全国初「JR可部線」が廃線から復活できた理由

利用者の減少を理由に、2003年12月にJR可部線・可部―三段峡間が廃止された。それから13年3カ月の歳月を経て、同区間の一部が3月4日に再開業した。可部駅と新設されたあき亀山駅(広島市)間はわずか1.6キロメートルという短い距離ではあるが、JRがいったん廃止した路線が再びJRの路線としてよみがえった例は今回が初めてだ。

「廃線になった区間を復活させるのは無理ではないかと思ったこともあった。そんなことできるわけがないという人もいた」

 地元住民などで構成されるJR可部線利用促進同盟会の大畠正彦会長が、3月4日、あき亀山駅前で行われた開業式典の場で、これまでの活動を振り返った。「しかし、長年の住民の活動を途切れさせずに続けたことが今日につながった」。

 会場には同盟会で相談役を務める平盛儀範氏の姿があった。平盛氏には6年前の2011年に話を伺ったことがある。当時の平盛氏の肩書は「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会・会長」だった。肩書に「電化」とあったのが印象的だった。

■非電化がネックに

 話は廃線前、1990年代にさかのぼる。河戸駅(あき亀山駅の東側にあった)の周辺は古くから広島市のベッドタウンとして栄え、地域人口も多かった。しかし、ラッシュ時には10分間隔で電車が走る横川―可部間に比べ、可部―三段峡間は非電化区間であり、走るのは1日わずか7〜8本程度。しかも横川への直行列車は1日1便のみに限られていた。

 可部―河戸間が電化されればすべての列車が横川と結ばれるので、河戸駅の利便性は飛躍的に高まる。そう考えた住民たちは、1994年に同区間の電化を目指す住民組織「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」を立ち上げた。ところが、電化どころか2003年には可部―三段峡間が廃止に。つまり可部―河戸間は路線自体が廃止されてしまったのだ。

 「もう組織を解散しようという声も上がったが、初志貫徹しようやという声に押され、“電化促進”から“電化延伸”へと目標を変えて存続することになりました」。同盟会結成以来、17年にわたって会長を務めてきた平盛氏は当時、こう語っていた。

どのように住民の心を一つにしたか

 JR西日本は可部―河戸間の線路を撤去せず残しておいてくれた。住民たちは、いつでも走れることをアピールするため、線路上の草むしりを欠かさなかった。線路脇にヒマワリを植えるなど美観形成の運動も行った。折に触れてさまざまなイベントも開催してきた。「継続するうちに住民の心が一つにまとまった」(平盛氏)。活動を見守ってきた広島市の担当者も「彼らは“要望”ではなく“運動”をやっている」と、心の中でエールを送った。

 転機となったのは、2007年に施行された「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」である。同法によって、電化延伸に対して国の補助を得られる可能性が出てきたのだ。その結果、翌年に市、JR、バス事業者らで構成される協議会が発足し、復活に向け議論が重ねられた。そして2011年2月にJR西日本が「早い時期に合意したい」と発言。路線復活に向けて大きく前進した瞬間だった。

 その後、2013年にJR西日本と広島市が可部線電化延伸で合意するが、ここから先は技術論だ。事業費27億円は国や市が負担する。線路は残っており、新たに電化工事が行なわれた。中間駅や終点駅の設置位置も決められた。問題となったのは、踏切の扱いだ。国の基準で現在は鉄道新線が建設される際に、安全上の理由から踏切を設置してはいけない。可部線も新線扱いとなり、原則としては踏切が設置できない。とはいえ、立体交差にすると費用は一気に膨らむ。

 国との協議の結果、可部ーあき亀山間に4カ所の踏切が設置された。ただし、これで一安心というわけにはいかない。「廃線だったときは誰もが自由に線路を横断していた。復活に際し、小学校で踏切の渡り方教室を行うなど、安全面に注意している」と、JR西日本の伊勢正文・広島支社長は言う。この日も各踏切の両側に監視員が張り付いて、往来の安全を確認していた。「立体交差にすべし」という国の基準を押し切っての踏切設置だけに、安全確保は徹底的に行う必要がある。

■可部線の利用者は確実に増加

 開業初日を迎えたあき亀山駅周辺は、明るい春の日差しの中、延伸開業を祝うイベントでにぎわっていた。「列車の騒音で周囲がうるさくなる」といった否定的な声もあったが、延伸開業を歓迎する声が圧倒的。中には「日本初となるJR廃止路線の復活事例」を売りに可部線を全国にアピールしていきたいという声もあった。老朽化が進む広島市の安佐市民病院が2022年にあき亀山駅前に移転することが決まり、可部線の利用者増は確実視されている。

 廃線からの復活。これを前例に全国の廃止路線も続々と復活すると期待したいところだが、可部線の場合はもともと需要があったにもかかわらず、一部に非電化の区間があったため廃止となったという特殊事情があった。広島県出身の河井克行衆議院議員は「2003年11月30日、満員の三段峡行き最終列車に泣きながら手を振る沿線の人たちの姿が忘れられない」という。あき亀山駅開業はゴールではなく、三段峡までの復活に向けたスタートと考える人々も沿線にはいるのだ。