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死刑 事件ファイル

関 光彦 市川一家4人殺人事件

関 光彦 14時間で一家四人を殺害

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19歳未成年でありながら、関 光彦には異例の死刑判決

関光彦は元々が相当なワルで、暴力・盗み・強姦などは当たり前で、ケンカ用にナイフや警棒などを持ち歩いているほどだった。母や弟などは容赦なく殴り、祖父の金を盗んだ時には、そのことで怒った祖父に逆に腹を立て、祖父の顔面に蹴りを入れて眼球を破裂させ、祖父を失明させたこともある。

18歳の時(平成3年3月)千葉県船橋市内で一人暮らしを始める。同年10月25日、市川市内のフィリピンパブでホステスをしていたエリザベスという女性とフィリピンで結婚する。

関光彦19歳の平成4年 市川一家4人殺人事件

元々の事件の発端は、2月6日、光彦が市川市のフィリピンパブの顔なじみのホステスを連れ出し、自宅に二日間監禁したことに始まる。

翌々日の8日、二人のホステスは泣きながら店に戻り、光彦に監禁されたことを経営者に報告する。怒ったパブの経営者は、知り合いのヤクザに光彦の落とし前をつけてくれるように頼んだ。この日から光彦はヤクザに追われることとなる。 

11日、光彦はイライラしての行動か、東京都中野区の路上を歩いていた24歳の女性を襲い、鼻の骨を折るなどの怪我を追わせ、車に連れ込んで自宅に監禁し、強姦する。

一家四人殺害 事件の流れ 関 光彦

そしてその翌日の12日。後に自分の家族四人を惨殺されてしまう「15歳の少女」はこの日、関光彦に出会ってしまう。

光彦は買い物帰りの少女の自転車にわざと車をぶつけ、車で病院に連れて行った後、自宅に送ってあげるふりをして自分の家に少女を連れ込み、監禁して強姦した。

その際、少女の生徒手帳から名前と住所を書き写し、誰にもしゃべるな、と脅しをかけた。

くしくもこの日の夜、光彦は暴力団組長から呼び出しをくらい、先の、ホステスを監禁した件で売上損失分と慰謝料として200万円払うように強制された。もちろん断ることも出来ないし、そのような金を持っているはずもない。

月は変わって3月5日。連日ヤクザに激しい追い込みをかけられていた光彦は、すでに家に帰ることも出来なくなっていた。ここで光彦は、先日住所を書き留めておいた少女の家に押し入り、金を強奪することを思いつく。

平成4年3月5日午後5時ごろ。

光彦はその少女一家が住むマンションに押し入る。その時マンションにいたのは少女の祖母(83)一人だけであった。光彦は通帳を出すように迫ったが、拒否されたため祖母の首を電気コードで絞めて殺害した。

光彦はそのままマンションに居座り、他の家族が帰って来るのを待った。そして約二時間後、少女(15)と母親(36)が一緒に帰ってきた。

包丁をつきつけ「騒ぐと殺す」と脅し、母の首を後ろからつかみ、「黙ってうつぶせになれ」とうつぶせを強要。母が背中を見せたところを容赦なく包丁でメッタ刺しにして殺害した。光彦は床に流れた血を少女に掃除するように命じる。恐怖で凍りつきながら少女は黙々と掃除を行った。

間もなく4歳の妹が保母さんに連れられて帰ってきた。光彦はこの時点で二人殺しておきながら、少女に命じて食事を作らせ、光彦と少女と妹の三人で夕食を食べた。

間もなく妹は「おばあちゃんが寝てるから私も、もう寝る。」と言っておばあちゃんの部屋に入った。妹は、おばあちゃんが殺されているとも気づかず、遺体のそばで眠りについた。

通帳と印鑑の場所は父親しか分からない。光彦は父親が帰ってくるのを待つ間、少女に襲いかかり、強姦を始めた。

間もなくして父親が帰ってきた。いつもより早い帰宅だった。強姦の途中ではあったが、光彦は包丁を持って父親を待ち伏せ、いきなり左肩の辺りに包丁を突き刺した。

悲鳴を上げて父親が床に倒れる。

「現金でも通帳でもいいから200万出せ!」

倒れた父親を足蹴にしながら光彦が叫ぶ。父親は家族を守るため、通帳と印鑑の入った引き出しを教えた。口座に入っていたのは、銀行と郵便局を合わせて約360万。

「もっとあるだろう!」欲にまみれた光彦は更に上を要求した。

「(会社の)事務所に通帳と印鑑がある・・。」重症を負いながらも父親は答えた。

「取りに行くぞ! 親父の会社に電話しろ!」
もはや抵抗する気力の失せていた少女は、言われるままに父親の勤務先である編集プロダクションに電話し、これから通帳を取りに行くことを告げた。

会社に着くと父親の同僚たちが心配そうに事情を聞いてきたが、喋っては家に残っている父親と妹が殺されると思い、

「ヤクザがお父さんの記事が悪いと言ってお金を取りに来てるんです。通帳と印鑑があれば何とかなるからって・・。」とだけ言い、光彦のことは喋らなかった。

「大丈夫?」と聞かれたが「大丈夫です。」と答え、通帳と印鑑を受け取って会社を出た。

しかし少女が家に帰ってみると、無情にも父親はすでに殺されていた。一足先に帰った光彦がとどめを刺していたのだ。

朝になり、少女の家の電話が鳴った。昨日行った事務所の人が心配して電話をかけてきてくれたのだ。電話にはいったん出たものの、光彦に強引に切られてしまった。
「余計なこと話すんじゃねえ!」と、少女を怒鳴る。

