真大死刑囚から 届いた最後の手紙

「死刑になりたい」と無差別殺人を行った金川死刑囚から最後の手紙が届いた。「ではさようなら」と結ばれた手紙はいつものように鉛筆で書かれていた。それがボールペンでないのには理由があった。
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金川死刑囚から届いた最後の手紙

土浦無差別殺人事件で昨年12月18日に死刑判決が出された金川真大死刑囚から届いた最後の手紙は、1月5日の消印だった。その5日の午前零時、彼の死刑は確定した。

 実はその日、私は金川死刑囚に面会すべく水戸拘置支所を訪れていた。法的には死刑が確定すると接見は制限されるのだが、手続き上のタイムラグで何日かは接見が可能なのだ。その日私が訪れることは、金川死刑囚にも告げてあった。

 しかし、朝一番で拘置支所に面会手続きを行った私に、係官は、「本人が会えないと言っている」と告げた。面会は一日一組に限られており、実はその日、金川死刑囚の家族が面会することになっていたのだった。本当は家族の面会は4日に予定されていたのだが、臨床心理士でもある長谷川博一・東海女子大教授が急遽4日に面会することになり、家族の面会は5日に順延となったらしい。

 金川死刑囚は、私がわざわざ水戸を訪れながら面会できずに帰京することになったのを気づかって、その日、手紙をしたためたのだった。このあたりが、前号で書いたように、私が金川死刑囚に好感を抱くゆえんだ。「この告白は完全に手後れですよねえ」と書いたように、その手紙が5日以前に私の手元に届かないことは彼も理解していた。だから、用件を満たすことのないその手紙を敢えて出したのは、彼なりの気遣いと、最後の挨拶をしておきたいという意図なのだろう。
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金川真大死刑囚から 届いた最後の手紙「機能停止する日は近い。ではさようなら」

機能停止とは、未決の時点で許されていた接見交通権などの権利が失われることを指しているのだろう。

 この事件の経緯については、前号で詳しく書いたが、ここで再度簡単に説明しておこう。金川死刑囚は高校生の時に、もうこの世に生きていても仕方ないという想念に捉われ、死ぬことを決意する。進学も就職もせず引きこもりを6年間続けた彼は、2008年3月18日、人を殺して死刑になりたいと考え、行きずりの民家で72歳の男性を殺害。そして死刑になるためには一人の殺害では足りないとして23日、JR常磐線の荒川沖駅でサバイバルナイフと文化包丁を両手に通行人に次々と襲いかかり、7人に重軽傷を負わせ、1人を殺害した。そして昨年12月、念願通り、死刑判決を受けたのだった。

 私は判決を前にした12月10日に初めて彼に面会。冷血なとんでもない男という世間に流布されたイメージと実際に会った彼とのギャップに驚いた。
金川真大 土浦連続殺傷事件