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死刑 事件ファイル

鎌田安利 連続女性殺人事件

鎌田安利 連続女性殺人事件

1995(平成7)年4月10日、大阪府警は洋品店の倉庫から紳士用のスラックス78本を盗んだとして大阪市西成区の鎌田安利(54)を逮捕した。ところが、この取り調べで鎌田の指紋が1985(昭和60)年6月に奈良・広陵町の竹やぶでバラバラ死体となって発見された知念みどりさん(19)の殺害犯人から警察に送られてきた「挑戦状」の手紙に付いていた指紋と一致。このため捜査本部は鎌田を厳しく追及した結果、5月12日になって知念さん他5人の殺害を自供した。6月12日、警察庁は「広域重要指定122号」に指定。

201603250001鎌田の供述によると、知的障害施設を抜け出し通天閣付近をブラついていた知念さんに声をかけ自宅のアパートに連れ込み関係を持った。その後、知念さんに小遣いとして1万円を渡したところ「少ない」と言われてカッとなった鎌田は知念さんを絞殺し死体をバラバラにして奈良県内で死体を遺棄した。

更に1985(昭和60)年5月、家出中の主婦・東富佐枝さん(46)と飲み屋で知り合い、自宅アパートに連れ込み関係。その後、絞殺して死体をバラバラにして兵庫県西区の雑木林に遺棄した。

1987(昭和62)年1月22日には小学校3年生の辻角公美子さん(9)に大阪・住吉区で道を尋ねるふりをして、いたずら目的でアパートに連れ込み騒がれたため絞殺。死体を大阪・豊能町の山林に遺棄した。さらに、公美子さんの自宅に身代金を要求する電話をかけた。

1993(平成5)年7月にもホステスの須田和枝さん(45)、1994(平成6)年3月には飲食業の中野喜美子さん(38)もそれぞれ自宅アパートで絞殺し死体をバラバラにして遺棄した。この結果、鎌田は5人の女性を連続殺害していたことが判明した。

鎌田は死体をバラバラにした理由を「運搬に楽だったから」と供述し、隠ぺいする目的ではなかったことが判明した。その証拠に、バラバラ死体を遺棄する場合、各所・各場所に別々に遺棄するのが通常であるのに対して、鎌田は全て一ヶ所にまとめて遺棄していた。


鎌田は愛媛・大洲市で出生。地元で結婚しニ児をもうけたが、妻と死別。その後、故郷をあとにして大阪の西成区に20年間住み着いていた。鎌田の生計は盗品の衣料や装飾品を自転車に積んで地元の飲食関係の女性達に売り歩いていた。盗品のため価格も安かったことと、太った体型・満面の笑顔・ボロボロのジャンバーにズボンという格好は「愛嬌がある」と女性達には評判で、皆から「鎌ちゃん、鎌ちゃん」と呼ばれていた。

ところが、客として居酒屋やスナックに行くと一変して実に金に細かく、ホステスに札びらを見せては口説くのだが、実際に飲食代の支払いになると「なんでこんなに高いんだ」と狂ったように怒鳴りだし、地元ではトラブルメーカだったという。

公判中、鎌田は「自白を強要された」として無罪を主張していたが、1999(平成11)年3月24日、大阪地裁は鎌田に死刑を言い渡した。2001(平成13)年3月27日、控訴審の大阪高裁は控訴を棄却。1審の死刑を支持した。

2005(平成17)年7月8日、最高裁は鎌田の上告を棄却。その上で、「人命への慈しみや尊重の念はみじんもうかがわれない。特に、9歳の前途ある少女を殺害したうえ身代金を要求した行為は残酷、卑劣極まりなく、非人間的な所業というほかない」と指摘した。これにより、鎌田の死刑が確定した。

死刑執行 2016年3月25日

堀慶末 余罪が多い殺人鬼 堀死刑囚

堀慶末 余罪が多い殺人鬼 堀死刑囚

「闇サイト殺人事件」で逮捕された堀容疑者ですが、余罪が明らかになってきました。

hori201512150001mig名古屋市千種区の路上で、帰宅途中の磯谷利恵さんを車で拉致。現金などを奪い、金づちで頭を殴り、ロープで首を絞めて殺害し、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に遺棄した。

