カミカゼ ニュースブログ

カミカゼ ニュースブログは世の中で起こった最新ニュースを掲載していきます

カミカゼ ニュースブログ

死刑囚【注目リスト】

矢野治死刑囚 伊勢原で遺体発見「週刊新潮」に矢野治死刑囚が告白した殺人事件の全容

矢野治死刑囚 伊勢原で遺体発見「週刊新潮」に矢野治死刑囚が告白した殺人事件の全容

yano20160419yano0001前橋スナック銃乱射事件(2003年)で死刑が確定した、指定暴力団、住吉会の幹部・矢野治(67)が獄中から新たに告白した殺人を巡り、警視庁と神奈川県警は19日、津川静夫さん(失踪時60歳)と見られる遺体を発見した。

矢野が警視庁と本誌(「週刊新潮」)に対し、警察も把握していなかった2件の殺人を告白する手紙を送ってきたのは、一昨年末と昨年5月のことだ。本誌は取材に1年余りを費やし、彼が明かした事件の全貌を報じた。

 闇から闇に葬られた殺人事件の犠牲者は、2人いる(図参照)。最初の被害者が、1996年8月に家族の前から忽然と姿を消した、不動産業者の津川さんだった。小田急線伊勢原駅前の再開発をめぐり、津川さん所有の土地を奪おうとした住吉会系組織の若頭が矢野に殺害を相談。彼がこれを別の組長に依頼した結果、津川さんは、その配下の組員に殺害されたというのである。

そしてもう一人は、1997年、政界を揺るがした事件のキーマンとして、社会の耳目を集めた人物だった。現役の国会議員、友部達夫(故人)が多くの国民から多額の金を騙し取った「オレンジ共済事件」。この事件に絡み、5億円もの金を新進党に運び、政界工作を仕掛けたとされた斎藤衛である。“永田町の黒幕”と呼ばれた彼は、2度も国会に証人喚問された。

 その斎藤と知り合いだった矢野は、彼に1億円ほど金を貸していた。しかし8600万円が焦げ付いたことを機にトラブルとなり、自らの手で絞殺したという。

yano20160419yano0002いずれのケースでも、矢野の指示を受け、死体を遺棄したのは、彼が率いた「矢野睦会」の元組員、結城実氏(仮名)だった。

 このうち、最初の伊勢原の事件の捜査を優先してきた警視庁が、津川さんの遺体の捜索に着手していた。もっとも、当初、警察は矢野の告白を握り潰そうとしていた節がある。1年以上に亘り事案を完全に放置していたからだ。

この間、本誌は結城氏に接触し、全容を明かすよう、説得を重ねた。結果、ついに彼は重い口を開き、こう証言してくれたのだ。

「津川さんの死体は、伊勢原の大山の林道脇にあるブナの雑木林に穴を掘り、埋めた。斎藤については、木村洋治(仮名)という組員とともに、埼玉の飯能あたりの山中の雑木林に遺棄した」

本誌の報道を受け、警視庁は慌てて、結城氏への任意聴取に着手し、今日に至ったというわけだ。

■動機は10億円利権

yano20160419yano0003遺体捜索はどう行われていたのか。捜査関係者の解説を聞こう。

「津川さんの失踪直後、奥さんが、神奈川県警に捜索願を出していました。現場が伊勢原ということもあり、警視庁と神奈川県警の共同捜査となりました。またユンボなどの重機が入れられない斜面なので、スコップなどでの手作業だったようです。また結城元組員も、現地に伴いました」

 それにしても、なぜ津川さんは、暴力団絡みのトラブルに巻き込まれたのか。

「彼は1982年、伊勢原駅前の350平方メートルの土地を競売により2309万円で落札した。物件を更地にして転売しようと考え、ビルのオーナーやテナントに明け渡しや退去を求め、裁判を起こしました」(知人)

