飯塚2女児殺人事件 久間三千年

事件当時年齢:54歳

犯行日時:1992年2月20日

罪状:殺人、略取誘拐、死体遺棄

事件名:飯塚2女児殺人事件

事件概要:1992年2月20日朝、久間三千年(くま みちとし)被告は福岡県飯塚市の小学1年女児2人(ともに7)の登校中に自分のワゴン車へ誘い込み、市周辺で首を絞めて殺害、同日11時ごろ、福岡県甘木市野鳥の雑木林に遺体を捨てた。福岡県警は1994年9月、DNA鑑定の結果、遺体周辺の血痕と久間被告のDNAの型が一致したなどとして、久間被告を死体遺棄容疑で逮捕した。

拘置先:福岡拘置所

死刑執行:2008年10月28日 70歳没
 弁護団は再審準備中だった。

久間三千年は、冤罪?

飯塚2女児殺害 久間被告最高裁も死刑 上告棄却「証拠疑いない」

 福岡県飯塚市で1992年、小学1年の梅野裕莉ちゃんと中川藍ちゃん=ともに当時(7つ)=を連れ去り、殺害したなどとして誘拐と殺人罪などに問われ1、2審で死刑を言い渡された無職久間三千年(みちとし)被告(68)の上告審判決で、最高裁第2小法廷は8日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。

 久間被告は捜査段階から一貫して無実を訴えてきたが、滝井繁男裁判長は「被害者の衣服に残った繊維の鑑定など、それぞれ独立した証拠で認められる状況事実から犯人であることに合理的疑いはない。性的欲望を遂げようとした卑劣な動機に酌量の余地はなく、犯行は冷酷非情。死刑の判断は是認せざるを得ない」と判決理由を述べた。

 最高裁が死刑を支持して上告を棄却した判決は、今月3件目。すべて確定すると、拘置中の死刑囚は91人となる。

 判決によると、久間被告は92年2月20日、飯塚市内の路上で登校途中の女児2人をワゴン車に乗せて誘拐。首を絞めて殺害した上、遺体を山中に捨てた。

 滝井裁判長は(1)被害者2人の衣服に被告が使っていた車のシートのものとみられる繊維片が残っていたとの鑑定結果(2)被告の車から見つかった血痕の血液型が被害者の1人と一致し、DNA型も同じ特徴があること(3)遺体に付着していた血液の型は被告と一致し、DNA型も被告のDNA型の一部と一致するとみて矛盾しないこと−などから被告を犯人と認定した。

久間死刑囚は無実では?

 弁護側は上告審弁論で「1審福岡地裁と2審福岡高裁の有罪の根拠は状況証拠しかなく、DNA鑑定は精度や実施方法に問題があり、信用できない」と主張していた。

 久間被告は目撃情報などから、発生の約2年7カ月後に逮捕された。

■再審請求を検討 岩田務・主任弁護人の話

 上告審で有罪の根拠とされたDNA、繊維、血液の鑑定はずさんだ。あやふやな証拠を寄せ集めて、国が人の命を奪うのは、弁護人として憤りを覚える。日本の裁判システムは、科学的証拠について科学警察研究所のいいなりになっている。これを評価する第三者機関をつくらなければ、捜査機関の鑑定がまかり通ってしまい、冤罪(えんざい)事件が繰り返される。久間さんは犯人ではない。今後、新証拠をどう集めるかという問題はあるが、弁護団として再審を請求する方向で考えている。

▽飯塚2女児殺害事件

 1992年2月20日、福岡県飯塚市で、登校途中の小学1年生の女子児童2人=いずれも当時(7つ)=が行方不明になり、翌21日、同県甘木市(現朝倉市)内の山中から遺体で発見された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。

謎を残したままの久間三千年

 同県警は、失跡当日に被害者の遺留品発見現場で目撃されたワゴン車を手がかりに、DNA鑑定や車内の血痕、遺体に付着した繊維片などの状況証拠から、94年、殺人などの疑いで、久間三千年被告を逮捕した。被告は逮捕段階から一貫して容疑を否認、裁判でも無罪を主張したが1、2審とも死刑判決だった。

久間三千年 冤罪の可能性

久間死刑囚「『否』貫く」 市民団体に再審請求伝える

福岡拘置所で刑を執行された女児2人誘拐殺人事件の久間三千年死刑囚(70)は、捜査段階から一貫して無罪を主張してきた。11日に市民団体が開いた世界死刑廃止デー(10日)のイベントにも「有罪の直接証拠がないまま、ひとりの人間に『死』を宣告してはばからないこの国の司法に対して私は『否』を貫き通します」とのメッセージを寄せた。

 久間死刑囚は市民団体に「今後、再審請求する予定」と伝えていた。

 メッセージで久間死刑囚は「警察が証拠を捏造して逮捕した」と主張。逮捕からの14年を「社会から完全に隔離され、孤独のなかで人間としての権利と無実という真実を奪われてきた。これは大きな人権侵害だ」と訴えていた。