ヤマトが吉野家と「ジャルパック」から学んだこと

模倣は自社の弱みを知ることから

 「模倣は創造の母である」と言われる。トヨタもセブン―イレブンもスターバックスも、優れた企業を「真似て、超える」ことで成功した。お手本とする他者の本質を見抜き、自社で生かせる「儲かる仕組み」を抽出する創造的な模倣の方法とは何か。ここではヤマト運輸の宅急便を取り上げる。2代目社長の小倉昌男氏が宅急便を立ち上げたプロセスを記した『小倉昌男 経営学』を基に分析してみる。

 第1のステップは、現状分析である。このステップでは事業の仕組み全体を評価しながら、自分たちのビジネスの強みと弱み、脅威と機会について浮き彫りにしなければならない。

 ヤマト運輸の場合、現状分析は基幹部門のトラック運送の業績悪化から始まった。ヤマトは1919年に設立され、近距離輸送で成功を収めたが、戦前のその成功体験が災いして長距離輸送に出遅れてしまう。創業者の考えもあって、「トラックの守備範囲は100キロメートル以内でそれ以上の距離の輸送は鉄道の分野」と固く信じられていたためである。

 東京─大阪の長距離輸送に参入できたのは1959年であり、既に他社が主だった荷主をおさえた後のことであった。なんとか、大口荷主の顧客を獲得したが、利益率は低い。1960年には3・1%あった経常利益率が、1965年には1・7%にまで落ち込んでいった。

 小倉氏が、なぜ儲からないかについて徹底的に調べ上げた結果、小口輸送のほうが料金は高いことが判明した。ちゃんと計算してみると、50個口だと1個あたり200円、5個口だと1個あたり300円と1・5倍の差があった。

 競合他社の荷物構成はどうなっているのか、小倉氏はこっそり大手ライバルの支店を覗きに行った。出張のついでに、荷物の積み降ろしの現場に行って観察したという。その結果、ライバルのほうが小口の取り扱い数が多く、ヤマト運輸の利益率が低いのも当然であることがはっきりしたそうだ。

広い範囲から参照モデルを選ぶ

第2のステップは、参照対象としてのビジネスモデルを見つけるという作業である。参照モデルは、できるだけ広い範囲から探すのが望ましい。最終的に、お手本とするモデルを多様な選択肢の中から選べるし、複数のモデルから青写真を描ける場合もあるからだ。

 ヤマト運輸の場合、複数のモデルがあったが、基本的な戦略については牛丼の吉野家からヒントを得たようである。当時、吉野家は、いくつかあった料理のメニューを考え直し、牛丼1つに絞り込んでいた。小倉氏は、サービスの多角化によって利益率を落としたヤマト運輸を顧みて、「吉野家のように思い切ってメニューを絞り、(利益率の高い小口輸送である)個人の小荷物しか扱わない会社」になるべきだと思った。実際に宅急便を開始して4年目の1979年、ヤマトは商業貨物の大口取引先2社との取引を解消し、小口の宅配輸送の宅急便事業一本に絞り込んだ。

 話を事業開始前に戻すと、小倉氏は、個人宅配事業の仕組みについては、それまでも、いろいろと思考実験を繰り返していた。そんな彼がアメリカへの出張において、お手本となるモデルとの運命的な出会いを果たす。

 「UPSの集配車がニューヨークの十字路の回りに四台停まっている。それを見て、私は、はっと閃いた。ネットワークの収支は、全体の損益分岐点を越すか越さないかが問題だが、いまひとつ、集配車両単位の損益分岐点というものがあるのではないか」

 確信を得た小倉氏は、集配車1台ごとの収支計算をしてみた。人件費、ガソリン代、減価償却費などはほぼ一定だとすれば、結局、1日にどれぐらいの荷物を運べるかという作業効率が問題になる。小倉氏は、UPSをお手本にモデリングすることによって、損益分岐点がどのぐらいであり、何年ぐらいでその分岐点に達することができるかを試算した。この試算から「一台当たりの集荷数を増やすことができれば絶対に儲かる」ということがわかったのである。こうして、個人向けの宅配事業の青写真が出来上がっていった。

 そうはいっても、一般の個人から個人への宅配サービスというのは、世の中に存在しない。ヤマト運輸にとっても未知の世界であった。荷物の総量を増やすためには、一般の人にサービス内容を理解してもらわなければならない。

 その商品化イメージのお手本になったのが、日本航空の「ジャルパック」である。ジャルパックの新しさは、素人でも海外旅行に行けるように、チケットや宿泊をパッケージ化したところである。旅行というのは1人ひとり、目的も行き先も異なる。一般の人が気軽に行けるという時代ではなかっただけに画期的だった。

 そこで小倉氏は個人向けの宅配も、家庭の主婦にもわかりやすいように、サービスの商品化を追求した。料金は「地域別均一料金」として、日本の地理に詳しくなくても納得してもらえるようにした。また、原則として、「翌日配送」とした。こうして、「地域別均一料金」と「翌日配送」という商品パッケージが生まれたのである。

青写真を描くためのコンセプト作り

モデルを見つけてそれを分析すれば、自社が目指すべき青写真も明らかになっていく。海外の先進ビジネスをお手本にしたり、国内の異業種のビジネスをお手本にするだけで有効な青写真が描けるようになる。

 ただし、実現可能な青写真にするためには知恵を絞らなければならない。とくに、理想と現実のギャップがあるときには、何らかのイノベーションが必要とされる。青写真を実現しようにも、自社の経営資源が足りないような場合、矛盾を解消するなどしてコンセプトを創造しなければならない。

 ヤマト運輸は、アメリカのUPSの輸送事業をベースに、吉野家の戦略的発想やジャルパックの商品化手法を組み合わせて有効な青写真を描いた。

 しかし、宅急便には大きな不安があった。宅配のニーズというのは偶発的に生まれるため予測が難しい。また、どこへ配送するかも集配しに行ってみなければわからない。偶発的かつ散発的であるため、集配が著しく非効率となり、採算性など考えられない、というのが当時の業界の常識であった。

 小倉氏は、なんとか事業化したいという一心で、この常識を疑うことから始めた。考えに考え抜いた末、1つのことに気づいた。個々の需要は偶発的に起こるとしても、ある地域から別の地域というように大きく括れば、一定の荷物が安定的に流れているはずだと。

 問題は、散在している小荷物をいかに1つひとつ拾い上げていくかである。小倉氏によれば、それは、「一面にぶちまけてある豆を、一粒一粒拾うこと」に等しい。ヤマト運輸の支店に持ち込ませるといっても、一般の人はどこにあるかさえ知らない。集荷の依頼の電話があってから出向いていたのでは時間がかかる。いかにして、散在する荷物を集めればよいのか。

 その答えが、馴染みのある米屋や酒屋に扱ってもらうという発想だった。さっそく、組合の幹部も交えてワーキンググループを編成して、新しい事業のコンセプトを「宅急便商品化計画」としてまとめた。その青写真は、米屋、酒屋を取次店として荷受けを行い、原則として500円程度で翌日配送を1個口から受け付ける「宅急便」というサービスであった。