事件から30年 「フライデー事件」が問いかけるもの

今年は「文春砲」などが流行語になるなど『週刊文春』を筆頭とする週刊誌の力を見せつけられた年だったが、今から30年くらい前は、写真週刊誌の最盛期だった。

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1981年に創刊された『FOCUS』を皮切りに、大手出版各社が相次いで写真週刊誌を創刊。

「3FET」(『FRIDAY』『FOCUS』『FLASH』『Emma』『TOUCH』)と呼ばれ、5誌合計で約460万部の発行部数を誇っていた。

そんな写真週刊誌全盛時代に起こったのがいわゆる「フライデー事件」である。

ビートたけしとたけし軍団総勢12名が『FRIDAY』編集部を襲撃した事件だ。

1986年12月9日、ちょうど30年前のことだ。

当時、たけしと不倫関係にあった女性に対し、『FRIDAY』記者による執拗な取材が行われ怪我を負わされたことにたけしが激怒し、編集部へ直接電話。その電話対応が挑発的だったため、さらに怒り編集部に乗り込み、集団で暴行を行ったというセンセーショナルな事件だった。

だが、この事件は思わぬ広がりを見せた。

「ビート君の気持ちもよくわかる」

「鉄砲でシラサギを撃ったと思ったら特別記念物のトキに当たっちゃったようなもの」

とたけし本人が後に語ったように、事件そのものよりもその波紋こそがこの事件の特異な点だ。

「年配の人から若者まであらゆる層が発言」(朝日新聞)する“1億総ホームルーム化”していき、時の官房長官・後藤田正晴も「ビート君の気持ちもよくわかる」と発言。世論は刻一刻と変化していった。

この事件について書かれた『たけし事件―怒りと響き』(太田出版)を参照しながら、この事件の余波を振り返ってみたい。

86年12月9日(事件当日)

・午前9時 所属事務所社長が「申し訳ありません。どうか穏便にすませてほしい」と講談社編集総務局長に謝罪の電話。

・午前10時 講談社編集総務局長が記者会見。「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」と第一回声明文を発表。

・午後0時 所属事務所社長、講談社に出向き直接謝罪。

・午後1時半 宮原局長、第二回声明文。「今回のたけしの暴挙は、本誌がたけしの事務所側と話し合っている最中の出来事であり、たけし側から取材のルールを暴力で侵したもの」と読み上げる。(事務所側は「話し合ってる最中」と言う事実を否定)

・午後5時 たけしら12人、犯罪の事実を認め反省、逃亡の恐れもないため釈放。

・午後6時 講談社局長、被害を受けた編集次長を伴い会見。怪我の様子を公開する。

・午後8時 『たけしのスポーツ大将』がテレビ朝日で放送。「おことわり。この番組は11月4日に収録したものです」のテロップが流れる。

・夕方頃 後藤田正晴官房長官「写真週刊誌の取材の行き過ぎもあり、ビート君の気持ちはよくわかる。かといって直接行動に及ぶのは許されることではない」と発言。

翌日には塩川正十郎文相も「最近の週刊誌は刺激もかなり露骨だ。表現の自由が保障されているからといって、それが特権的なものと思ってはいけない。暴力を振るうなどということは、民主主義社会では許されるべきではない。しかし出版社は社会的に容認される限度内の取材をすべき」と発言。

出典:『たけし事件―怒りと響き』を元に構成

事件直後の世論は「たけしも悪いが、フライデーも悪い」と意見が大勢を占めた。

解決手段に暴力を使ったことや、それに軍団を引き連れたことは悪いが、『FRIDAY』の取材の仕方や対象こそ問題があり、同情すべきはたけしである、というものだ。

さらに、「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」との講談社側の声明や、自分たちの怪我の様子を臆面も無く披露する会見の様子もあって、こんな事件に「言論の自由」云々を持ち出すことに対する批判が大きくなっていく。また、たけし乱入の際、すぐさま警察という公権力に助けを求めた(たけしらが乗り込んできたと同時に隣の大塚署に駆け込んだ)ことに対してジャーナリストとして情けないという意見も多かった。こうした世論に便乗するかのように官房長官をはじめとした公権力がメディア報道に介入しようという動きが早くも見られた。