 紆余曲折を経て、勝訴が確定したのは今から丁度20年前の7月のことだった。

「すでに90年には、駅前一帯は伊勢原市による再開発計画が決定していた。本人は“うまくいけば、市が10億円で買いとってくれる”と興奮していました」(同)

 しかし好事魔多し。この間、津川さんは会社の資金繰りに窮していた。

「そのため、ある金融業者を通じ、暴力団幹部から1700万円の融資を受けてしまっていた」(同)

 この暴力団幹部こそ、先に述べた住吉会系組織の若頭だったのである。彼は、この土地を奪って、大儲けしようと目論んだのだ。

 当時の状況を、津川さんの妻はこう振り返った。

「忘れもしない20年前の8月10日、伊勢原の自宅で寛いでいた主人は、宅急便を名乗る電話の男に呼び出され、サンダル履きで外に出かけて行きました。それっきり帰ってこず、私たちの時間は止まったままです」

 津川さんは自宅近くで犯人の車に乗せられ、絞殺されたという。若頭が、津川さんから担保に取っていた土地の権利証などを使って、所有権を自分に移したのはこの2日後のことだった。

 遺体発見前、津川さんの妻は本紙にこう打ち明けていた。

「私は仏壇も遺影も作らず、夫を待ち続けました。しかし殺害され、埋められたのが事実なら、一日も早く、骨だけでもいいから、私の元に帰ってきてほしい」(同)

 凍りついた失踪の謎は氷解した。止まった時が今、再び動き出そうとしている。

堀慶末 余罪が多い殺人鬼 堀死刑囚

堀慶末 余罪が多い殺人鬼 堀死刑囚

「闇サイト殺人事件」で逮捕された堀容疑者ですが、余罪が明らかになってきました。

hori201512150001mig名古屋市千種区の路上で、帰宅途中の磯谷利恵さんを車で拉致。現金などを奪い、金づちで頭を殴り、ロープで首を絞めて殺害し、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に遺棄した。

男1人が自首し、同26日に逮捕。名古屋地裁は09年、堀被告(当時)に死刑を言い渡したが、11年4月の名古屋高裁判決で無期懲役刑に減刑された。

碧南夫婦強盗殺人事件

パチンコ店勤務の馬氷さんとその妻を殺害

強盗殺人容疑で逮捕された堀慶末容疑者(37)=闇サイト殺人事件で無期懲役確定=が、馬氷さんが勤めるパチンコ店に客として出入りしていたことが6日、捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると、馬氷さんは当時、同県尾張旭市のパチンコ店に住み込みで勤務し、定休日の月曜に合わせて週に1回帰宅していた。

守山区強盗殺人未遂事件

hori201512150002008_63名古屋市守山区で2006年、女性の首を絞め現金を奪ったとして、愛知県警は16日、堀慶末受刑者(37)=無期懲役確定=ら2人を強盗殺人未遂などの疑いで逮捕した。

逮捕容疑は06年7月20日午後、名古屋市守山区脇田町の無職女性(当時69)宅に押し入り、女性の首を絞めるなどして、現金12万5千円と金庫などを奪った疑い。

堀容疑者は認否を保留

特捜本部によると、堀容疑者は「弁護士と話してからしゃべる」と認否を保留しており、佐藤容疑者は「ほぼ間違いありません。金目的だった」と大筋で認めている。

佐藤容疑者の供述から2人の犯行の疑いが強まり、貴金属の一部が質店に売られていたことも判明。特捜本部が押収し、裏付け捜査をした。

宅間守の生涯【附属池田小事件 宅間守】

宅間守の生涯【附属池田小事件 宅間守】

takuma0022004takuma522e2fc4大阪府池田市の大阪付属大学池田小学校に出刃包丁を持った男が乱入。児童と教師の計23人が刺され、うち8人の児童が死亡した。殺人容疑で逮捕されたのは元学校職員の宅間守容疑者(37)。家庭や地域・職場でもトラブルの絶えない、悪評漂う男だった。