怖がった妹が泣き始めた。「うるせえ!黙れ!」光彦は、泣いている妹に腹を立て、身体をつかんで背中から包丁を突き刺した。包丁は胸まで貫通した。

「痛い・・痛い・・」と苦しんでいる妹に対して、光彦は少女に「お前がとどめを刺してやれ!」と命令する。
しかし少女が硬直して動けないでいたため、光彦が首を絞めて殺した。

妹まで殺されて、少女はここで初めて光彦に抵抗したが、「お前も殺されてーか!」と、逆に包丁で腕や背中を切りつけられてしまった。

「殺される・・」
そう思った瞬間、突然家のドアがバーンと開き、警官隊が突入してきた。

さっきの事務所からの電話が不自然に切られたこともあって、事務所のスタッフが「様子がおかしい」と感じ、警察に通報していたのだ。現場に急行した警察官が外から様子を伺い、犯行を目撃した。そして事件と判断し、一気に室内に突入したのだ。

平成4年3月6日午前7時ごろ、ついに関光彦は現行犯で逮捕された。14時間における凶行は終わりを告げた。少女には毛布がかけられ救出されたが、祖母・母・父・妹は惨殺された。

逮捕された後も光彦は、平成元年年の綾瀬女子高生コンクリート詰め事件で誰も死刑になっていないことを引き合いに出し、「俺なんか楽勝でしょ。」などと語っていた。

「未成年が死刑になるはずがない。」、「とうとう少年院行きか。」ぐらいにしか思っていなかったというが、平成6年8月、千葉地裁が下した判決は死刑であった。

「金銭を工面するための犯行で動機に酌量の余地はなく、四人の命を奪った結果は極めて重大。犯行時、被告が少年だったことなどの事情を考慮しても死刑はやむを得ない。」

高裁、最高裁ともに上訴を棄却し、平成13年12月、死刑判決が確定した。「未成年であれば、どんな凶悪犯罪でも少年院で済む」と思っていた光彦の甘い考えは完全に覆(くつがえ)された。

岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 住田紘一

岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 住田紘一

sumita2017sikei0001平成23年9月30日、住田紘一(当時29歳)は、岡山市北区の元勤務先に退社手続きで訪問した際、同僚で派遣社員の加藤みささん(当時27歳)を言葉巧みに誘い出し会社の敷地内にある倉庫で強姦。その後、加藤さんの「命だけは助けて」という哀願も無視してナイフで10回以上刺して殺害。現金2万4千円も奪って、車で遺体を大阪市内の自宅近くにあるガレージへ運んで遺体をバラバラに切断して近くのゴミ捨て場や河川に遺棄した。

会社では、勤務中に加藤さんが行方不明になったことで大騒ぎとなった。だが、行方は杳としてつかめず警察に通報。岡山県警は、会社の防犯カメラに加藤さんと一緒に歩いている住田を割り出し重要参考人として手配。10月6日、大阪府警は自宅にいた住田を任意同行して取り調べたところ、犯行を認めたため殺人容疑で逮捕した。

岡山元同僚女性バラバラ殺人事件現場はベネッセ子会社シンフォーム

岡山市北区高柳東町の地域掲示板を調べれば、事件があったのはベネッセの系列会社シンフォームであることが判明。テニスコート近く、北側駐車場とのこと。

住田紘一死刑囚の殺人動機

住田は、犯行の10日前の9月20日に会社を退社した。犯行当日は、社員証を返却するため元勤務先に出向いた。手続きを終えた住田は、事前に強姦を計画していた3人の女性のうち、加藤さんを連れ出すことに成功した。住田は、元総務で、加藤さんは庶務を担当。2人は別のフロアで勤務しており、書類のやりとりをする程度の関係だった。犯行の動機は、「付き合っていた女性が別の男と結婚したため、むしゃくしゃした欲求不満を晴らそうと思った」と自供。実に短絡的な動機であった。

岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 住田紘一 裁判員裁判

殺害の事実について争いはなく、量刑が争点となった。
 2013年2月5日の初公判で、住田紘一被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、住田被告が交際相手とうまくいかなかったことなどから欲求不満で女性を強姦したいと常日ごろから思い、女性を乱暴して殺害しようと計画したと指摘。「顔見知りの中から好みの女性を3人選び、声をかけてついてきてくれたのが被害者だった」とし、「住田被告は『誰にも言わんから。助けて』と懇願する被害者を無視し、殺害した。殺害態様は残虐で、極めて悪質」と述べた。
 弁護側は「計画性があっても内容は稚拙。前科もない。被告が動機をすべて語っているわけではない」と述べるとともに、強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役だが、死刑判断の基準「永山基準」を説明して、「(死刑には)被害者の人数が重視される。住田被告の両親も更生に協力する。どの刑がふさわしいが考えてほしい」と裁判員に訴えた。
 同日の被告人質問で、住田被告はマンションの同じ階に住んでいた女性を襲う計画も立てたが失敗に終わり、諦めたと述べた。その後誰を狙ったか尋ねると検察側の質問に「今回の被害者を含む3人です」と答え、被害者の女性ら3人を標的にしたことを明かした。住田被告は、以前交際していた別の女性と結婚した男性にうらみを募らせ、男性殺害を計画していたことも明らかにした。検察側に「取り調べに『出所したら男性を殺す』と話していたが、今もそう思っているのか」と聞かれ、「もちろんです」と即答した。
 6日の公判で住田被告は検察官に「殺人という行為についてどう考えるのか」と問われると、「殺人は手段として是認される。目的達成のためなら殺すことも許される。思いとどまるのは、殺人を犯して自分が捕まるかどうか、だけです」と述べた。司法試験を受験した経験もある住田被告は「犯罪者は殺してしまえばいい」と持論を展開。「今、あなた自身が犯罪者だ」と問われると「自分だけは特別視しています」と話した。証人尋問で被害者の父親が「父として一人前の幸せを与えてあげられなかった。命尽きるまで娘に謝り続けたい」と声を震わせ、「住田被告からは一度も謝罪がなく、許せる日が来るとは思えない」と厳しい口調で話した。そして「最低でも死刑。本当は楽に死んでほしくない。つらかったり、苦しんだ結果、死んでほしい」と訴えた。
 7日の公判で住田被告は被告人質問で「本当はずっと謝罪したいと思っていた。死刑になりたくて悪いことばかり言った」と態度を一変。「ごめんなさい」と涙を流した。