10日以降、各局ワイドショーが事件を取り上げる。概ね写真週刊誌批判が強いたけし擁護の論調だった。

その背景にはたけし出演の年末年始特番が控えており、それらをたけし抜きにするのは営業的損失がかなりのものになる、との計算が働いたものと思われる。世論もそれを支持し「たけしも悪いがフライデーはもっと悪い」と、より『FRIDAY』が悪いという論調に傾いていった。

が、新聞系マスコミは「テレビも当事者ではないか」と次第にテレビ局批判を始め、それを強めていった。

これを受け、所属事務所社長がたけしを謹慎、発言を自粛させる旨、記者会見。

14日、『天才・たけしの元気が出るテレビ』がテロップ付きで放送。

それまで、ワイドショー等を見た視聴者からの意見は「たけし支持」が圧倒的であったが、この日の放送中から変化し始める。番組が始まると局には電話が殺到。支持と抗議が半々になった。

翌15日、たけし事件後初めて、日本テレビ『元気が出るテレビ』28日放送分の収録に参加。

番組では「アレ(暴行事件)はいったいなんだったのでしょう? 悪い夢だったんでしょうか?」「私もしぶといほう。マムシのたけしといわれています」「私がどういうふうに逃げたかは、あとでお知らせします。忍者たけしといわれています」などと笑わすが、支持と抗議の比率が初めて逆転する。

この日本テレビの復帰強行に対して「謹慎を解くのが早すぎる」などと報道陣が押しかけ総出で袋叩きにしている。

さらに16日、たけしとたけし軍団がテレビ朝日『たけしのスポーツ大将スペシャル』の収録に出演。

「人気者なら何しても許されるのか」「警察の処分も決まってないのに、逮捕された人間を使うテレビ局はおかしい」と抗議優位の傾向が強まる。

17日、フジテレビ『オレたちひょうきん族』の収録が予定されていたが、たけしは過労を理由に取りやめる。

これを契機に、テレビ各局はたけしを番組からはずしていくことになる。

そして22日、たけしは正式に記者会見を開く。「手段として暴力を使ったり、たけし軍団というのを一緒に連れて行ったことに関しては、非常に反省しております」「芸能人だから、仕事をくれれば行く。テレビ局がいらないといえば、いかないだけ」「茶の間への影響ということなら、親が子供に言うべきであって、あれは、たけしが悪いんだといえばいい」などと語る。

以上が事件直後の対応とその反応の変化である。

「儲かったのはスポーツ紙だけ」

たけしやテレビ局に対しては批判と擁護とが入り乱れ変化していったが、一貫していたのは写真週刊誌への批判である。

写真週刊誌は創刊当初こそ、社会的事件や政治家などの権力者をターゲットの中心に据えていたが、「3FET」時代に突入していくにつれスクープ合戦が加熱。

1986年、人気アイドル・岡田有希子が飛び降り自殺をした際、その遺体を写真週刊誌が掲載し社会問題にもなった。

そうした中起きた「フライデー事件」で、それまでくすぶっていた「プライバシー侵害」などの写真週刊誌批判が一気に爆発し、この機会にと、写真週刊誌にターゲットにされていた政府までもがこれに介入する動きを見せた。

その結果、イメージが失墜し、事件前には写真誌5誌で計460万部の発行部数を誇ったが、事件後2ヵ月半で、計370万部、つまり2割近い落ち込みを見せた。

さらに、事件後5ヵ月後には『Emma』が廃刊に追い込まれた。

では、紙媒体はどのようにこの事件を報じたのか。

まず、事件当事者の『FRIDAY』はもちろんたけし批判を論調の中心に置きながら、テレビ批判も並行して行った。

事件の第一報は「本誌編集部で集団暴行した『一部始終』」というもの。その後、たけしが早期復帰すると、かつて問題を起こした横山やすし、研ナオコが5ヶ月、志村けん、仲本工事が1ヶ月の謹慎だったことを引き合いに出し「いかに視聴率をかせぐ男とはいえ多くの子供たちが見ている番組に、暴行、傷害をくわだてた芸人を登場させる無節操さにはアゼン」と批判。