男1人が自首し、同26日に逮捕。名古屋地裁は09年、堀被告(当時)に死刑を言い渡したが、11年4月の名古屋高裁判決で無期懲役刑に減刑された。

碧南夫婦強盗殺人事件

パチンコ店勤務の馬氷さんとその妻を殺害

強盗殺人容疑で逮捕された堀慶末容疑者(37)=闇サイト殺人事件で無期懲役確定=が、馬氷さんが勤めるパチンコ店に客として出入りしていたことが6日、捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると、馬氷さんは当時、同県尾張旭市のパチンコ店に住み込みで勤務し、定休日の月曜に合わせて週に1回帰宅していた。

守山区強盗殺人未遂事件

hori201512150002008_63名古屋市守山区で2006年、女性の首を絞め現金を奪ったとして、愛知県警は16日、堀慶末受刑者(37)=無期懲役確定=ら2人を強盗殺人未遂などの疑いで逮捕した。

逮捕容疑は06年7月20日午後、名古屋市守山区脇田町の無職女性(当時69)宅に押し入り、女性の首を絞めるなどして、現金12万5千円と金庫などを奪った疑い。

堀容疑者は認否を保留

特捜本部によると、堀容疑者は「弁護士と話してからしゃべる」と認否を保留しており、佐藤容疑者は「ほぼ間違いありません。金目的だった」と大筋で認めている。

佐藤容疑者の供述から2人の犯行の疑いが強まり、貴金属の一部が質店に売られていたことも判明。特捜本部が押収し、裏付け捜査をした。

名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

名古屋闇サイト殺人事件概要
2007年8月24日、名古屋市の会社員Aさん(女性・当時31歳)が3人組みの男に拉致、殺害された。 逮捕されたのは闇サイトで知り合った神田司(当時37歳)、堀慶末(当時33歳)、川岸健治(当時42歳)。 犯行グループ結成に闇サイトが利用されたことが注目された事件で、愛知女性拉致殺害事件とも呼ばれる。

kanda2015BNLbMZ6J2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区の路上を歩いていたAさんが、道を尋ねるふりをして近づいてきた3人組の男(神田司・堀慶末・川岸健治)に拉致された。 犯行グループ3人は日常生活での面識はない。2007年8月17日に携帯電話の闇サイト「闇の職業安定所」に犯罪目的で仲間を募集した川岸の書き込みに 集まった即席の犯罪グループである。

 3人は拉致したAさんに手錠をかけ身動きをとれない状態にし、現金6万円とキャッシュカードを奪う。さらに包丁で脅しキャッシュカードの暗証番号を聞き出す。 Aさんは「殺さないで下さい」と必死で命乞いをするが、3人は顔を見られた事を理由に殺害を決定した。さらに、川岸は殺害する前に襲ったほうがいいと主張した。( 堀が「証拠が残る」と反対した為、未遂に終わった。)

 最初、神田がAさんのクビをビニール紐で絞めて殺害しようとしたが、抵抗されたため激高。Aさんは顔に粘着テープをぐるぐるにまきつけられ、ポリ袋をかぶせされ、 ビニール紐で縛られた。そのうえ3人はハンマーで信じられない回数でAさんの頭を殴り続けた。Aさんの頭は完全に変形し、原形をとどめないほどになっていた。 しかし、Aさんの死因は窒息死であった。Aさんは殴られ頭が変形するほどになっていても生きており、窒息死するまでの地獄の苦しみを味わった。 そして3人はAさんの遺体を8月25日の未明に岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走した。

 Aさんから奪ったキャッシュカードで現金を下ろそうとした3人だったが、Aさんが最後の抵抗で嘘の暗証番号を教えていた為、現金の引き出しには失敗した。 予定通りに金が入らなかった為、3人は8月25日の夜に再びJR名古屋駅付近で落ち合い、別の女性襲撃の計画を話し合う予定を立てた。しかし、 川岸がこのままでは死刑になると怯えだし8月25日にて午後1時30頃に警察に電話をして自首した。それにより事件が発覚し、神田、堀が逮捕された。

名古屋闇サイト殺人 裁判

3人の裁判は2008年9月25日に名古屋地裁で開始された。公判中、3人は反省の態度が見せず、互いに罪を互いになすりつけ合った。神田は知人に対し手紙を出し、自身の意見を述べる ブログを掲載している。そのなかには遺族の感情を逆なでするような内容があった。また、Aさんのお母さんが集めた、3人の厳罰を求める署名30万人分も提出された。
 2009年1月20日検察は被告人3名に死刑を求刑したが、2009年3月18日の判決で神田、堀に死刑、川岸は自首が認められ無期懲役の判決が下った。無期懲役の判決がでた川岸 は「被害者は運が悪かっただけ。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。生かしてもらえてよかった。ありがたい」とコメントしている。
 なお、死刑判決が下った神田は即日控訴、堀は判決6日後に控訴した。また、名古屋地検も川岸の無期懲役が不当として控訴した。その後、神田は控訴を取り下げた為 死刑が確定している。