 8日の論告で検察側は「計画的な犯行で残虐、極めて悪質。遺族の処罰感情はしゅん烈だ。更生の可能性はない。被害者が1人であることも酌量すべき事情とならない」などとして死刑を求刑した。遺族は被害者参加制度を利用し「最低でも死刑を」と訴えた。被害者の父親はこの日、証人尋問で「私たち家族をどこまで愚弄する気か。昨日、被告が見せた涙は、悔いた涙とは思えない」と話した。弁護側は最終弁論で「計画は稚拙。犯行直前に婚約が破談になるなど同情すべき点がある」と主張。強姦や強盗目的などの事件の真相は、起訴後の被告の自主的な告白によって判明したことに加え、意図的に心情を悪くする発言をしたことにも触れ、「被告なりに命をもって償おうとしていた。極刑を言い渡すにはなお躊躇する事情もある」と訴え、無期懲役を主張した。一方で、被告は「今の私にできることは最も重い罪を受けること」と陳述した。
 判決で森岡裁判長は、住田被告が犯行場所を下見し、凶器のバタフライナイフを事前に用意するなど、「全体として入念に準備された計画性の高い犯行だ」と指摘。「被害者は強姦された上、必死の懇願もむなしく何度も刺され、無残にも殺害された」と犯行の残忍性と強固な殺意を認定したその上で、公判開始まで遺族に謝罪しなかったことなどから「反省や謝罪は不十分で、更生の可能性は高いとはいえない」と断じた。そして住田被告に前科前歴がないことや起訴後に検察官に性的暴行などを告白した点に触れ、「殺害された被害者は1人だが、結果は重大であり、死刑を回避するほど特に酌量すべき事情があるとはいえない」とした。

 弁護側は即日控訴した。3月28日付で住田被告は控訴を取り下げ、確定した。住田被告は弁護人に「判決結果は当初から受け止めようと思っていたが、迷いがあった。本当に申し訳ない。被害者に対して思いをはせ、自分にできる供養をしたい」と話したという。

住田紘一 20170713死刑執行

スナックママ連続殺人 西川正勝 旧姓・金田正勝

スナックママ連続殺人 西川正勝 旧姓・金田正勝

kaneda2017sikei0001平成3年12月13日に姫路市、21日に松江市、26、28日に京都市で計4人の女性スナック経営者(45〜55歳)が首を絞められたうえ刃物で刺されて死亡。現金などが奪われた。警察は同一犯の犯行と断定、鳥取市生まれの西川正勝・死刑囚を指名手配した。西川死刑囚は翌年1月5日、大阪市天王寺区のアパートで落語家の桂花枝さんを襲い、10日間のけがを負わせたうえ、現金14万円を奪って逃走。7日朝、大阪府警に逮捕された。取り調べに対し一連の犯行を全面自供。公判で全面否認に転じたが、17年6月、最高裁で死刑が確定した。

スナックママ連続殺人 警察庁広域重要指定119号事件に指定された

4人連続殺人

平成3年12月12日、兵庫県姫路市のスナック経営者・正木久美子さん(当時45歳)を首を絞めたうえ刃物で刺殺。

同月21日、島根県松江市のスナック経営者・高橋文子さん(当時55歳)を同様に殺害。

同月26日に京都市のスナック経営者・原田京さん(当時55歳)を同様に殺害。

同月28日に京都市のスナック経営者・村上紀子さん(当時51歳)を同様に殺害。

いずれも、深夜に1人で店を開けている小さなスナックで、西川は客がいなくなるのを見計らって犯行におよんだ。警察は、17日間で4人を殺害するという前代未聞の凶悪事件で犯行手口が似ていることから同一犯人と断定し広域重要指定119号に指定した。

捜査本部は、犯行現場のうち姫路のスナックで犯人と思われる指紋を採取した。その指紋を前科者指紋カードと照会したところ、西川であることが判明したため、12月30日に全国に指名手配し行方を追った。

死刑囚 金田正勝に殺されかけた女性落語家、恐怖の体験

kaneda2017sikei0002午後、自宅にいると、府警旧庁舎2階の産経記者ボックスからポケベル連絡がきた。詰めていたサブキャップが電話の向こうで興奮気味に話す。

