“貧乏ネタ”披露するアイドルが急増 その背景は?

「家族5人で布団がなくて毛布1枚ずつ」「風が吹くと家が揺れる」「うちのすき焼きには肉が入ってなくて麩の料理だと思っていた」。NMB48からの卒業を発表した小谷里歩は“貧乏”をトークの鉄板ネタで使っている。最近、他にもバラエティ番組などで貧乏ネタをおおっぴらにするアイドルが増えてきた。

◆NMB48からグラビアアイドルまで 急増する“貧乏アイドル”

 乃木坂46の橋本奈々未はクールビューティなイメージながら、ドキュメンタリー映画などで、大学進学で上京してアルバイトを掛け持ちしても生活が苦しく、「芸能界に入ればロケ弁が食べられる」との理由でオーディションを受けたことを明かしている。“2000年に1人の美少女”と呼ばれる滝口ひかりは『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演した際、6人家族で住む古い集合住宅を公開。6畳のひと間に母と姉妹の4人で寝て自分の部屋はなく、至るところがガムテープで補修されていた。

 グラビアで人気の山地まりは母親が女手ひとつで子ども4人を育てた家庭で、「家に帰ったら水道、電気、ガスが全部止められていた」こともあったという。緑川静香は5歳のときに父親が蒸発した母子家庭で、小2から高校まで知人の物置で生活。公園で採った雑草やコオロギを食べていたとか。

 昔なら、きらびやかなイメージのアイドルがこうした貧乏の苦労を語ることは考えられなかったが、アイドル界の歴史はスターがどんどん身近になる過程でもあった。

◆ファンもアイドルの“貧乏ネタ”に耐性がついた!?

 70年代から80年代半ばまでは、アイドルといえば“トイレにも行かない”ような理想の存在。生活の苦しさとは無縁に見せた。実際には伝説的アイドルの山口百恵も母子家庭で育ち、デビュー前は生活保護を受けていて、「母を楽にさせたい」とオーディション番組に応募。今の貧乏アイドルの逸話と通じるが、それを自ら明かしたのは引退した80年に出版された自叙伝『蒼い時』でのことだった。

 そんななかで、85年にデビューしたおニャン子クラブが“普通の女子高生”を売りにクラスメイト的感覚で人気を集めたのが潮流を変えて、97年にデビューしたモーニング娘。はテレビ番組のオーディションで次々とメンバーを選び、実際に身近にいたかもしれない女の子がアイドルになる過程を見せた。

 そして2000年代半ばになると、AKB48を始め握手会などで“会いに行ける”アイドルが主流に。メディア越しではなく直接触れ合い、近年ではツイッターや755で日常のなかで“会話”もできる。ファンにとってアイドルは雲の上の存在ではなく、友だちのような感覚。今や、マイナス要素をさらけ出す“ありのままの姿”を受け入れることが当たり前となり、アイドルの短所や暗い話をネタとして笑い飛ばすことができる。つまり、受け手であるファンも、アイドルの“貧乏ネタ”に引くことなくネタとして受け入れる土壌が整ったと言えるだろう。

 そうした流れで、貧乏のようなネガティブな話題も自らさらけ出すことは、むしろ好意的に受け取られるようになっていた。小谷のような“バラエティ班”なら自虐ネタとして笑いを取ってキャラになり、橋本はドキュメンタリー映画で「目標は弟の学費の全納」と語って、生々しくも感動を誘った。“応援してあげたくなる”ことがアイドルの人気要因なのは昔から変わらないが、SNSの広がりもあって素をオープンにすることが歓迎される今、“貧乏でも頑張る”姿は意図しなくても好感度を高める武器になっている。