 名古屋高等裁判所で堀、川岸の控訴審が行われ、川岸は一審通り無期懲役、堀は一審の死刑判決を破棄し無期懲役となった。堀の無期懲役の理由として名古屋高等裁判所 の下山保男裁判長は、「インターネットを悪用した犯罪の凶悪化・危険性を現実化したもので、発覚困難で模倣犯罪の可能性も高い。厳罰化しかない」というが、そこまで検挙困難、模倣性が高いともいえない。 しかも被害者は1人なんだから死刑がやむを得ないとまで言えない。」としている。30万人を超える署名は完全に無視された形となり 被害者の母親は、「ごめんね。お母さんなにもしてあげれなかった」とおっしゃっている。

 その後、堀の上告審が最高裁判所で行われたが、千葉勝美裁判長は2012年7月11日に上告棄却の決定をし、堀の無期懲役が確定した。

名古屋闇サイト殺人 別の強盗殺人事件

無期懲役で収監中の堀であったが、本事件で収監中の2012年8月3日、1998年の強盗殺人事件(被害者2名)の主犯として再逮捕された。

<<1998年の強盗殺人事件>>

 1998年6月28日午後4時半ごろ、堀と佐藤浩(事件当時22歳、現在別の事件で服役中)、葉山輝雄(事件当時29歳、鹿児島県枕崎市中央町の建設作業員) は碧南市油渕町、パチンコ店店長のMさん(当時45)宅を訪れ、翌29日午前2時ごろ までの間に、Mさんと妻のSさん(当時36)を窒息させて殺害し、室内から現金6万円とブレスレット1本などを奪った。

闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行

闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行

2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区の路上を歩いていた31歳の女性を、男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。
犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。にわかつくりの犯罪実行グループであった。

kanda201506259033b643この闇サイトで川岸健治が投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった神田司と堀慶末の2人の男が参加し犯行を決め、女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

磯谷さんは、帰宅途中に男3人に車に押し込まれ拉致された。
愛知県愛西市内の駐車場で現金とカードを奪われ、男たちはカードから金を引き出すために包丁を突きつけた。車内で男が「カードの暗証番号を教えな。殺しちゃうよ」というと、磯谷さんは体を震わせて暗証番号を教えた。

3人の男はそこで磯谷さんの顔にガムテープを巻いて顔を覆い、ハンマーで頭部をめった打ちにし、頭にビニール袋をかぶせたうえで首を絞めて殺害した。遺体は岐阜県瑞浪市の山中に遺棄した。3被告は磯谷さん殺害後に、教えられたカードの暗証番号で現金を引き出そうとした。しかしその番号はウソで、引き出すことはできなかった。

kanda2015BNLbMZ6J番号は「2960(ニクムワ)」としており、富美子さんは利恵さんが数字の語呂合わせが昔から好きだったことを明かした。死を覚悟した利恵さんが最後の抵抗としてのウソだった。

暗い車内の床に座らされ、動くことができない。川岸被告が乱暴しようとした直後に3人で利恵さんを取り囲み、暗証番号を言えと脅した。番号を聞き出したと思うとすぐに殺害した。

だが、銀行などで3度引き出そうとしたがうまくいかない。
「まさか、あの状況でうそをつくとは」と、3人はあぜんとしたという。母親の富美子さん(57)は
「殺されると覚悟していたから。むざむざお金までとられたくないと思ったのでしょう」と話す。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

闇サイト殺人事件 神田司

闇サイト殺人事件 神田司

闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日に愛知県名古屋市内で発生した強盗殺人事件。闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことが注目された。愛知女性拉致殺害事件ともよばれる。
kanda2015BNLbMZ6J犯行まで2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区の路上を歩いていた31歳の女性を、男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。にわかつくりの犯罪実行グループであった。この闇サイトで無職の40歳男Aが投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった36歳男Bと無職の32歳男Cの2人の男が参加し犯行を決め、女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

