カミカゼニュース

死刑執行

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

平成13年11月25日、群馬県安中市の山口組系暴力団組長の高見沢勤(当時46歳)は、前年の平成12年7月に起こした玉突き事故の保険金詐欺が発覚するのを恐れて、配下の組員に命じて、事故の被害者役にさせていた土木作業員のA(当時60歳)を群馬県安中市の林道で射殺して山林に遺棄した。高見沢は、保険会社から約1300万円を詐取していた。

平成17年4月3日、高見沢は配下の幹部と共謀して、組事務所に身を寄せていたB(当時35歳)を拳銃で射殺した。その後、遺体を松井田町の山林に遺棄した。高見沢とBは、かつて同じ組に所属していた仲間だった。5年前に関西地区から移り住み高見沢の組事務所に出入りするようになった。だが、Bの態度、言動が原因で組内にトラブルが続いていた。

更に同年8月、稲川会系の幹部Cが破門となり、高見沢の事務所に出入りするようになった。これを不満に感じた稲川会系のD組長(当時61歳)ら数人がCの自宅を襲撃してCに重傷を負わせた。高見沢は、面子をつぶされたと激昂し同年9月4日午後11時過ぎ、安中市の路上でD組長を射殺した。

高見沢勤 死刑確定

同年11月17日に高見沢は逮捕された。取調べから公判を通して「自分は、遺体を遺棄しただけ。いずれの殺人は配下の者が行った」として無罪を主張した。だが、平成20年2月4日、前橋地裁は、「組長の立場から組員に殺害を指示した。被告が責任を最も問われる立場にある」と断じて死刑を言い渡した。

同年12月12日、東京高裁は一審判決を支持して高見沢の控訴棄却。平成24年10月23日、最高裁は上告を棄却して高見沢に死刑が確定した。

死刑執行 群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

2014年8月29日

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

kobayashi20140830pic_2108【事件概要】
2001年5月8日、武富士弘前支店に押し入った男が「金を出せ」とガソリンに火を付けた。これにより従業員5人が死亡、4人がやけどを負った。犯人は何もとらずに逃走した。

 2002年3月3日、タクシー運転手・小林光弘(当時43)が逮捕された。

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

青森県南津軽郡平賀町で4人兄弟の次男として生まれる。
 千葉県で定時制高校に通っていた当時、ガソリンスタンドでアルバイトしていた。

 1987年、青森に帰りタクシー会社に勤務。人当たり良く、勤務態度も真面目だった。

 1995年1月、自宅購入。このときの1760万円の住宅ローンを組む。

 1997年ごろ、自身の仲人の女性・A子に「面倒を見ている一人暮らしの老人から近々1000万円もらえる予定だが、その手続きに金がいる。貸してもらえないか」と持ち掛けられ、青森市内の4つの消費者金融から50万円ずつ、計200万円を借金した。小林の妻も消費者金融から50万円を用立てていたという。

 1998年頃、タクシー会社の労働組合から10万〜20万円程度を借りて青森競輪場に行き「一発勝負したが負けた」などと話していた。この借金は給与から天引きで返済していたというが、競輪資金として複数の消費者金融から金を借りていた。借金の総額は2300万にまで膨れ上がっていた。

 一時は同僚を交え、A子に金を返す旨の念書を書かせたりしたとされるが、既に督促に困っていた小林は、退職金を見込んで10年勤めた青森のタクシー会社を退社して、以後職場を転々とする。上京し、東京のタクシー会社にも勤めたこともあったが、3ヶ月ほどで青森に戻った。

 2000年4月、増収を見込んで軽貨宅配の仕事を始める。

4月末、行方をくらましていたA子が、岩手県にある港で一家三人と心中。A子はその直前、詐欺容疑で青森署から指名手配されていた。小林もA子を信じ込んでおり、A子の死で借金を完全に背負う形になった。増大した借金に小林はますます競輪にのめりこむようになる。

 2001年5月、1度辞めたタクシー会社で再び働き始める。同僚は「勤務態度はまじめ」「安定したノルマを果たす仕事ぶりだった」と話している。

武富士弘前支店強盗放火殺人 犯行について

5月7日、勤務先の休日を利用して弘前支店を訪れ、カウンターの位置や従業員数を確認。浪岡町周辺のガソリンスタンドで約4リットル入りの金属缶でガソリンを購入した。ちなみに犯行当日も休日だった。

