東京エムケイ社長「ユ・チャンワン/青木政明」容疑者の反省なき“暴力人生”

とても経営者とは思えぬ所業

会社社長ともあろう者が、刑事事件だけでも3回、暴力をふるった容疑で逮捕されたり、書類送検されたりした――そんな前科があれば、自動的に「経営者失格」だ。異論は許されない。

それが誰あろう、タクシー会社「東京エムケイ」の社長で韓国籍のユ・チャンワン容疑者(54)だ。かつてマスコミは、青木政明という通名で報道していた。それが今回、いきなり実名となった。

確かに東京エムケイの公式サイトは代表取締役を「Yoo Chang Wan」と表記している。MKタクシーを設立した業界の風雲児、故・青木定雄(ユ・ボンシク)氏の二男だ。

実は民事訴訟で暴力行為が認定された事案もあるのだが、まずは計3回の刑事事件から見ていこう。

最新となる今回は、警視庁愛宕署が12月21日、傷害容疑で現行犯逮捕した。21日午前0時ごろ、ユ(青木)容疑者が個人タクシーの運転手を路上に倒し、運転手の顔に靴を投げるなどして1週間のケガを負わせたのだ。

客の迎車を予定していた個人タクシーに対し、ユ(青木)容疑者は窓をしつこく叩くなどして乗せろと主張。運転手が注意するため車の外に出たところを暴行に及んだ。酔っぱらっていたという。

この事件を「タクシー会社の社長が(意外にも)タクシーの運転手に暴力を振るった」という視点で報じたメディアは少なくない。だが、この男は常に暴力を振るっていた。

東京エムケイ社長の暴力行為

第1回目の逮捕は05年3月。神奈川県警宮前署が、やはり傷害容疑で現行犯逮捕した。都内で飲酒し、東急大井町線で大井町駅に向かったが、寝てしまって折り返し運転で鷺沼駅に到着。タクシー乗り場に向かうと長蛇の列に立腹し、駅のカウンターで男性駅員の胸を殴り、取り押さえられた。

次は08年6月、警視庁月島署が傷害容疑で書類送検を行った。4月に同社の営業所で男性社員の太ももを蹴った容疑。ユ(青木)容疑者が男性社員に「指示内容をやっていない」と詰め寄ったところ、「人手が足りない」と反論され、腹を立てたという。

1回目と3回目は酒を呑んでいたが、2回目は素面(のはず)だ。部下に言い返されたら蹴るのだから、経営者というレベルではなく、人として間違っている。だが悔い改めるはずもなく、この後も暴力行為は続く。週刊誌「FRIDAY」(講談社)は以下のように報道した。

「タクシー会社元社長 東京エムケイ・青木政明氏 『ドライバーに後部座席から暴行』映像」(13年4月19日号)

「『お前、アホやろ。アホー!』昨年から社員の4分の1が退職 MKタクシー 東京エムケイ 社長超パワハラ&蹴り連発でまた敗訴 衝撃写真」(15年4月3日号)

元社長になったり社長になったりしているのは誤植ではなく事実だが、それについては後述する。記事の内容は推して知るべしだが、念のために13年4月19日号の冒頭を紹介させて頂こう。

父親が無料の「お詫びタクシー」を運転

FRIDAYの記事は、こうして始まる。

《後部座席に座ったスーツ姿の大柄の男性は、足を大きく振り上げたかと思うと、運転席のシートを激しく蹴り飛ばした。

「クビじゃ、おい! 辞めろ、お前!」
「アホか、お前。ボケぇ。帰れ、帰れ!」

男性は口汚くドライバーを罵(ののし)り、シートへ2発目の蹴りを入れる。その衝撃でヘッドレストは大きく変形し、顔面蒼白のドライバーは声も出ない――。》

こんな男が経営する会社がブラック企業でないのだとしたら、それこそ本当のニュースだ。FRIDAYのタイトルにもあるが、次は訴訟をまとめる。

朝日新聞は13年3月、「東京エムケイ元社長の暴行認定 東京地裁」と報じた。運転手5人が暴行を受けたとして、東京地裁は事実を認定し、5人に計約500万円を社と「元社長」に払うよう命じたのだ。

やはり14年には運転手6人に対し、東京地裁が1人あたり33万円の支払いを命じた。刑事事件化していない暴力行為も相当にあったのではないかと疑われても仕方のないレベルだ。

おまけに17年には元運転手12人に対し、未払い賃金2100万円を支払えと同じ東京地裁が判決している。社員を蹴るわ、おまけに給料を払わないわ、これほどのブラック企業は、そうはないだろう。

ユ(青木)容疑者は狡猾な面も持つ。問題を起こすと反省のつもりか社長を辞めるのだが、ほとぼりが冷めたところに復職する。

05年、東急線での暴行で、最初に社長を辞任した。名物オーナーだった父親の定雄氏が謝罪会見を開き、「わたしも原点に戻るため、もう一度ハンドルを握る」と表明。実際に東京都内で「お詫びタクシー」を運転した。無料にするため、営業車ではなく一般車を使った。

また今回も社長を辞任したが……

だが、数年するとユ(青木)容疑者は社長に再就任する。そのために太ももを蹴って書類送検された時(08年6月)は「社長」の肩書だった。だが、上の朝日新聞にある「暴行を受けた」と訴えた運転手5人が11年に提訴する直前に再び社長を辞任。そしてまた社長に返り咲く。その結果、FRIDAYの記事は13年が「元社長」となり、15年が「社長」という表記になったわけだ。

改めて今年17年の同社をまとめてみると、5月に未払い賃金約2100万円を支払えと東京地裁に命じられ、6月に定雄氏が88歳で死去。そして12月に社長のユ(青木)容疑者が逮捕された――という1年だったことになる。

そして“定石”通り、またまたユ(青木)容疑者は社長を辞任した。同社の公式サイトは以下のような文書を発表した。

《本件を受け、ユ・チャンワンは当社代表取締役及び取締役の職を速やかに辞任し、速やかにその手続を行うことといたします。後任の代表取締役については決まり次第お知らせいたします。なお、その間の当社経営については、ロサンゼルスMKの代表ソニー・パークが遂行してまいります》

しかしながら、事情を知る者なら誰もが「どうせ社長に再々就任するんだろ」と考えているに違いない。泉下の親父は泣いている。