犯行当日8月24日午後10時頃、名古屋市千種区で帰宅途中の路上を歩く女性を車に連れ込んで、手錠をかけて拉致。約6万円とキャッシュカードを奪う。さらに包丁で被害者を脅して、キャッシュカードの暗証番号を聞き出し、8月25日午前0時頃、愛西市佐屋町の駐車場で被害者を殺害する。

被害者の女性は「殺さないで下さい」「話を聞いて」と何度も命ごいをしたが聞き入れられず、容疑者は犯行が露見するのを恐れ、被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、ハンマーで頭を数十回めった打ちにし、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走した。女性の死因は窒息死とみられている。この男ら3人以外に男1人(第4の男D)も「闇の職業安定所」で知り合って行動を共にしていた。一緒に女性拉致事件の前日に名古屋市内の事務所に窃盗目的で侵入したものの、途中で怖くなり逃げ出し女性拉致事件直前の時間に警察に自首した(Dは裁判で窃盗未遂罪と強盗予備罪で懲役2年・執行猶予3年が確定)。

女性を殺害した翌日の8月25日午後1時になり、容疑者のうちAが愛知県警に犯行をほのめかす電話をし、逮捕に至った。警察に事件に関与したことを話した理由は「死刑になりたくなかったから」とのことだった。逮捕後なお、当該事件を報道で「犯罪の温床」と大きく取り上げられた闇サイト「闇の職業安定所」は8月27日に閉鎖された。また被害者の女性は趣味のブログを公開しており、そこには被害者に対し哀悼のコメントが殺到した。被害者の母親がマスコミ宛に「もう少しで自宅につけたのに」「犯人を絶対に許せない」という趣旨の手記を寄せた。のちに母親は容疑者らを極刑にするために陳情書の署名を集めるホームページを設立、2007年10月1日に10万人、2008年12月18日に目標の30万人を超える署名を集めた。海外に住む日本人や外国人の署名もあったという。なお、被害者の母親は容疑者3人全員の極刑を求めている。

容疑者3名は強盗殺人罪・営利目的略取罪・逮捕監禁罪・死体遺棄罪、うち1名に強盗強姦未遂罪を加えて起訴された。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行

「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行

法務省は25日、2007年にインターネットの「闇サイト」で知り合った男3人が名古屋市の契約社員・磯谷いそがい利恵さん(当時31歳)を拉致、殺害した事件で、死刑が確定した神田司死刑囚(44)の刑を、同日午前に名古屋拘置所で執行したと発表した。

昨年8月29日以来の執行で、現安倍政権下では7度目(計12人)。昨年10月に上川法相が就任してからは初めてとなる。同省によると、未執行の死刑確定者は130人となった。

 この日、記者会見した上川法相は「身勝手な理由から人命を奪った極めて残忍な事件。被害者は無念この上ないと思う」と述べた。

 確定判決によると、元新聞セールススタッフの神田死刑囚は、堀慶末よしとも受刑者(40)(無期懲役が確定)ら2人と共謀。07年8月、名古屋市の路上で帰宅途中の磯谷さんを車で拉致し、現金約6万円を奪った上、首をロープで絞めて殺害した。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行

名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行

法務省は25日朝、名古屋市で起きた「闇サイト殺人事件」の神田司死刑囚の死刑を執行しました。上川法務大臣の下で初の死刑執行です。
kanda201506259033b643名古屋拘置所で死刑が執行されたのは神田司死刑囚(44)です。神田死刑囚は2007年、携帯電話の「闇サイト」で知り合った男2人とともに、名古屋市で磯谷利恵さん(当時31)を拉致して殺害した強盗殺人などの罪に問われ、2009年、一審の名古屋地裁で死刑判決を受けました。

 その後、自ら控訴を取り下げ、死刑が確定。共犯の男2人は無期懲役が確定しています。

 死刑の執行は去年8月以来で、上川法務大臣の下では初めてです。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

平成13年11月25日、群馬県安中市の山口組系暴力団組長の高見沢勤(当時46歳)は、前年の平成12年7月に起こした玉突き事故の保険金詐欺が発覚するのを恐れて、配下の組員に命じて、事故の被害者役にさせていた土木作業員のA(当時60歳)を群馬県安中市の林道で射殺して山林に遺棄した。高見沢は、保険会社から約1300万円を詐取していた。

平成17年4月3日、高見沢は配下の幹部と共謀して、組事務所に身を寄せていたB(当時35歳)を拳銃で射殺した。その後、遺体を松井田町の山林に遺棄した。高見沢とBは、かつて同じ組に所属していた仲間だった。5年前に関西地区から移り住み高見沢の組事務所に出入りするようになった。だが、Bの態度、言動が原因で組内にトラブルが続いていた。