 「天王寺でタタキ(強盗事件のこと)が発生した。宿直明けの若手を現場に行かせたら『どうも様子がおかしい。京都や兵庫の捜査員がいる』との連絡や。119号のからみかもしれん。君も現場へ急行してくれ」

 飛び乗ったタクシーの中でいてもたってもいられず、自動車電話をかけまくって情報を集めた。

 自分が到着するまで現場はどんな状況だったのか、当時一番乗りした後輩に思い出してもらった。

 後輩は事件のあったマンションを見ているうち、妙な違和感を覚えたという。「これまで経験したタタキの発生現場と何か違う…」。大阪府警の機動捜査隊員が聞き込みをしたり、所轄署の制服警察官が現場保存の立ち番をしたりしているのはいつもと変わらない。が、その周囲で雰囲気の違う私服刑事が遠慮がちに動き回っていた。

 思い切ってその一人に声をかけると「自分は京都府警のもんや。あっちにおるのは兵庫県警や」と教えてくれたという。

 「ということは…」。通常のタタキで京都府警や兵庫県警が大阪まで出てくる訳がない。みるみる血の気が引くのがわかった。社会部デスクにタクシーの自動車電話から状況を連絡すると、「119かっ!」と電話口で声が震えていたという。

タタキの被害者は意外なことに、女性落語家の桂花枝(現・桂あやめ)=当時(27)=だった。

 西川は「隣に引っ越してきた」と笑顔であいさつに訪れた。「電話を貸してほしい」というので番号を回して受話器を渡したら「ガーッと鬼のように襲ってきた」という。花枝は花瓶を投げつけて抵抗したが、首を絞められて失神。目が覚めたら再び首を絞めてきた。要求に応じて現金を渡すと、驚くほど冷静で優しい態度になり、「二度と罪は重ねない」と手をつきながら謝って立ち去ったという。

 翌日午後、大阪市中央区の吉本興業本社で記者会見した花枝は「目をつぶると襲われた場面が浮かんで怖い。生きていられて本当に良かった」と恐怖の体験を気丈に話した。

 男は再び姿をくらました。潜伏先の手がかりをつかもうと、警察に交じり産経取材班も聞き込み(通称・コミ)を行った。これまでの経験上、コミで犯人の所在がつかめたことは一度もない。それでもやるのは「もし、つかめたら特ダネ」だからだ。事件取材の原動力はこの「もしつかめたら」の期待に負うところが非常に大きい。

 7日朝、西川は花枝のアパートから東へ400メートルほど離れたマンションで、観念したように無抵抗で逮捕された。前日夜からそのマンションの母子2人暮らしの部屋に「親夫婦の仲が悪くて一緒にいられない。しばらく置いてほしい」とうそをついて上がり込んでいた。母親は幼いわが子を守るため徹夜で身の上話を聞き、出頭を促したという。

 西川は幼少時に両親と死別するなどし、母親の姿を日々追い求めたという。そんな中で中年のスナックママに近づいたが、拒絶され…。不幸な生い立ちであったが、あまりに極端な思考形態だった。

金田正勝の生い立ち

西川は、鳥取県で姉4人の末っ子として出生。9歳の時に母親を失い、父親は土木作業員で出稼ぎに出たまま行方不明になった。中学に入ると非行に走り、養護施設や少年院に送致された。1974(昭和49)年7月、18歳になった西川は鳥取市でスナックのママ(26)の営業態度を勘違いし、いきなり関係を迫って抵抗されたため殺害し松江刑務所に10年間服役した。

松江刑務所を出所した1979(昭和54)年、西川は松江駅前のパチンコ店に就職したが、出所後2ヶ月にして強盗致傷事件を起こし再び刑務所に戻る。結局、懲役7年の刑を受け1991(平成3)年10月に鳥取刑務所を出所。鳥取刑務所を出所してから2ヵ月後の1991(平成3)年12月、姫路のスナック・正木さん殺害から連続4人の殺人が始まったのだった。

18歳以降、刑務所暮らしは17年間で社会にいたのは僅かに5ヶ月間だった。1995(平成7)年9月の大阪地裁、1995(平成13)年6月の大阪高裁はともに西川に対して死刑判決を下している。2005(平成17)年6月7日、最高裁は西川の上告を棄却して死刑が確定した。

金田正勝 死刑執行

平成3年に京都や松江などでスナックの女性経営者4人を殺害した罪に問われ、死刑が確定した西川正勝、旧姓・金田正勝死刑囚と、平成23年に岡山市で元同僚の女性を殺害した罪に問われ、死刑が確定した住田紘一死刑囚の死刑が、7月13日午前、執行されました。

岩手母娘殺害事件 若林一行

岩手母娘殺害事件 若林一行

wakabayashishikei20150001平成15年7月19日午後3時頃、塗装工の若林一行(当時29歳)は、金員と乱暴目的で岩手県洋野町の会社員女性(当時52歳)宅に侵入。5時過ぎに帰宅したこの女性を乱暴しようとしたが抵抗されたため首を絞めて絞殺。更に、6時頃に帰宅した次女(当時24歳)も同様に殺害して、現金22000円などを奪って逃走した。若林は、塗装会社を辞めて自立したが業績は芳しくなく殆ど仕事が無かった。更には遊びで400万円の借金があり生活が困窮していた。

犯行時間に白い軽トラックが停まっていたとの目撃情報から若林が逮捕された。平成24年1月16日最高裁は若林の上告を棄却して死刑が確定した。

岩手県洋野町母娘強盗殺人事件

2006(平成18)年7月19日17:00頃、岩手・九戸郡洋野町種市に住む上野紀子さん(52)と、二女の友紀さん(24)が、勤務先をそれぞれ乗用車で出た後、消息不明になった。

