豊洲疑惑“最後の黒幕”に浮上…盛り土不要を提言「日建設計」の存在

「盛り土」で汚染を食い止めるはずだった豊洲新市場の地下が、一転して水浸しの空間に化けたのは「日建設計」が作った技術提案書が決め手だった。移転計画の当初から東京都に食い込み、「鹿島」や「大成」の大手ゼネコンもひれ伏すほどの「パワー」とは――。

いま一度、豊洲新市場の「消えた盛り土」の経緯を振り返ってみよう。東京都の設置した専門家会議が、豊洲市場の汚染対策として「盛り土」を求めたのは2008年7月のこと。ところが、この提言が事実上反故にされたのは、11年1月7日だった。大手設計会社「日建設計」が都に出した技術提案書で〈盛り土不要〉の工法を提案し、それを受ける形で基本設計案が作られたのである。以降、日建設計と都の担当者以外は〈盛り土〉が葬られたことを知らされないまま新市場の建設が進められた。

技術提案書を入手した都議会民進党の浅野克彦議員が言う。

「日建設計が“盛り土不要”の基本設計を提出するまでに、都側の誰かと意見交換があったはずです。まず、そこを明らかにしたい。いま開かれている都議会の『経済・港湾委員会』では、まさにその点も含めて追及しているのです」

■二人三脚
 10月下旬に開かれる都の「市場問題プロジェクトチーム(PT)」では、日建設計の担当者も呼ばれ、責任者の名前を明らかにするよう求められる。だが、それを知ったところで「盛り土」問題の本質にどれだけ迫れるのだろうか。

 都政担当の記者によると、

「当時の都庁の担当者は、新市場整備部長などの名前が挙がっていますが、実際には11年8月に行われた部課長会で“盛り土なし”と地下空間の設置が確認されており、基本設計書には数十人の印が押されている。責任の濃淡はありますが、それこそ、担当責任者は20〜30人という人数になってしまいます。しかも、彼らは、そもそも役人として“盛り土”によるコスト増を抑えようとしたわけで、メンバーをリストアップして処罰したところで、解決したことにはなりません」

 むしろ、この問題では、都庁幹部以上に豊洲市場の裏側を知っている人達がいる。それは、十数年前から一貫して豊洲市場に関わってきた「日建設計」の存在だと指摘するのは、市場問題PTのメンバーで、建築エコノミストの森山高至氏だ。

「もともと豊洲市場は04年に都がプランの段階でPFI(民間運営)を検討していたのですが、その際のプレゼンに日建設計が参加している。その後、都はPFIを諦めて直営を検討していますが、その段階で作られたスケッチは、最初に日建設計が提案したものと似ていると言われています。豊洲市場の本設計も同社が関わることが最初から既定路線になっていたと思わざるを得ません」

 ちなみに日建設計は、豊洲市場の設計委託として8200万円、特命随意契約の形で実施設計を11億7000万円、合築工事(多機能化)の設計で6300万円、そして建設工事の基本設計を1600万円と次々に請け負っている。

 いち早く新市場建設のプランに食い込み、“都官僚”との二人三脚で、もっともらしい図面を作って来た「成果」なのだろうか。

■ゼネコンを凌ぐ実力
 豊洲市場だけではない。日建設計は東京オリンピックの会場建設など、物議をかもした案件にも顔を出す。

 その実力はゼネコンをも凌ぐと言われ、古くは東京タワーから東京ドーム、そして最近では東京スカイツリーなど、日建設計が手掛けた有名建築をあげれば枚挙にいとまがない。現社長の亀井忠夫氏は東京スカイツリーを設計した人物でもある。

 ルーツは1900年に設立された住友本店の「臨時建築部」。戦後、住友商事の建築部門を母体として再スタートし、50年に「日建設計工務」として独立。本社を東京に移して今日に至っている。

「もともとは住友財閥のビルの仕事と公共工事を少しずつこなしているような会社でしたが、名実ともに一流の設計会社と目されるようになったのは、“中興の祖”といわれる建築家・林昌二氏(元副会長)が東京・銀座4丁目の三愛ビル(63年竣工)を設計したあたりからです」(同)

 設計業界ではNTTファシリティーズや日本設計を押さえてダントツの企業だが、昨年度の売上高は436億円、社員数も約1800名と「鹿島」や「大成」といったスーパーゼネコンに比べると随分見劣りする。

 が、元「日経アーキテクチュア」編集長で建築ジャーナリストの細野透氏によると、

「ゼネコンと比べて小さいように見えますが、設計会社というのは弁護士事務所と似ていて頭脳労働者の集まりです。だから、集まる人材も東大、東工大、東京藝大の建築科など、建築専攻のエリート学生が第一志望にする。よほど優秀でないと入れません。また、日建設計は、複雑で大規模な建物について“任せて安心”という定評がある。実際、民間・官公庁の発注者290人にアンケートをとった『日経アーキテクチュア』(2013年10月10日号)の発注したい設計者ランキングでは大差のナンバーワンでした」

 だが、同社が業界でのし上がった理由は、それだけではない。

「きっかけの一つは1990年代のバブル崩壊です。日建設計にとっても例外ではなく、それまでのように依頼があった仕事を受けるだけでは苦しくなっていました。そこで、いち早く自ら“仕事を作る”という営業方針に大きく舵を切ったのです。なかでも公共工事に関しては調査段階から情報を得て施主と関わることで、その後の受注が有利に進むようテコ入れを行ったのです」(森山氏)

 豊洲市場も、初期の段階から食い込んでいたのは前述の通り。その結果、同社は、業界のトップに躍り出ただけでなく、ゼネコンの受注にも影響力を発揮出来るという“副産物”を手にすることが出来た。

「具体的には、公共工事を欲しがっているゼネコンに対して、それとなく設計情報を教えることによって便宜を図ることが出来る。また、設計側の代表として発注を決める会議に出席し、受注したいゼネコンに有利な意見を言うこともある。その結果、日建設計から嫌われると受注成績に影響が出てしまうため、ゼネコンは頭が上がらなくなってしまったのです」(ゼネコンの関係者)

特集「豊洲疑惑『最後の黒幕』として急浮上! ゼネコンもひれ伏す『日建設計』の金儲けと人脈」より

「週刊新潮」2016年10月20日号 掲載