更に同年8月、稲川会系の幹部Cが破門となり、高見沢の事務所に出入りするようになった。これを不満に感じた稲川会系のD組長(当時61歳)ら数人がCの自宅を襲撃してCに重傷を負わせた。高見沢は、面子をつぶされたと激昂し同年9月4日午後11時過ぎ、安中市の路上でD組長を射殺した。

高見沢勤 死刑確定

同年11月17日に高見沢は逮捕された。取調べから公判を通して「自分は、遺体を遺棄しただけ。いずれの殺人は配下の者が行った」として無罪を主張した。だが、平成20年2月4日、前橋地裁は、「組長の立場から組員に殺害を指示した。被告が責任を最も問われる立場にある」と断じて死刑を言い渡した。

同年12月12日、東京高裁は一審判決を支持して高見沢の控訴棄却。平成24年10月23日、最高裁は上告を棄却して高見沢に死刑が確定した。

死刑執行 群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

2014年8月29日

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

kobayashi20140830pic_2108【事件概要】
2001年5月8日、武富士弘前支店に押し入った男が「金を出せ」とガソリンに火を付けた。これにより従業員5人が死亡、4人がやけどを負った。犯人は何もとらずに逃走した。

 2002年3月3日、タクシー運転手・小林光弘(当時43)が逮捕された。

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

青森県南津軽郡平賀町で4人兄弟の次男として生まれる。
 千葉県で定時制高校に通っていた当時、ガソリンスタンドでアルバイトしていた。

 1987年、青森に帰りタクシー会社に勤務。人当たり良く、勤務態度も真面目だった。

 1995年1月、自宅購入。このときの1760万円の住宅ローンを組む。

 1997年ごろ、自身の仲人の女性・A子に「面倒を見ている一人暮らしの老人から近々1000万円もらえる予定だが、その手続きに金がいる。貸してもらえないか」と持ち掛けられ、青森市内の4つの消費者金融から50万円ずつ、計200万円を借金した。小林の妻も消費者金融から50万円を用立てていたという。

 1998年頃、タクシー会社の労働組合から10万〜20万円程度を借りて青森競輪場に行き「一発勝負したが負けた」などと話していた。この借金は給与から天引きで返済していたというが、競輪資金として複数の消費者金融から金を借りていた。借金の総額は2300万にまで膨れ上がっていた。

 一時は同僚を交え、A子に金を返す旨の念書を書かせたりしたとされるが、既に督促に困っていた小林は、退職金を見込んで10年勤めた青森のタクシー会社を退社して、以後職場を転々とする。上京し、東京のタクシー会社にも勤めたこともあったが、3ヶ月ほどで青森に戻った。

 2000年4月、増収を見込んで軽貨宅配の仕事を始める。

4月末、行方をくらましていたA子が、岩手県にある港で一家三人と心中。A子はその直前、詐欺容疑で青森署から指名手配されていた。小林もA子を信じ込んでおり、A子の死で借金を完全に背負う形になった。増大した借金に小林はますます競輪にのめりこむようになる。

 2001年5月、1度辞めたタクシー会社で再び働き始める。同僚は「勤務態度はまじめ」「安定したノルマを果たす仕事ぶりだった」と話している。

武富士弘前支店強盗放火殺人 犯行について

5月7日、勤務先の休日を利用して弘前支店を訪れ、カウンターの位置や従業員数を確認。浪岡町周辺のガソリンスタンドで約4リットル入りの金属缶でガソリンを購入した。ちなみに犯行当日も休日だった。

 5月8日午前10時45分頃、小林が弘前市田町5丁目のビル3階の武富士弘前支店に押し入る。支店には出入り口から奥が見えないように、カウンター部分と店舗奥にある管理室との間を仕切る壁があり、男は出入り口近くからカウンターの内側に向かって、金属製の缶に入ったガソリンを主成分とした混合油をまいた。撒き終えると、小林は「金を出せ出さねば火をつけるぞ」と津軽弁で脅迫、支店長が断ると火を付けた。同48分には支店長が「今、男が来て火を付けるところだ」と通報。凶行はわずか2〜3分の間に行われた。

当時、支店内の金庫には1000万円が入っていたが、小林は予想以上に火の勢いが強かったためか、何もとらずに外に停めておいた緑色の軽ワゴン車「スバル・サンバー」で青森市方向に逃走。
 