附属池田小事件 宅間守

次々に血に染まる白い制服、校舎を逃げ惑う子供たちの悲鳴、泣き声……。8日午前、大阪府池田市緑丘の大阪教育大教育学部付属池田小学校が、刃物を持った男に襲われた事件は、わずか15分の間に児童ら8人が刺殺される惨事となった。叫ぶような校内放送が流れ、校庭へ逃げだす子供たち。血まみれで動かない児童を抱きかかえる教師。負傷者が運び込まれた病院では必死の治療が続き、父母らはわが子の無事をひたすら祈った。

宅間守の犯行時は、悲鳴、パニック、無言の凶行

惨劇は突然起きた。「知らんおっちゃんが教室に入ってきた」。約15分間の無言の凶行。格闘の末、先生が男を取り押さえたが、8人の尊く幼い命が奪われた。悲鳴と泣き声で、教室はパニックとなった―。

 午前10時15分。学校では2時間目の授業が終わろうとしていた。1〜2年生6クラスが並ぶ三階建て校舎の一階。北側は廊下、南側は校庭に面している。宅間容疑者(37)は通用門に車を止めた。金色に染めた髪、白いシャツに緑のネクタイ。校庭を横切り校舎東端の2年東組に包丁を持って乱入した。

 「給食の人かな」。ある男児はそう思ったが、すぐに「違う」と考え直した。出刃包丁に気付いたからだ。「『ハァ、ハァ』と息が荒かった」と別の男児。佐藤裕之教諭(36)が「外に逃げろっ」と大声を出した。悲鳴を上げ走りだす児童たち。男は無言で、逃げ惑って転んだ児童を襲った。教諭がいすを投げつけ、男は校庭側のテラスに。4人が重軽傷を負った。

 次いで隣の2年西組。包丁の赤い血の色が岩崎真季教諭(28)の目に飛び込んだ。児童が次々に刺され、8人が死傷した。

 最も多い5人が犠牲になった、その隣の2年南組。既に休み時間で、教師の姿はなかった。そこを襲われた。「馬乗りで刺したとみられる傷もあった」と治療に当たった医師。

 「包丁で刺してる」。助けを求める児童の声に、花壇に水をまいていた担任の河上洋介教諭(27)は教室に向かった。佐藤教諭と田辺義朗教諭(28)が懸命に男に追いすがるが、田辺教諭は刺され大けがをした。

 無人だった2教室を飛ばし、男は西端の1年南組へ。音楽室で授業を終え、惨劇を知らないまま児童は教室に戻ろうとしていた。男児の1人は「教室に入ると、友達が倒れ『痛い、痛い』と泣いていた」。床は血の海。「入っちゃ駄目。逃げなさい」。先生の声に夢中で飛び出した。

 背中を切られながらも、同教室内で河上教諭が包丁を持つ宅間容疑者の右手をつかんだ。顔を切られながらの格闘。矢野克巳副校長(43)が加勢し、包丁を取り上げ足を押さえつけた。10時25分ごろのこと。ふっと同容疑者の力が抜け、「しんどい、しんどい」と2回つぶやいた。凶行の間に、副校長らが耳にした同容疑者の唯一の言葉だった。
takuma00520049513111037_N040914_01

小さな命を奪った 宅間守

木曽友香ちゃん(7つ) 将来の夢は花屋さん。自宅の庭のミニトマトやナスの世話をしていた。7月の塾の合宿を楽しみにしていた。昨年の合宿で食べ過ぎて体調を崩したので、「今度は注意する」とかわいらしく話していた。最近、一輪車に乗れるようになったのをとても喜んでいた。

塚本花菜ちゃん(7つ) お母さんに付き添って華道教室に通い「花が大好きで、わたしもいつか華道を習いたい」と話していた。母親といつも手をつないだり、一緒に縄跳びをしたり、゛お母さんっ子″だった。