連絡が取れないことを不審に思った親類が久慈署に通報し、22日午後、同署員が無人の自宅の1階和室に血痕があるのを確認した。

紀子さんの車は自宅前、友紀さんの車は自宅近くの空地に置いたままで、現場の状況や上野さん親子に家出の理由もないことから、捜査本部は2人が何者かに連れ去られた可能性が高いとみて捜査を開始した。

行方不明になる前後に、上野さん宅がある集落で、住民に不審な白い軽自動車が目撃されていたことが判明。ナンバーの捜査などから、ある男が浮上した。

久慈署は男を任意で取り調べた。

7月25日未明、男は二人の殺害を自供したため、緊急逮捕した。

wakabayashishikei20150002男は青森・八戸市沢里の塗装工・若林一行(29)。若林には妻と子供2人がいた。

若林は2005(平成17)年9月に勤めていた塗装会社を辞めて独立。自営で塗装業を始めたが、ほとんど仕事がなく実質的には無職の状態だった。その一方でパチスロや釣りにのめりこみ、多額の借金を抱え、昨年春ごろから空き巣を繰り返すようになった。

事件前日も空き巣に入る家を探しに洋野町を訪れ、そこで偶然見つけたのが上野さん宅だった。室内を物色中に女性だけの所帯であることを知ると「ロープで縛り上げて現金の隠し場所を聞き出し、乱暴もしてやろう」と欲望を膨らませた。

犯行当日、運転してきた軽トラックを茂みに隠し、覆面や軍手を着用して再び侵入。CDやゲーム機など金めの物を物色した後、凶器のすりこ木を用意し、静かに息を潜めた。すりこ木には滑らないよう輪ゴムを何重にも巻きつけた。

帰宅後、玄関で飼い猫を呼ぶ紀子さんに背後から忍び寄ると、すりこ木で頭部を強打。紀子さんが激しく抵抗し、覆面が取れると逆上。頭部を何度も殴り付け、最後には馬乗りになって首を絞めつけた。その後「どうせなら徹底的にやってやる」と、友紀さんに対しては、いきなり目の前に飛び出し、最初から殺意を持って襲い掛かった。

殺害後二人の遺体を毛布にくるみ、山林に遺棄。帰り道ではパチンコ店に立ち寄った。犯行の4日後には遺棄現場に戻り、遺体の上にトタンをかぶせて隠ぺい工作を図った。

若林は、子供の養育費にまで手を付けるほどパチスロにのめり込み、事件直前の借金は400万円に上った。家賃も2ヶ月分を滞納し、大家には「20日までに払います」と約束していた。そのため、金の工面に困った若林は、前日の19日に上野さん宅を襲った。

若林は青森県の五戸町の出身で、同市立の小中学校に通い、1995年に県立高を卒業後、同市内の電気機器製造会社に就職した。だが、4年後の1999年5月に辞めた後は、五所川原市内の自動車販売店など2社を約半年ごとに転職。2000年7月に建築関連会社に就職した。

同社の関係者は「(若林容疑者は)塗装の経験がなかったため、最初は見習で入社し、次第に上手になった。仕事場では目立たないが、勤務態度はまじめで、仲間内でのトラブルもなかった。社内に友人はいないようだったが、子供のことは聞かなくても、向こうから話しかけてきた」と言う。退職後については「以前、会社にいた別の人間と一緒に(塗装関係の)店を始めたと聞いたことがある」と話した。

近所では「家庭的な父親」と評判だった若林一行

逮捕された青森県八戸市の塗装業・若林一行容疑者(29)には、妻と子供がいて、家庭的な父親として評判でした。近所の人によると、若林容疑者は、妻と子供2人の合わせて4人で暮らしていました。自宅近くを子供を連れて散歩するなど、感じの良い父親に見えたということです。

岩手母娘殺害事件 若林一行

事件当時年齢 29歳
犯行日時 2006年7月19日
罪 状 死体遺棄、住居侵入、強盗殺人、強盗強姦未遂、窃盗、邸宅侵入、住居侵入未遂
事件名 岩手県洋野町母娘強盗殺人事件

岩手母娘殺害事件 若林一行 死刑執行

2015.12.18執行 39歳没

川崎アパート3人殺害事件 事件概要

川崎アパート3人殺害事件 事件概要

川崎市幸区中幸町1-54のアパート「幸栄荘(写真)」で大家の男性と弟夫婦の3人を刺殺した殺人事件。幸署によると、殺人容疑で現行犯逮捕された無職・津田寿美年(57・写真)は、平成21年5月30日午前6時50分頃、アパート「幸栄荘」隣に住む大家の柴田昭仁さん(73)と同アパートに住む弟の嘉晃さん(71)、嘉晃さんの妻・敏子さん(68)の3人を柳刃包丁で刺した疑い。
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同容疑者は逮捕時、泥酔状態で自室の畳に凶器とみられる刃渡り約20センチの包丁を突き刺して座っていた。