 この火災により、同支店勤務の田沢伸治さん(36歳)、太田はるかさん(20歳)、葛西志保里さん(22歳)、笹森容子さん(46歳)、福井貴子さん(30歳)の5人が焼死、他に店長ら4人も火傷を負った。亡くなった5人は店舗奥に追い詰められたような状態で発見された。出入り口は1カ所しかなく、このため、従業員らは出入り口から反対方向の管理室の方に逃げたが火の回りが早く、避難口に設置したロープ式の避難器具も使えなかった。駆け付けたファストフード店の店長らがかけたはしごで、火傷を負いながらも4人が脱出できただけだった。

同支店では防犯ベルが5箇所に設置されており、ベルが鳴れば数分で警備員が駆けつける体制になっており、2台の防犯カメラも24時間稼動していた。しかし、店内の焼失とともにカメラも燃えてしまい、科学捜査研究所にまわせないものが多かった。

 5月9日、小林は事件翌日にはなにくわぬ顔で出勤している。この日、ガソリンを入れていた4リットルの金属缶を自宅近くの雪捨て場のようなところで捨てた。

 5月下旬、小林、裁判所で自己破産の申請。

 12月25日、事件が起こった弘前市のビルが取り壊される。

 武富士では犯人の似顔絵入りのポケットティッシュ2億5000万個を配り、犯人逮捕に協力した。ニュース番組などでも似顔絵がたびたび紹介されるなど、小林を追いつめていった。

小林光弘 逮捕

翌2002年3月3日朝、犯人が逃走に使った車と同じ色の緑色の軽ワゴン「スバル・サンバー」を保有、犯人の似顔絵とよく似ていたことから、青森県浪岡町の小林に任意同行を求めた。3月4日、取り調べた結果「わたしがやりました」と容疑を認め、逮捕。犯行当時着ていたつなぎも小林の自宅でみつかった。

 逮捕後の小林の供述は以下のようなものである。

「5人も死ぬと思わなかった」
「火を付けたのは逃げるためで、殺意はなかった」
「人生、命を奪ってしまい、ひたすら頭を下げるだけです。後は、法の裁きを受けるだけ」

武富士弘前支店強盗放火殺人

2003年2月12日、青森地裁、「競輪にのめり込んで借金を重ねた末の犯行。焼死者5人、負傷者4人を生じさせた罪責は限りなく重い」として、求刑通り死刑を言い渡した。小林、控訴。

 2004年2月19日、仙台高裁、控訴棄却。小林は上告。

 2007年3月27日、最高裁・上田豊三裁判長「逃げ道のない室内で放火し、恐怖におののいている被害者らを焼き殺した凶悪で残虐な犯行。結果も極めて重大」と述べ、上告を棄却。死刑が確定した。

死刑執行 武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

2014年8月29日

香川・坂出3人殺害事件 川崎政則

香川・坂出3人殺害事件 川崎政則

kawasaki20140626000203000p香川・坂出3人殺害事件(かがわ・さかいでさんにんさつがいじけん)は、香川県坂出市で、川崎政則(当時66歳)が、三浦啓子さん(当時58)とその孫の山下茜ちゃん(当時5)、彩菜ちゃん(当時3)の3人を2007年11月16日未明に殺害し、死体を遺棄した事件。

香川・坂出3人殺害事件 事件概要

無職・山下清さん(当時43歳)の長女・山下茜ちゃんと二女の彩菜ちゃん姉妹は11月15日の18時頃に隣の祖母・三浦啓子さんの家に泊まりに行き、翌日の16日の朝に母親が迎えに行ったところ3人ともいなくなっていた。

香川県警坂出署は11月16日未明から早朝までに何らかのトラブルがあったと見方を強め、捜査を行った。

父親の山下清さんによれば、寝室や玄関、浴室に血痕があり、さらに寝室のカーペットはL字形に切り取られ、血はカーペットの下の畳まで染みこんでいた。

香川県警坂出署捜査本部の任意取調べに対し、義理の大叔父(祖母の妹婿)である川崎政則が、27日までに「3人を殺害し、山中に遺体を捨てた」と犯行を認める供述をし、11月27日夜に死体遺棄容疑で逮捕された。11月28日には、当初の供述通りに山中に向かったところ、川崎政則が「本当は港に捨てた」と一変し、捜査員らがその港に向かったところ、祖母と幼児姉妹の遺体が発見された。