本郷優希ちゃん(7つ) お絵かきが大好きで、幼稚園の卒園アルバムには、花に囲まれた自分の似顔絵をフェルトペンで一生懸命かいた。似顔絵の横に「お花屋さんになりたい」。

森脇綾乃ちゃん(7つ) 毎週、体操の教室に通い、トランポリンや鉄棒を練習していた。音楽教室にも通い、友達と励まし合いながら7月の電子ピアノの試験に向けて頑張っていた。自分も小さいのに、頑張って2歳の妹を抱き上げ、ぐずる様子を母親に楽しそうに話した。

酒井麻希ちゃん(7つ) プールの帰りに近所の小さい子にあめをあげたり、面倒見のいい、優しくてしっかりした子だった。パソコンが得意で、同級生にお絵かきソフトの使い方を教えてあげた。友達と一輪車を競い合っていた。

猪阪真宥子ちゃん(7つ) 12月のピアノの発表会に向けてメヌエット(舞曲)の練習を始めたばかりだった。以前の発表会で頭に白い大きなリボンを付けておめかしした。夏休みにユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に遊びに行くのを楽しみにしていた。

山下玲奈ちゃん(8つ) 歌が大好きで、宇多田ヒカルさんの歌を全部歌えた。単身赴任の父親に電子メールで「(ハワイ旅行の)チケット取れたんだって。とってもうれしい。ぱぱちゃまの大好きな玲奈」と送った。家族でUSJに行った時は「急流下りが楽しかった」。

戸塚健大君(6つ) 生まれた時は人より小さかったが、健康に大きく育った。友達とよく鬼ごっこしたり、一緒にふざけあっていた。駆けっこがとても速いし、サッカーも得意。昆虫好きで、カブトムシを育てるのに夢中だった。「何をやっても上手で器用」と評判だった。

 ―全ては叶わない夢、永遠の夢へと化した―

人を不幸にする性格の宅間守

「息子が事件をおこす前兆はありました。20歳のころに病院の屋上から飛び降りて死にかけたんです。あのとき死んどってくれたら、今回の事件はおこてへん。ワシは当時、家内と話しとったんや。『このまま死んどってくれたほうが苦労せんとにな』って」

 宅間守容疑者の年老いた父親は、凶行から8時間たった6月8日夜、兵庫県内の自宅で報道機関の質問に淡々と語り始めた。

 「そのとき守は精神病院に入院しとったんですが、4階建ての建物の屋上から、金網の柵を乗り越えてふらっと飛び降りた。ところが、運良く下のガレージの屋根がクッションになって助かった。そのまま命を永らえたから、今日の結果になってしもうたんや。ワシの悪い予感があたってしもうた」

 宅間容疑者は精神病院を退院後、他人の車を傷つけるという事件を起こした。

 「自分が運転しているとき、対向車のヘッドライトが上向きになっていて、ギラギラまぶしかったらしい。それに怒って相手の車を追いかけて、殴り合いのケンカをしよったんです。守は持ち合わせていたキリ(工具)で、相手の車の天井をべコベコにした。もちろん警察沙汰になった。ワシは異常な話やなと思ったから、精神病院に引っ張っていって入院させてくれと頼んだんです。けど、あかなんだ」

 父親によると、そんな宅間容疑者が始めて警察に逮捕されたのは、この「べコベコ事件」の2年後のことだという。

 「あの野郎が警察の検問を突破して逃げよったんです。警察がパトカーで追いかけてくると、阪神高速を猛スピードで逆走して逃げたんや。そのときは一応逮捕されたけど、結局、何の処罰も受けなんだ」

 粗暴な性格は何もこのころに始まったものではなかった。中学生時代の同級生はこう語っている。

 「昔からあいつは、生きてるもんを殺すのが好きやったんや。ほら、教室とかに虫がでたりするでしょう。あいつは先頭にたって殺しよったわ。いつだか体育祭の練習のときにヘビがでてな。みんなが悲鳴あげよるのに一人でせっせと捕まえよる。女生徒が『カッコええ』って冗談半分に言うと気を良くしたんかしらんけど、今度はヘビの頭の部分をギュッと締めよった。バキバキって音がしてヘビは死によった。周りのみんなは引いとったな」
takuma-IKEDA-2004sikei

