断末魔の拓銀、半年で大口定期性預金の4割流出 内部文書で明らかに

17日で経営破綻から20年

 北海道新聞は、1997年11月に経営破綻した北海道拓殖銀行(拓銀)で、96年以降に幹部で共有していた内部文書約3千枚を入手した。それによると、資金繰り安定の基盤となる大口定期性預金(10億円以上)が、破綻1年前の96年秋から半年で4割近く、1兆円超も流出した。文書は、巨額の不良債権を抱えた上、信用不安による預金流出加速で資金繰りの面でも追い詰められた「最晩年」の様子を浮き彫りにする。道内外に衝撃を与えた拓銀破綻から17日で20年となる。

入手した文書は、日々の資金繰りの状況などを示す日報や、各現場からの報告書、当局とのやりとり記録、行内通達、メールなど。元行員ら複数の関係者が保管しており、破綻20年を機に北海道新聞に提供した。

 破綻1年前の96年11月、当時の橋本龍太郎首相が日本の金融市場の一層の競争力強化を目指す「金融ビッグバン」を宣言した。文書によると、拓銀の経営が本格的に切迫しはじめたのはそれ以降。拓銀も含めて不良債権比率が高い金融機関に対する信用不安が高まり、預金引き出しが加速した。

 文書によると、大口定期性預金の96年10月末の残高は2兆9千億円。これが97年3月末には1兆1千億円、38%減って1兆8千億円となった。特に多いのは3月で、1カ月で5千億円流出している。道内より本州の減少幅が大きかった。

信用低下「連日、正念場を迎えている状況」

別の文書には97年1月以降、格付け会社が拓銀の格付け見通しを引き下げたり、危険性を指摘するテレビ番組が放映されたりするたびに、株価下落と預金流出が進み、行内の危機感が高まっていったことが記録されている。

 生き残りを目指す拓銀は、同年4月に北海道銀行との合併を発表した。ただ、9月に交渉延期が発表されると急速に経営状況が悪化。そのころの日報には資金調達について、「連日、正念場を迎えている状況」「議論している時間はない。行動あるのみ」など悲壮な文言が並ぶ。