たけし会見後には「芸人だから仕事をくれればやる」の発言に「一介の芸人に身を落としての発言は、自分の立場を"ワイ小"化しすぎてないか」と疑問を呈している。

また、この号の巻末には、同誌に対する批判の高まりを受けて改めて、自分達の立場を宣言する社告を掲載している。

「プライバシーや人権問題については、慎重にとりあつかい、一般市民の私生活はこれまでにまして配慮をはらうようにつとめる」という自粛表明に加え「今後も暴力に対しては、断固たる態度をとっていく」と結んでいる。

では、『FOCUS』などの競合他誌はどう報じたのか? もともと女性週刊誌の流れを強く持っており編集方針を異とする『TOUCH』はこの事件とは距離を置いたが、他の3誌はほぼ共通して、たけしに対し、愛人をつくっていたことへの批判というモラルを問う形(即ち、取材の対象自体は間違っていないという主張)。そして『FRIDAY』とは一緒にして欲しくないと同誌に対する取材方法への批判をし自分たちとの違いを強調した。

この事件の原因をあくまで「取材の失敗」と断罪し、『FRIDAY』が「言論の自由」を持ち出したことに対し、この自由は「こんな安っぽいドタバタとは無縁のもの(Emma)」とし「やがて言論・出版の自由がおびやかされ、人権が踏みつけにされる事態を招来する(FOCUS)」と批判した。

これらに同調して報じたのは上記写真週刊誌を発行している出版社系週刊誌(『週刊新潮』『週刊文春』『週刊ポスト』『週刊宝石』)。写真週刊誌のあり方について故意ともいえるほど言及しなかった(ただし、それまでたけしの連載を抱えていた『週刊ポスト』だけはたけし同情論を展開)。

これに対し新聞や新聞社系の週刊誌(『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊読売』『週刊サンケイ』)はそれぞれの切り口で写真週刊誌の問題点を書いている。また、月刊誌(『世界』『文藝春秋』『中央公論』『正論』『ボイス』『新潮45』)も同様のスタンスで報じている。

たけし自身の動向を中心に報道したのは芸能誌(『アサヒ芸能』『週刊平凡』『週刊明星』)。傾向としてはたけし批判よりも同情的なトーン。これに対し女性誌(『週刊女性』『女性自身』『女性セブン』『微笑』)は愛人問題に対する切り口で報じた。だが、意外にもこの件について断罪した写真週刊誌よりは寛容なトーン。本妻が可哀そうというスタンスが目立つ。

そして、「今回の事件で儲かったのはスポーツ紙だけ」とたけしが語るように、この事件の一挙手一投足を連日のように追い売り上げを大幅に伸ばしたのがスポーツ紙だった。

このように報道をそれぞれの媒体で見ていくと、当然のように浮き彫りになる利己的な理論である。

写真週刊誌はテレビやたけしを批判し、テレビを系列会社に持つ新聞社は写真週刊誌を叩く。

写真誌を出版する出版社系雑誌は写真誌を擁護しつつも、どこか一緒にされたくはないという気持ちが見え隠れする。だが、彼らが写真誌を批判できないのは実際に、出版社の売り上げを支えていたのが紛れも無く写真週刊誌だったためだ。過酷な労働条件に身を寄せる写真誌の編集部員の犠牲なくして出版社がなりたっていかないことに見てみぬ振りをしてきたのだ。