宅間守の生涯【略歴】附属池田小事件 宅間守

1963年11月 兵庫県伊丹市で生まれる。
  81年 3月 兵庫県立尼崎工業高校を中退、ガソリンスタンドに勤務する。
  81年11月 航空自衛隊に入隊、小牧基地第一輸送航空隊に配属される。
  83年 2月 本人の意思で除隊。
  85年から 婦女暴行事件で有罪判決、3年間服役。
  90年 6月 Aさんと結婚。
  90年 9月 Aさんと離婚。
  90年10月 Bさんと結婚。
  93年 7月 伊丹市交通局に採用。
  94年 9月 Bさんと離婚。
  95年 5月 同僚とけんか、訓告処分。
  95年11月 市バス清掃係の女性と養子縁組。
  96年 8月 女性客に対して暴言、減給処分。
  97年 1月 市バス清掃係の女性との養子縁組を解消。
  97年 3月 Cさんと結婚。
  98年 4月 伊丹市立池尻小学校の技能員に移動。
  98年 6月 Cさんと離婚。
  98年 8月 Cさんに復縁を迫って殴り、逮捕。
  98年10月 Dさんと結婚。
  99年 3月 薬物混入事件で逮捕、同時にDさんと離婚。
  99年 4月 薬物事件について精神障害を理由に不起訴、その後、5月まで措置入院。
伊丹市から分限免職処分。
  99年 5月 自己破産を申請。
  99年 9月 元養母宅への住居侵入で逮捕されるも精神障害を理由に不起訴、その後、措置入院。
  99年12月 Cさんとの離婚無効確認訴訟を起こす。
2000年 9月 タクシー会社に入社、タクシードライバーとして勤務。
  00年10月 ホテル従業員の注意に腹を立て暴行、逮捕。
タクシー会社を解雇。
  01年 1月 元養母を相手に損害賠償訴訟を起こす。
大阪小学校児童殺傷事件 吉岡守(旧姓 宅間)

永田洋子死刑囚、死刑執行されず

永田洋子死刑囚、死刑執行されず

1971年12月から翌72年2月にかけて起きた連合赤軍事件で、殺人・死体遺棄罪などに問われ、1993年に最高裁で死刑が確定した元連合赤軍最高幹部・永田洋子(ながたひろこ)死刑囚が死亡した。多臓器不全とみられるらしい。65歳だった。誕生日は2月8日なので、あと数日の命があれば、66歳。
nagatayouko20130723PN201697_-_-_CI0003

永田洋子死刑囚 獄中で死亡

そのくらいの年齢で死ぬ人は珍しくはない。天寿を全うした部類と言えるのだろうかとふと思い、沈んでいた言葉にならない思いを見つめた。私が中学生のころの事件である。彼女は1945年生まれ、事件当時、27歳。アラサーと呼ぶには怒りそうな女子ですなというお年頃。
 永田死刑囚は1984年7月に脳腫瘍と診断され手術を受け、その後も頭痛に悩み、2006年5月に東京八王子医療刑務所に移され、翌05年東京拘置所に戻されたが脳萎縮の状態だったらしい。そのころはいわゆる寝たきりの状態で意識もない状態だったのではないだろうか。
 生まれたのは1945年。菅首相より一つ年上。同世代である。キューピッドの一矢が彼らを射貫かなかったのはヴィーナスの英知であったか偶然だったか、イケメンながらモテそうにもない中産階級臭い菅さんの人徳だったか。一矢は別のところに当たった。
 彼女は妊娠中絶経験などもあるらしいが、あの時代の人であるからな、ふんふんと聞き流す。学生時代にはバセドウ病であったらしいというか、そういうおどろおどろしい印象の写真をよくメディアで私なども見せられたものだった。実際にそうした病気を持っていたかは知らない。
 事件は凄惨極まりないもので、いやがおうにも中学生の耳にもスプラッタな話が流れ込む。だが、事実がなんであったかについては意外と仔細に知らない。ただ、冤罪ということはないだろう。最高裁確定判決では、1971年8月組織離脱の2人を殺害、翌同事件渦中で「総括」として仲間12人を死亡させたとのこと。そして事件では警官も3人殉職した。哀悼。

