消えゆく質屋、4割が商売自体を「知らない」

物品を担保に金を貸す「質屋」は鎌倉時代から続くとされる業態で戦後しばらくは2万店余りあった。ところが2015年で3034店と右肩下がり。新たな金融サービスの登場に加え、近年は買い取り専門店やリサイクルショップが台頭し、存在感がますます希薄に。歯止めをかけようと業界は懸命だ。

 ある大きな質屋の蔵に夜な夜なお化けが出るといううわさが立って──というくだりで始まる有名な古典落語「質屋庫(ぐら)」。質屋は古くから庶民になじみが深い職業だった。

 しかし最近は縁遠い存在になり、「質入れした物品を請け出せず、質屋に所有権が移ること」を意味する「質流れ」という言葉すら知らない人が若年層を中心に増えた。「さげ(オチ)で使っても客がぽかんとしている」と落語家は嘆く。質屋業界にとってまったくもって笑えない時代になってしまった。

 図が示すように、全国の質屋の数は1958年の2万1539店をピークに、見事に右肩下がりだ。

 終戦後しばらくの質屋業界は黄金時代だった。多くの人が食べるのに必死で、生活のために金を借りる「世帯質(せたいびち)」でにぎわった。超インフレだが給与も上がるので、人々は気軽に質屋を利用した。「朝お米を入れた電気釜を質に入れ、夕方請け出す客がいた」といった笑い話が業界に残るほどだ。

 その後、消費者金融(サラ金)がライバルとして無視できなくなるようになり、質屋は減少。クレジットカードや銀行系カードローンの普及で、質屋以外の金融サービスはさらに増え、減少が続いた。

 十分な元手が必要なのと、蔵などの施設整備に初期投資がかさむため、もともと新規参入は少ない業界だ。また家族経営が多く、「『金貸し』ということで世間体を気にして、成功しても1代で終える店も少なくない」(業界関係者)という事情がある。そこに金融サービスの多様化が加わり、減少に拍車を掛けてきた。

 ただ質屋のライバルは、他の金融サービスばかりではないことが、店主たちの話を聞けば分かる。

 商人の街、大阪市。中心部にある創業約60年の質屋は年内で廃業することを決めている。

バブル期は虎の毛皮や2000万円のダイヤが持ち込まれるなど客の景気も回転も良く、好景気を謳歌した。バブル崩壊後は多角化で経営力強化を図ろうとブランド品の買い取り店を併設。だが昨年の収益はピーク(1990年代後半)の半分まで減少し、閉店を決めた。

 店主が収益減の要因に挙げるのは中国経済の衰退だ。実は近年、好調な中国経済に円安も重なって、質流れしたり買い取ったりしたブランド品や宝石は、古物商マーケットを通じて高値で中国に流れていた。大口客が減少する中で収益の大きな柱だったが、昨年ごろからその相場も総じて2割超下がってきたという。

● 物を担保に金貸す質屋の商売を 4割が「知らない」

 業界も危機感は共有しており、一部で動きだしている。

 現状を把握しようと、全国2番目の規模の大阪質屋協同組合(約230店加盟)は昨年、全国的に珍しい市民アンケート(20代以上1149人対象)を街頭とインターネットで実施した。だが、その結果は、店主らにあまりにも酷な現実を突き付けた。

 質屋の印象を尋ねたところ、「暗くて入りにくい」「古くさくイメージが悪い」など散々なものだった。「質屋でお金を借りられる」ことすら知らない人が44%もいた。また「急にお金が必要なとき、質屋を利用したいか」との問いに、90%がNOと答えた。理由は「イメージが悪い」「他で借りられる」「どこにあるか分からない」などが上位を占めた。

 極め付きは、「質屋とどちらを利用したいか」との問いに、約5倍差でライバルの買い取り専門店・リサイクルショップが選ばれたことだ。繁華街に多いそれらとは対照的に、質屋は質屋営業法で保管庫(蔵)設置を原則義務付けられていることなどから、目立たない場所に多いことも災いとなっているようだ。

 組合の疋田吉継・常務理事は「ある程度予想はしていたが、思いの外厳しいものだった」と落胆する一方、「伝統ある庶民金融として気軽に使ってもらいたい。ユーチューブなどを駆使して広報し、待ちの姿勢ではなく打って出たい」と前向きに話す。

 「質屋は世相を映す鏡」とは、業界内で伝えられてきた言葉だ。集まる物を見れば世のはやり廃りが見え、出入りする客の話を聞けば景気が分かる。物も人も集まらない時代の質屋は、どんな世相を映しているのだろうか。

 その答えを、ある質屋店主は「物に執着しなくなった世」と解く。物にこだわりがないので、後日取り戻すことを前提にした質屋より、買い取り専門店やリサイクルショップに持ち込んだ方が後腐れなくていい。そもそも物への憧れもあまりない時代だから、質草(時計、ブランド品など)の流通も減少している。「質屋がはやらないわけだ」と店主は嘆くのだ。