嘉晃さんと敏子さんはそれぞれ窓際で横向きになって倒れ、昭仁さんはアパート前であおむけで倒れていた。

昭仁さんの次女(39)が3人が刺されているの発見し、110番。3人は搬送先の病院で死亡が確認された。

津田寿美年は、昭仁さんの自宅に隣接するアパート1階の家賃3万円の角部屋に5年前から入居。

同じ1階の2部屋に嘉晃さん夫妻が住んでいた。同署によると、津田容疑者は「柴田さん一家に長年の恨みがあったので刺した」と容疑を認めている。

同署や近隣住民によると、津田容疑者は隣室に住む嘉晃さん夫妻について数か月前から「未明から洗濯機を回してうるさい。不眠症になっている。洗濯機に穴を開けてやる」や 「ドアを閉める音がうるさい」などと不満を漏らしていた。

階段の上り下りなどの生活音をめぐって、夫妻と口論になることも多かった。

さらに「アパートの家賃を滞納して(昭仁さんに)注意された」や「小言を言われてうるさい」とも話していた。

「嘉晃さんから『(自分が)大家の弟ってことを忘れているだろ』と言われて怒っていた」との証言もある。

「右腕に入れ墨があるから、近所でも怖がられていた」(商店街の住民)という津田容疑者は酒に酔ってトラブルを起こすこともあったようで、ある男性は「知り合いが頭突きされたことがある。近寄りがたい感じだった」と話す。
川崎アパート3人殺害事件 事件概要
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「長年恨みがあった」3人刺殺容疑者…大家と店子の間に何が

川崎アパート3人殺害事件 津田寿美年

川崎アパート3人殺害事件 津田寿美年

平成21年5月30日午前6時30分過ぎ、神奈川県川崎市内のアパートで、一階に住む無職津田寿美年(当時57歳)が生活音がうるさいと隣室の夫婦(夫71歳、妻68歳)を包丁で刺して殺害した。更に、この騒ぎで駆けつけたアパートの大家で殺された男性の実兄も玄関先で同様に刺して殺害した。犯行後、津田は自室に戻ったところを警察官に現行犯逮捕された。

tsudashikei20150001mig津田は、取調べで、「隣室夫婦がドアの開閉、洗濯、掃除の生活音がうるさくで不眠症になった」と自供した。だが、警察の調べでは、同じアパートの住人からは、そのような証言は得られなかった。

平成23年7月4日、津田は控訴を取り下げて死刑が確定した。

犯行の動機 川崎アパート3人殺害事件 津田寿美年

「入居してから(隣に住む)弟と仲が悪くなり、弟の妻に対しても洗濯機などの生活音が原因で不眠が重なり不満がたまっていた。兄に対しても、弟夫婦の味方をするのを不満に思っていた」

警察の調べによると、他のアパート住民から生活音がうるさいとの証言は得られなかった。つまり、生活音ではなく、不仲が一番の原因だと推測できる。

川崎アパート3人殺害事件 津田寿美年 死刑執行

2015.12.18執行 63歳没
川崎アパート3人殺害事件 事件概要
川崎アパート3人殺害事件 津田寿美年
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宇土・熊本3人強盗殺傷事件 田尻賢一

宇土・熊本3人強盗殺傷事件 田尻賢一

shikei201611110001mig熊本県宇土市医師妻強盗殺人事件

 2004年3月13日、熊本県宇土市走潟町で午後3時40分頃、ゴルフ練習場から帰宅した医師が、自宅玄関で当時49歳の妻が血を流して倒れているのを見つける。妻は頭に殴られた跡が複数あり、顔を刃物で刺され、失血死していた。室内には血の付いた包丁が落ちており、物色した跡があった。

熊本市会社役員夫婦強盗殺傷事件

2011年2月23日午後6時40分頃、熊本市渡鹿2丁目の民家から「男が大声を上げて、玄関をたたいている」「隣の人が血を流して倒れている」と2回にわたり110番通報があった。熊本東署員が駆け付け、民家の玄関近くで男性が、隣家の中で女性がそれぞれ刺されて倒れているのを発見し、救急車で病院へ搬送。病院で65歳女性の死亡を確認、72歳男性は重傷。

2011年2月25日午後4時頃、熊本市長嶺東5丁目の無職の39歳男が家族に付き添われて熊本東署に出頭。26日未明、熊本市渡鹿の72歳会社役員方で、妻の65歳女性が刺殺され、72歳男性も重傷を負った事件で、熊本東署捜査本部は、殺人、殺人未遂容疑で無職の39歳男を逮捕。容疑を強盗殺人、強盗殺人未遂に切り替え、39歳容疑者を送検。3月19日、熊本地検は、強盗殺人、強盗殺人未遂罪で、無職の39歳容疑者を起訴した。

 その後、39歳男は、県警の調べで宇土市の事件を実行したことを認める供述をはじめる。県警は、男が宇土市での事件当時着ていたとされる衣服を男の供述通りに熊本市富合町の山中で発見した。

 3月26日、熊本県警は、熊本県宇土市で2004年、医院長の49歳妻が殺害された事件で、無職の39歳男を強盗殺人、住居侵入容疑で再逮捕。4月16日、熊本地検は、強盗殺人、住居侵入罪で無職の39歳容疑者を追起訴した。

法務省 死刑囚(45)の死刑を執行

法務省 死刑囚(45)の死刑を執行

法務省は11日、死刑囚1人の死刑を執行した。死刑の執行は今年3月以来で、金田法相のもとでは初めての執行となる。

 死刑が執行されたのは2件の強盗殺人などの罪で死刑判決が確定していた田尻賢一死刑囚(45)。田尻死刑囚は2004年、熊本・宇土市で女性を殺害し現金などを奪い、2011年には熊本市で女性を殺害し、現金を奪ったとして、2件の強盗殺人などの罪に問われていた。