永田洋子死刑囚の日本赤軍時代

「総括」は「総評」みたいに70年代特有の響きがある。後に吉本隆明が書いたエッセイだったが、市井の人でも彼女みたいにああいう状態に陥ればああなるものだ、というようなコメントがあり、そうだろうなとは思った。ブログなんか書いていると、手ひどい罵倒を投げつけられるが、これが密室であったら私なんぞ総括されてしまうだろう。人間とはそんなものなのだ。
 事件は1972年と見てもよい。地裁判決が出たのはだから10年後。1982年6月。二審高裁は1986年9月。いずれも死刑。事件については「革命運動自体に由来するごとく考えるのは、事柄の本質を見誤る」と全面的に退られ、永田被告の個人的資質の欠陥などに起因するとした。20年後。1993年3月、最高裁が上告を棄却、死刑が確定した。「多数の殺人等の犯罪を敢行した事案」との判断である。
 当時の読売新聞社説を引っ張り出して読むとこうある。「確かに当時、学園や街頭にベトナム反戦運動が盛り上がったが、大半の学生はしだいに、一部の過激な行動に背を向けていった。大衆的基盤を失った彼らは、ひとりよがりの武闘路線に走り、捜査に追い詰められるように山に逃げ込んだ。自滅するべくして自滅したといえる。」それはそうか、マスコミや政権に逃げ込んで今頃自滅している残党もいそうな感じはするが。
 私が気になっているのは1993年という年である。このころ、オウム事件の惨事は着実に日本社会に胚胎し、連合赤軍事件の本質のようによみがえった。考えてみれば、連合赤軍事件だって六全協前の山村工作隊の余波のようでもあるし、なんのことはない戦前からのファシズムの太くて長い1本の歴史実体のようでもある。
 と書いてみて、ああ、それかと思う。永田洋子死刑囚、死刑執行されずというのはそういうことなのか。死刑を執行していたら、それはまたよみがえるということか。いや、もちろんこれはたちの悪い冗談の部類ではある。
 いずれにせよ死刑は執行されなかった。坂東國男(参照)を含め関係者が多く事件の全容が解明されていないからといった話も聞くが、そうであろうか。確かに、あの事件の全容はわからないと言ってもいいだろうが、死刑の判決に影響するものとは想定されないのではないか。
 1993年というと国連死刑廃止国際条約発効した年で、日本は批准しなかった。あの時代、実に死刑が少なかった。1987年に2人、88年に2人、89年つまり平成元年に1人。そして、その間しばらく死刑は執行されず、永田洋子に死刑が決まった1993年の翌月3月に3人。今顧みると、死刑の少なさは時代でもあったのだが、昭和天皇の死がじんわり恩赦のように覆っていたようにも思えるし、93年の死刑は永田洋子の死刑の決意のようにも見えないことはない。
 死刑は執行されなかった。それらは自民党政権時代の法務大臣の良心に任されていた。その良心をおまえさんはどう思うのだねと問われるなら、それでよかったのではないかと思う。理由はうまく言葉にならない。
 私は大阪教育大学附属池田小学校事件以降、死刑には反対論に傾いている。一人の人間が死を決意してそれを引き替えに他者の死を巻き込むことは許せないと私は思うからである。許されざる者は一生獄のなかで生きるがよいと思うし、その生と社会は対話しなければならないと思う。そして、永田さんは長く、日本国民と対話してきた。