 5月8日午前10時45分頃、小林が弘前市田町5丁目のビル3階の武富士弘前支店に押し入る。支店には出入り口から奥が見えないように、カウンター部分と店舗奥にある管理室との間を仕切る壁があり、男は出入り口近くからカウンターの内側に向かって、金属製の缶に入ったガソリンを主成分とした混合油をまいた。撒き終えると、小林は「金を出せ出さねば火をつけるぞ」と津軽弁で脅迫、支店長が断ると火を付けた。同48分には支店長が「今、男が来て火を付けるところだ」と通報。凶行はわずか2〜3分の間に行われた。

当時、支店内の金庫には1000万円が入っていたが、小林は予想以上に火の勢いが強かったためか、何もとらずに外に停めておいた緑色の軽ワゴン車「スバル・サンバー」で青森市方向に逃走。
 
 この火災により、同支店勤務の田沢伸治さん(36歳)、太田はるかさん(20歳)、葛西志保里さん(22歳)、笹森容子さん(46歳)、福井貴子さん(30歳)の5人が焼死、他に店長ら4人も火傷を負った。亡くなった5人は店舗奥に追い詰められたような状態で発見された。出入り口は1カ所しかなく、このため、従業員らは出入り口から反対方向の管理室の方に逃げたが火の回りが早く、避難口に設置したロープ式の避難器具も使えなかった。駆け付けたファストフード店の店長らがかけたはしごで、火傷を負いながらも4人が脱出できただけだった。

同支店では防犯ベルが5箇所に設置されており、ベルが鳴れば数分で警備員が駆けつける体制になっており、2台の防犯カメラも24時間稼動していた。しかし、店内の焼失とともにカメラも燃えてしまい、科学捜査研究所にまわせないものが多かった。

 5月9日、小林は事件翌日にはなにくわぬ顔で出勤している。この日、ガソリンを入れていた4リットルの金属缶を自宅近くの雪捨て場のようなところで捨てた。

 5月下旬、小林、裁判所で自己破産の申請。

 12月25日、事件が起こった弘前市のビルが取り壊される。

 武富士では犯人の似顔絵入りのポケットティッシュ2億5000万個を配り、犯人逮捕に協力した。ニュース番組などでも似顔絵がたびたび紹介されるなど、小林を追いつめていった。

小林光弘 逮捕

翌2002年3月3日朝、犯人が逃走に使った車と同じ色の緑色の軽ワゴン「スバル・サンバー」を保有、犯人の似顔絵とよく似ていたことから、青森県浪岡町の小林に任意同行を求めた。3月4日、取り調べた結果「わたしがやりました」と容疑を認め、逮捕。犯行当時着ていたつなぎも小林の自宅でみつかった。

 逮捕後の小林の供述は以下のようなものである。

「5人も死ぬと思わなかった」
「火を付けたのは逃げるためで、殺意はなかった」
「人生、命を奪ってしまい、ひたすら頭を下げるだけです。後は、法の裁きを受けるだけ」

武富士弘前支店強盗放火殺人

2003年2月12日、青森地裁、「競輪にのめり込んで借金を重ねた末の犯行。焼死者5人、負傷者4人を生じさせた罪責は限りなく重い」として、求刑通り死刑を言い渡した。小林、控訴。

 2004年2月19日、仙台高裁、控訴棄却。小林は上告。

 2007年3月27日、最高裁・上田豊三裁判長「逃げ道のない室内で放火し、恐怖におののいている被害者らを焼き殺した凶悪で残虐な犯行。結果も極めて重大」と述べ、上告を棄却。死刑が確定した。

死刑執行 武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

2014年8月29日

死刑執行 3人殺害の川崎死刑囚 政権交代後9人目

死刑執行 3人殺害の川崎死刑囚 政権交代後9人目

谷垣禎一法相は26日午前、2007年に香川県坂出市でパート従業員の女性とその孫娘2人が殺害された事件で、殺人や死体遺棄などの罪により死刑が確定していた川崎政則死刑囚(68)=大阪拘置所=の死刑を執行したと発表した。死刑執行は昨年12月以来。12年12月の政権交代で谷垣法相が就任して以降、5回で計9人が執行されたことになる。

確定判決によると、川崎死刑囚は07年11月、金銭トラブルなどで恨みを抱いていた義理の姉の女性(当時58歳)を殺害しようと女性宅に侵入。女性と、たまたま隣家から泊まりに来ていた女性の孫で、当時5歳と3歳だった姉妹を刺殺し、遺体を坂出港近くの資材置き場に埋めて遺棄した。