 一審の熊本地裁は裁判員裁判で死刑判決を言い渡し、二審の福岡高裁もこれを支持、田尻死刑囚が最高裁への上告を取り下げたため2012年に死刑が確定していた。

 裁判員裁判で死刑判決を受けた死刑囚としては2人目の執行となる。死刑執行は今年3月以来で金田法相のもとでは初めての執行となる。今回の執行で確定死刑囚の数は129人となった。

矢野治死刑囚 伊勢原で遺体発見「週刊新潮」に矢野治死刑囚が告白した殺人事件の全容

矢野治死刑囚 伊勢原で遺体発見「週刊新潮」に矢野治死刑囚が告白した殺人事件の全容

yano20160419yano0001前橋スナック銃乱射事件(2003年)で死刑が確定した、指定暴力団、住吉会の幹部・矢野治(67)が獄中から新たに告白した殺人を巡り、警視庁と神奈川県警は19日、津川静夫さん(失踪時60歳)と見られる遺体を発見した。

矢野が警視庁と本誌(「週刊新潮」)に対し、警察も把握していなかった2件の殺人を告白する手紙を送ってきたのは、一昨年末と昨年5月のことだ。本誌は取材に1年余りを費やし、彼が明かした事件の全貌を報じた。

 闇から闇に葬られた殺人事件の犠牲者は、2人いる(図参照)。最初の被害者が、1996年8月に家族の前から忽然と姿を消した、不動産業者の津川さんだった。小田急線伊勢原駅前の再開発をめぐり、津川さん所有の土地を奪おうとした住吉会系組織の若頭が矢野に殺害を相談。彼がこれを別の組長に依頼した結果、津川さんは、その配下の組員に殺害されたというのである。

そしてもう一人は、1997年、政界を揺るがした事件のキーマンとして、社会の耳目を集めた人物だった。現役の国会議員、友部達夫(故人)が多くの国民から多額の金を騙し取った「オレンジ共済事件」。この事件に絡み、5億円もの金を新進党に運び、政界工作を仕掛けたとされた斎藤衛である。“永田町の黒幕”と呼ばれた彼は、2度も国会に証人喚問された。

 その斎藤と知り合いだった矢野は、彼に1億円ほど金を貸していた。しかし8600万円が焦げ付いたことを機にトラブルとなり、自らの手で絞殺したという。

yano20160419yano0002いずれのケースでも、矢野の指示を受け、死体を遺棄したのは、彼が率いた「矢野睦会」の元組員、結城実氏(仮名)だった。

 このうち、最初の伊勢原の事件の捜査を優先してきた警視庁が、津川さんの遺体の捜索に着手していた。もっとも、当初、警察は矢野の告白を握り潰そうとしていた節がある。1年以上に亘り事案を完全に放置していたからだ。

この間、本誌は結城氏に接触し、全容を明かすよう、説得を重ねた。結果、ついに彼は重い口を開き、こう証言してくれたのだ。

「津川さんの死体は、伊勢原の大山の林道脇にあるブナの雑木林に穴を掘り、埋めた。斎藤については、木村洋治(仮名)という組員とともに、埼玉の飯能あたりの山中の雑木林に遺棄した」

本誌の報道を受け、警視庁は慌てて、結城氏への任意聴取に着手し、今日に至ったというわけだ。

■動機は10億円利権

yano20160419yano0003遺体捜索はどう行われていたのか。捜査関係者の解説を聞こう。

「津川さんの失踪直後、奥さんが、神奈川県警に捜索願を出していました。現場が伊勢原ということもあり、警視庁と神奈川県警の共同捜査となりました。またユンボなどの重機が入れられない斜面なので、スコップなどでの手作業だったようです。また結城元組員も、現地に伴いました」

 それにしても、なぜ津川さんは、暴力団絡みのトラブルに巻き込まれたのか。

「彼は1982年、伊勢原駅前の350平方メートルの土地を競売により2309万円で落札した。物件を更地にして転売しようと考え、ビルのオーナーやテナントに明け渡しや退去を求め、裁判を起こしました」(知人)

 紆余曲折を経て、勝訴が確定したのは今から丁度20年前の7月のことだった。

「すでに90年には、駅前一帯は伊勢原市による再開発計画が決定していた。本人は“うまくいけば、市が10億円で買いとってくれる”と興奮していました」(同)

 しかし好事魔多し。この間、津川さんは会社の資金繰りに窮していた。

「そのため、ある金融業者を通じ、暴力団幹部から1700万円の融資を受けてしまっていた」(同)

 この暴力団幹部こそ、先に述べた住吉会系組織の若頭だったのである。彼は、この土地を奪って、大儲けしようと目論んだのだ。

 当時の状況を、津川さんの妻はこう振り返った。

「忘れもしない20年前の8月10日、伊勢原の自宅で寛いでいた主人は、宅急便を名乗る電話の男に呼び出され、サンダル履きで外に出かけて行きました。それっきり帰ってこず、私たちの時間は止まったままです」

 津川さんは自宅近くで犯人の車に乗せられ、絞殺されたという。若頭が、津川さんから担保に取っていた土地の権利証などを使って、所有権を自分に移したのはこの2日後のことだった。

 遺体発見前、津川さんの妻は本紙にこう打ち明けていた。

「私は仏壇も遺影も作らず、夫を待ち続けました。しかし殺害され、埋められたのが事実なら、一日も早く、骨だけでもいいから、私の元に帰ってきてほしい」(同)