永田洋子死刑囚 来歴

永田 洋子(ながた ひろこ、1945年(昭和20年)2月8日 - 2011年(平成23年)2月5日)は、日本のテロリスト、新左翼活動家。連合赤軍中央委員会副委員長を務めた。リンチ・殺人で死刑が確定していたが、執行前に病気のため獄死。

死刑執行! 小林薫死刑囚と金川真大死刑囚からの手紙(『創』2013年4月号より)

死刑執行! 小林薫死刑囚と金川真大死刑囚からの手紙(『創』2013年4月号より)

3人のうち2人が知り合いだった

2月21日、最初に電話をかけてきたのは朝日新聞奈良総局の女性記者だった。その日、3人の死刑執行があった、どうやらその一人は小林薫死刑囚らしい、という。
 小林死刑囚とは、彼の死刑が確定する2006年10月まで1年近くにわたって頻繁に接触してきた。判決で認定された殺人を自分は犯していないのだが、もう死にたいから法廷ではいっさい争わないことにする、と言って、一貫して死刑判決を望み、自ら控訴を取り下げた人物だった。
 そんなふうに自ら死刑を望む人間にとって、死刑は究極の刑罰ではないし、彼を本当に裁いたことになるのか疑問だ。そんなコメントをした。
 予想通り、その後、たて続けに読売新聞や毎日新聞からもコメント取材が入った。しかもその直後に、3人のひとりは金川真大死刑囚であることもわかった。
 金川死刑囚とも、私は水戸地裁で死刑判決の前後に接見し、本誌に2回にわたって原稿を書いていた。彼の場合は、そもそも死刑になりたくて無差別殺人事件を犯したのだった。つまり処刑された3人のうち2人までが、自ら死刑を望んだケースで、死刑が本来の刑罰の意味を果たさなかった事例だった。彼らへの刑の執行は、逆に死刑のあり方に問題提起をしているように思えてならなかった。
 2月22日付朝日新聞は「自ら死刑選択一因か」という見出しでその問題を報じていた。つまり、自ら死刑を望んだ2人が同じ日に執行されたのは偶然ではなく、執行の順番を決めるにあたって考慮されたのではないか、という見方だ。
 小林死刑囚については拙著『ドキュメント死刑囚』『生涯編集者』に詳しく書いたのだが、ここで改めて、この2人の死刑囚について書いてみたい。そして改めて死刑について少しでも多くの人に考えてほしいと思う。
 2月21日には、私は新聞のほかにTBS、テレビ朝日、そしてラジオ番組の取材も受けたが、報道で指摘されていたことの一つは、小林死刑囚は自ら控訴を取り下げたのに、なぜ確定後、再審請求を起こしていたのか、という問題だ。その小林死刑囚の行動を「生への執着」と表現する報道もあった。
 実は彼が死刑判決後、控訴審に臨むべきか、控訴を取り下げるべきか、迷っていた時期に、私は相談にのっていた。私のもとへは連日のように手紙が届いたのだが、彼の気持ちは日々揺れ動いていた。そして迷ったあげく、控訴を取り下げ、死刑を確定させてしまったのだった。
 本稿では、小林死刑囚の当時の心境を紹介しながら、なぜ彼が死刑確定後も裁判のやり直しを求めたり、再審請求を行っていたかについて探ってみたい。