11月30日、川崎政則の供述通りの坂出港海底で、遺棄された携帯電話を発見。12月6日、川崎政則の供述通りの坂出港海底で、遺棄された自転車を発見。12月18日には殺人容疑で再逮捕し、同日高松地検は死体遺棄容疑については処分保留とした。祖母は借金の返済に追われており、その関係上大叔母(祖母の妹で被疑者の妻、事件前に死去)から金を借りており、その怨恨と見られる。最終的に単独犯と断定される。

香川・坂出3人殺害事件 裁判

2008年(平成20年)7月17日、川崎政則の初公判が高松地方裁判所(裁判長:菊池則明)で開かれた。ここで川崎政則の精神鑑定実施が決定し、以後の公判は一時中断。川崎政則は起訴事実を認めていることから、主な争点は川崎政則の刑事責任能力の有無に絞られた。再開は翌2009年(平成21年)3月9日で、ここからは4日間の集中審理が行われ3月12日に結審。3月16日の判決公判において裁判所は川崎政則の完全責任能力を認め、「身勝手な動機に酌量の余地はない」として検察側の求刑通り死刑判決を言い渡す。弁護側はこの量刑を不当として高松高裁へ即日控訴した。

この判決は高松地裁史上記録が残る1978年以降初の死刑判決となったほか、判決の2ヶ月後に始まる裁判員制度を見据えて第2回から結審までの公判を連日開廷方式による集中審理で行い、なおかつ結審からわずか4日後に死刑判決が出るという異例ずくめの裁判であった。

高松高等裁判所における控訴審(裁判長:柴田秀樹)は同年9月10日に初公判が開かれ、即日結審。10月14日の判決公判で高松高裁は控訴を棄却し、高松地裁の第一審判決を全面的に支持、川崎政則に対し再び死刑判決を下した。弁護側はこの量刑を不当として最高裁へ即日上告した。

2012年7月12日に最高裁は上告を棄却し死刑判決が確定した。
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香川・坂出の3人殺害、川崎政則の死刑確定へ

香川県坂出市でパート従業員の三浦啓子さん=当時(58)=と、5歳と3歳の孫姉妹の計3人を殺したとして、殺人や死体遺棄などの罪に問われ、1、2審で死刑とされた三浦さんの義弟で無職、川崎政則(66)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は2007年7月12日、川崎被告の上告を棄却した。死刑が確定する。

同小法廷は「衣服に返り血が付かないよう雨がっぱを用意するなど周到な準備に基づく犯行。抵抗のすべも知らない、いたいけな幼児らを包丁で多数回突き刺すなど残虐で、3人を殺害した結果も重大だ」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。

1、2審判決によると、川崎は平成19年11月、金銭トラブルなどから自宅で寝ていた三浦さんを包丁で刺殺した上、一緒にいた孫の山下茜ちゃん=当時(5)、彩菜ちゃん=同(3)=も刺して殺し、3人の遺体を港近くの空き地に埋めた。

香川・坂出3人殺害事件 報道と遺族の反応

当初は「行方不明事件」と報じられた。家族は積極的にテレビの取材に答え「とにかく早く帰ってきてほしい」と訴えた。

しかし、安否がなかなか分からず家族もいらだち始め、やがて川崎政則が逮捕されるまで、電子掲示板の多くや、一部のテレビ・週刊誌報道などが、疲れからマスコミに憤る被害女児姉妹の父親の様子などを中心に扱うなど、父親の山下清さんに対し「犯人ではないか」とする報道姿勢などが目立った。

2ちゃんねるでは、姉妹の父親を「画伯」と呼んでいた。

また、虚偽の自宅間取り図や、行方不明の子供2人の顔写真に対し逆に名前が付されているフリップもあるなどの間違った報道内容にも不満を述べた。このように加熱するメディアの取材攻勢を受けて、香川県警記者クラブは総会を開き「節度ある取材を確認」する事態となった。前年の秋田児童連続殺害事件同様メディアスクラム状態になってしまった上、週刊誌ではこの事件との関連付けすら行われていた。

特にみのもんたは『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)の11月19日の放送で

(行方不明になってから、通報に至るまで1時間かかったことについて)「普通すぐに電話しない?(略)警察署に行って届け出てる。普通だったらそのまま電話しないかねぇ?」