結局事件は問題点を浮き彫りにしただけで、何も解決しないまま、終息に向かっていく。

「これは何を裁くための裁判ですか?」

年が明けると、バランスをとるためか事件のきっかけを作った女性に怪我をさせたとされる『FRIDAY』の記者が書類送検される。

ここでもこの事件特有の“歪み”が生じる。

当初は不起訴、もしくは略式起訴での罰金刑が相当と言われていたものの、この事件を政治的に利用しようとした力が働いたと見られ、一時は示談が成立したにもかかわらず、検察にそれが認められず、たけし、記者双方が起訴され裁判にかけられることになった。

その経緯は以下の通り。

1月7日  大塚署が『FRIDAY』記者を傷害容疑で書類送検する方針を固める。

1月19日  たけし、たけし軍団11人、記者が同時に書類送検。

1月29日  たけしと『FRIDAY』で示談成立。

たけしが講談社に謝罪、講談社が女性に謝罪という示談内容。

のちに、検察庁からこれは示談ではないとされ、たけし、記者が起訴される一因となる。

3月2日  記者、たけしを傷害罪で起訴。軍団11名は不起訴。

4月17日  たけし、第一回公判(東京地裁)

5月18日  記者、第一回公判(東京地裁)

5月26日  たけし、第二回公判。検察は懲役6ヶ月を求刑。

6月10日  たけし、第三回公判。懲役6ヶ月執行猶予2年の判決。

12月22日 記者、罰金10万円の判決。

出典:『たけし事件―怒りと響き』を元に構成

裁判は証人として出廷した編集次長が「これは何を裁くための裁判ですか?」と何度も問うたように、事件それ自体の裁判というよりも、「プライバシーとは何か?」「肖像権とは何か?」という報道姿勢を問う質問が相次ぐものだった。

判決後の会見でたけしは「おごっているところがあった。本当にそう思う。判決に関しては重いと思う。しかし、これだけの事件を起こしたのだから、冷静に受け止め、刑に服したい。ただ、6ヶ月もたったことなので、自分の中では解決したのだと思っている。くだらないことをやってしまった」と語った。

結局、マスコミ、タレント双方に大きなダメージを与えたこの事件は、その性格ゆえ、そのどちらもから語りにくい事件(たけし軍団の“武勇伝”としては語られることはあるが)として歴史の中に埋没されていってしまった。

『たけし事件』を監修した筑紫哲也は「フライデー事件」が浮き彫りにしたマスメディアの現況における問題についてこのようにまとめている。

その強引な取材によるプライバシーの侵害は、たけし事件以前からトラブル、批判、論議のタネになっており、この伏線がなかったならば、この事件はこれほど広い波紋を生みはしなかったろう。(略)大手出版社の五社までが足並みを揃えて写真誌競争に突入したことには、商業主義が最優先したことは否定できず、その背後にはさまざまな批判にもかかわらず、そういう雑誌を争って買い求める読者が大量に存在したということでもあった。しかも、こうした傾向は、3FETの出現で突然変異的に生まれたものではなく、写真週刊誌そのものがテレビの芸能番組隆盛に触発され、活字メディアのそれに対抗する“鬼っ子”として登場してきた面があり、「三浦(和義)報道」に見られるように、一般週刊誌と電波メディアとの連動も目立っていた。

問題はしかし、そういう「売らんかな」、視聴率稼ぎに狂奔するメディアだけに留まるものではなかった。それとは一線を画し、「良識」と「報道の使命」についての自覚を持っているつもりのメディアに対しても、そのありようについて批判的論議が高まっている時期でもあった。それは、煎じつめれば、「報道・言論・出版の自由」「知る権利」と、「人権・プライバシー」という、矛盾をふくんだ命題との間のどこにいかなる方法で接点、妥当な線を求めるか、というメディアについての基本問題を内包していたからである。

出典:『たけし事件―怒りと響き』

事件後たけしは「20年もたったら実にまぬけなお笑いの事件になってるよ。こんなことが何で事件になるんだっていう感じだな」と語っているが、今も、まったく問題は解決されず、それどころか、この事件後は一時的に下火となったスクープ合戦が週刊誌に舞台に変え再び加熱しようとしている。

30年経っても、「フライデー事件」はまだ笑えない事件のままだ。