死刑を自ら望む一方で本誌手記で心情を吐露

小林薫死刑囚と最初に会ったのは2005年11月27日のことだった。当時、彼は情状鑑定を受けるために、勾留されていた奈良少年刑務所から東京拘置所に移管されており、接見も許可されていた。そこで私が手紙を書いて会いに行ったのである。
 彼が事件を起こしたのは2004年11月17日だった。奈良県で下校途中の小学生の女児をわいせつ目的で自宅に連れ込み、殺害したうえで遺体を遺棄したとされた。悲嘆に暮れる母親に「娘はもらった」というメールを送るという残虐な犯行手口が世間を震撼させた。
 小林死刑囚が逮捕されたのは12月30日だった。裁判は05年4月から奈良地裁で開始されたが、途中で弁護側が情状鑑定を求めたため、一時中断。小林死刑囚は3カ月間、東京拘置所に身柄を移された。
 小林死刑囚の印象は、それまでマスコミが報じていた異常人格というイメージとは違っていた。週刊誌などが報じていた小児性愛者というイメージがあまりにもおどろおどろしいものだったので、ギャップを感じた。
 当時、小林死刑囚は、ある問題で悩み、弁護人を奈良から呼び寄せるなどしていた。それまでの裁判で彼は検察側の主張を認めてきたのだが、実はそれは真実ではない、というのだった。法廷でそれまでの証言を覆して真実を述べるべきかどうか、彼は思い悩んでいたのだった。
 検察側の主張では、小林死刑囚は、女児を自宅に連れ込んだものの、そのまま帰すと自分の犯行が発覚するので、女児が風呂に入っているところを頭を押え込んで湯船に沈めて殺害したとされていた。しかし、彼がその時話したのは、いたずらをするために女児に睡眠剤のハルシオンを大量に飲ませたために、気が付いたら湯船の中で死んでいた、というものだった。
 なぜその主張をそれまでしなかったのかというと、疎外された人生を送っていた小林死刑囚は、自ら死刑を望んでいたからだ。もう生きていても仕方ないので、死刑を選択することで死んでしまいたいと考えていたのだった。
 小学生の時に慕っていた母親を亡くしてからは暴力的な父親に育てられ、小林死刑囚は、万引きで警察沙汰になるなど、すさんだ少年時代を送ってきた。学校ではひどいいじめにあったという。社会に出てからも、常に否定され続け、2004年に女児を死なせた時に、自分はもう死んでしまおうと考えたという。
 逮捕後も裁判でも、彼は捜査側の主張をほとんどそのまま認め、死刑を望むと主張してきた。しかし、一方で、真実を語りたいという思いに駆られ、揺れていたのだという。
 小林死刑囚は、その真実を話そうと決心して、「大事な話がある」と弁護人を奈良から呼び寄せた。そして当時、鑑定にあたった精神科医にも同じ話を打ち明けた。ところが、罪を認めたうえで情状酌量を得るために情状鑑定を求めていたその時点で、裁判を最初からひっくり返すような被告人の話を、弁護人はにわかに信じなかったらしい。彼は失望に囚われ、もう法廷で自分の主張をするのはやめようと考えた。
 2006年2月の手紙に小林死刑囚はこう書いていた。
「奈良少刑へ戻って来た翌日までは、私はまだ『創』に書いたことを法廷で話すつもりでいたのです。でも、どうせ誰にも信じてはもらえないのか、という思いから、それをやめ、『創』に掲載してもらおうと手紙を書き送り、3月号に載せてもらったのです」
 奈良地裁での公判は再開されたが、小林死刑囚はもはや、自分の本心を法廷で述べる意欲を失っていた。そして本誌に「真実」と題する手記を寄せたのだった。
カミカゼニュースブログ 検索
ギャラリー
  • 2017 カミカゼ ニュースまとめ
  • ドバイでしょうゆ「禁止」 想定外のその理由…当局の不可思議な対応 スーパーでは今も普通に販売
  • 北朝鮮の核・ミサイルの資金は一体どこから?韓国ネット
  • アルマジロは防弾仕様? 発砲した弾が跳ね返り男性の顔面直撃
  • トヨタのでかい「ハイラックス」は売れるのか
  • 発表前のiPhone Xに、早くも行列を開始する猛者が出現
カミカゼについて
カミカゼ ニュースブログでは、その日のホットな話題を紹介しています。日別に過去分も読むことができますので読み逃しがありません。スマホ、ケータイにも対応。