「不思議だねぇ」と被害者の家族をあからさまに犯人扱いするかのような発言をした。

被害女児姉妹の父親の山下清さんは取材に対し「みのもんたさんに聞きたかった。オレが殺したんか、と」と怒りを表明した。当初は問題発言をしたみのは沈黙していたが、2008年1月になってみのがTBSの幹部職員と共に被害者家族と対面し謝罪したと報じられている。しかし、番組内での謝罪は一切ない。

この事件で、タレントの星野奈津子は、犯人は山下清さんであるとの憶測や父親が犯人であってほしいとの会話を家族で交わしていると自身のブログに書き込んだ。このブログの記事に批判が寄せられ、11月20日に所属事務所から1年間の謹慎処分を受け、問題のブログ記事も削除された。

父親・山下清さんのテレビ出演

坂出市3人殺人事件で衝撃証言「川崎容疑者は妻の枕元で啓子さんを口説いていた」

香川県坂出市林田町、無職山下清さん(43)の長女と二女、姉妹の祖母で隣に住むパート従業員三浦啓子さん(58)が殺された事件で、逮捕された川崎政則について渦中の山下清さんがテレビ番組に出演し、衝撃的証言をした。

「川崎容疑者が自分の妻の枕元で三浦啓子さんを口説いていた」というもの。川崎は三浦さんを「執拗に口説いていた」ようで、これまで報じられてきた「金銭トラブル」以上のものが事件の背後にあるようなのだ。

「俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ」

山下清さんの証言は、2007年12月7日のフジテレビ系情報番組「とくダネ!」で、「番組単独インタビュー」というかたちで放送された。番組によれば、山下さんの証言は放送2日前の07年12月5日に収録されたという。

山下さんは、事件について「どういう理由にしろ、ちんまい子(小さい子)を殺しとんや!そういう人間が生きる資格はない!」と怒りを露にする場面もあったが、川崎容疑者については、

「俺の知っとる限りのこと言えば、妹の枕元で姉ちゃん口説くような男で、まぁ自分がギャンブルしよっても、家に(金を)入れんでも、生活は成り立つし、それで、癌になった雅子姉ちゃん(に)『掃除せい、ご飯の支度せい、弁当は?』(と言う)、そういう風にこき使う鬼の人間ですね」

と語る。ここでいう「妹の枕元で姉ちゃん口説く」とは、川崎の妻・雅子さんが癌で入院していた病院の枕元で、川崎が雅子さんの姉に当たる三浦啓子さんを口説いていたということだ。

「病院で啓子ばあちゃん(三浦啓子さん)を口説いていた。そうっすよ。はっきり言って(妻の)枕元で口説いてましたからね。『俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ』と。執拗に口説いてたみたいですね。何べんも何べんも口説いてたみたいですよ。(三浦啓子さんが)帰ってくるたんびに言ってましたもん、『もうあんな気色悪いおっさんどうにかならんなー』言うて」

山下さんは、三浦さんに対して自分から川崎にそうした行為をやめるように言うと提案したが、三浦さんは「ややこしいことになる。自分から直接言う」などと述べたと言う。

川崎が三浦啓子さんを口説いていたのは、妻が入院していた2007年3月中旬頃の話のようだ。山下さんによれば、川崎が妻・雅子さんへの見舞金を全部持っていくなどの行為に及ぶなどしたため、雅子さんは自身の希望で2007年4月初旬の病院退院後に三浦啓子さんの家に行くことになった。川崎は、妻が自宅に戻ってこないことで激怒、山下さんとも口論になったという。

財産を狙っていた?

では、なぜ川崎容疑者は三浦啓子さんを「口説いた」のか?山下さんはインタビューのなかで、

「財産を狙ってたんですよ。啓子ばあちゃんと一緒になったら、もう受け取る人間いないじゃないですか」と推測している。

川崎の妻と三浦啓子さんの両親の「遺産相続」を狙って、病気だった妻に代わって、三浦さんと結婚することを目論んだ、ということのようだ。

一方で、山下さんは2007年12月7日放送のテレビ朝日系情報番組「スパーモーニング」に対しても同様の証言をしているほか、

「金銭問題だけで人ころせるもんか。はっきり言って、金銭問題以上に恋愛感情あった人間を殺す、その分の方が強いんちゃうか(ということ)」

とも述べている。川崎が妻・雅子さんが三浦啓子さんにつくった借金の返済に困窮し、次第に恨みを募らせていった末の犯行という報道もあったが、山下さんに言わせれば、事件には別の背景があった可能性もあるようだ。
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