 凍りついた失踪の謎は氷解した。止まった時が今、再び動き出そうとしている。

福岡連続保険金殺人事件 吉田純子

福岡連続保険金殺人事件 吉田純子

保険金詐欺を2件も働き、死刑判決を受けた吉田純子死刑囚。こんな母親でも、子供からすれば大切な親です。そんな吉田純子には子供が3人います。3人とも娘です。

2016032500032015-12-17_0032311959年生まれの吉田純子は
•1983年:24歳?で長女を出産。
現在32歳?
•1987年:28歳?で次女を出産。
現在28歳?
•1989年:30歳?で三女を出産。
現在26歳?
と、3人の娘をもうけました。

3人ともまだ若く、テレビで吉田死刑囚の話題が出る度に、肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか?

吉田純子の異様な人間性は、生い立ちによって形成された可能性がありますので、経歴をWiki風に調べてみました。

吉田純子プロフィール

1959年 7月10日

福岡県柳川市(旧山門郡三橋町)で誕生

生い立ち

•吉田純子が幼い頃に父親が自衛隊を辞め、自動車修理を開業するもあまり上手くいかず、貧乏な生活を送る。
•よって母親が内職をして家計を支えていた。
•吉田には4歳下の頭脳明晰なスポーツマンの弟がいて、母親に可愛がられていた。
•それに対し、吉田純子には厳しく、時として体罰を与えていた。
•父は母に対して当り散らす事があり、また、母は稼ぎの少ない父の事を愚痴っていた。
と、この様な環境ですから、吉田純子が両親になつく事等まずありえないでしょう。

両親も出来の良い弟も、全員敵みたいなものですからね。

そしてそういった生い立ちのせいなのか、吉田純子は小さい頃から虚言癖があったようです。

1966年 6歳

柳河小学入学。

1972年 12歳

柳河中学入学。

1975年 15歳

私立佐賀女子高校衛生看護科に入学。1人で奨学金制度の書類を揃え、手続きを行う。もうすでに精神的に自立して両親を頼っていないですね。

1978年 18歳?

妊娠したという嘘を付きカンパを集める詐欺行為を行ったため、2ヶ月の停学。この頃から詐欺師の片鱗を見せていました。

1979年 18歳

聖マリア看護専門学校(現聖マリア学院短期大学)へ入学。
ここで後の共犯者の
•池上和子
•石井ヒト美
•堤美由紀
と知り合います。

吉田純子がリーダー的存在となります。

1981年 22歳

6歳年上の久留米市の自衛官の吉田浩次さんと結婚します。夫の実家で結婚生活を始めます。

そして浩次・純子の夫妻揃って、浩次さん祖母の養子になるという不可思議な行動をします。
これは、浩次さんの祖母の遺産を相続するのが狙いでしょう。祖母が亡くなった場合は、本来なら浩次さんの父親に遺産が相続されますからね。

浩次さんを既に洗脳しているのです。大した詐欺師ぶりですね。

そして冒頭で述べた様に、3女を出産します。

1990年 31歳?

狙い通り、祖母の土地を相続。この土地を担保に3000万円もの借金をし、贅沢をする。見栄っ張りの吉田純子ならではの行動です。

1992年 33歳?

夫の浩次さんと別居し、堤美由紀が同居するようになる。そして堤美由紀の給料も管理するようになる。マインドコントロール能力が高いですね。

1993年 34歳?

同僚看護婦から借りた50万円踏み倒す。

1994年 35歳?

同僚看護婦から借りた100万円踏み倒す。金額がエスカレートしています。

そして架空のトラブルをでっちあげ、架空の「先生」に解決策を指南してもらったと嘘を付き、同僚看護婦の石井ヒト美から750万円を騙し取っています。

1996 37歳?

同様に架空のトラブル及び「先生」をでっちあげ、池上和子から合計3900万円を騙し取っています。

久留米市野中町ムーンパレス兇903号を購入します。
最上階で、4LDKの広さの間取りに贅沢に1人で住みます。
騙し取ったお金で購入したと思いきや、夫の浩次さんにローンを組ませたのです。
本当に天才詐欺師ですね。

そして
•堤美由紀に405号(3LDK)
•石井ヒト美に306号(3LDK)
•池上和子に102号(3LDK)
をそれぞれ購入させ、自分は最上階でリーダー風を吹かせます。

しかし、3人とも随分お金を持っていますよね。

1997年 38歳?

点滴ミスを理由にいちゃもんを付け、同僚看護婦から1000万円を騙し取っています。払う方も払う方ですね。

現在の吉田純子

これだけ多くの大人達が、何千万円とお金を払うという事態。人をコントロールする能力が高いのでしょう。

話術の上手さもさることながら、騙されやすい人を見極める能力がスバ抜けているのかもしれません。

また、お金至上主義の人格形成には、幼い頃の貧しさが一因なのは間違い無いと思われます。貧乏な子供がハングリー精神で成り上がるというケースと似ている部分もあるでしょう。

2015年現在、吉田純子死刑囚は福岡拘置所に収監されています。
1959年7月生まれですから、もう56歳になっています。

1審で主犯格と認定され死刑が確定。
続く高裁では控訴棄却。
さらに上告するも棄却。

よって死刑が確定しています。

にもかかわらず、一向に刑が執行される事はありません。

死刑執行 2016年3月25日
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