 川崎死刑囚は公判で起訴内容を認めていたが、1、2審で弁護側は「被告は心神耗弱状態にあり、死刑に処するのは酷に過ぎる」などと主張。上告審でも「計画性は高くない」などとして死刑回避を求めたが、最高裁が12年7月に上告を棄却し、同8月に死刑が正式に確定した。確定から執行までの期間は約1年10カ月。

 今回の執行は、静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌元被告(78)が今年3月に再審開始決定を受けて釈放されて以降、初めて。袴田さんを除くと、確定死刑囚は128人となった。

 谷垣法相は26日午前の記者会見で「誠に身勝手な理由で3人の命を奪った残忍な事件で被害者、遺族の無念はこの上ない。慎重な検討を加えて判断した」と述べた。

大阪DDハウス事件などの死刑囚の刑を執行 谷垣法相が命令

大阪DDハウス事件などの死刑囚の刑を執行 谷垣法相が命令

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大阪DDハウス事件 死刑執行 加賀山領治

法務省は12日、平成12(2000)年と20年に大阪府大阪市内で発生した通行人らの殺害事件の加賀山領治死刑囚(63)=大阪拘置所=と、昭和61年に山梨県で起きた前妻の伯母ら殺害事件の藤島光雄死刑囚(55)=東京拘置所=の2人の死刑を執行したと発表した。死刑執行は第2次安倍政権発足後の今年2月21日の3人、4月26日の2人、9月12日の1人に続き、谷垣禎一法相のもとで4回目。未執行の確定死刑囚は129人となった。

以前は平均5年7カ月…現政権4回目、1年半で執行

加賀山死刑囚は死刑確定から執行までの期間は1年半だった。法務省によると、平成15年から今年4月までの約10年間で平均約5年7カ月。昨年末に自民党政権となってから、確定から執行までの期間が短期で執行される例も出ている。

 加賀山死刑囚は平成12年7月、大阪市中央区の路上で中国人女子留学生の韓頴(ハンイン)さん=当時(24)=のバッグを強奪し、ナイフで刺殺。助けに入った会社役員の足を刺した。さらに20年2月、同市北区の複合ビル「D・D HOUSE」の2階トイレ内で、会社役員の森永彰さん=同(30)=にナイフを突きつけて「金を出せ」と脅し、胸などを刺して殺害した。

 1、2審では殺意の有無などが争点となったが死刑判決を受け、昨年7月、最高裁第3小法廷が上告を棄却。死刑が確定していた。

死刑執行について、経営していた串カツ屋などで約2年間、韓さんを雇っていた大阪市都島区の大島矢洲男さん(71)は「死刑は当然。遺族の方も落胆していたし、執行は遅いぐらいだ」と話した。

 一方、2審大阪高裁で加賀山死刑囚の国選弁護人を務めた佐野喜洋(よしひろ)弁護士(大阪弁護士会)は「裁判所の判断なので、やむを得ないのかとも思うが…」と無念さをにじませた。

 また、藤島死刑囚は昭和61年3月、前妻の伯母=当時(73)=を浴槽の水中に押し込んで殺害。自宅に戻った前妻と逃亡したが金に困り、前妻と交際のあった会社員=当時(26)=を新潟市内のホテルに呼び出し、前妻と共謀して殺害した。1、2審とも死刑判決を言い渡され、最高裁も平成7年6月、上告を棄却して死刑が確定した。

加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

元アルバイト、加賀山領治被告は2000年7月29日午前1時頃、大阪市中央区の路上で帰宅途中の中国人女子留学生(当時24)のバッグを強奪。自転車で逃走し、取り押さえようとした会社役員の男性(当時34)の左足を刺し、さらにバッグを取り返そうと追いすがってきた女性の胸や腹などを刺して逃げた。女性は搬送先の病院で約1時間後に死亡した。加賀山被告は1999年に退社後はアルバイトをしていたが、事件直前は大阪城公園でホームレス生活を送っており、借金も断られ所持金はほとんどなかった。
20131212001waf13121211180018-p1加賀山被告は「当時一緒に路上生活をしていた男に誘われた」と語っている。犯行直後「60歳ぐらい」とされる共犯の男と大阪城公園で合流し、奪った6000円を山分けしていたが「名前は知らない」と言い、氏名不詳のまま特定には至っていない。

 加賀山被告は2008年2月1日午後10時15分ごろ、大阪市北区にある複合ビルのトイレに窃盗と強盗の両方の準備を整えて潜み、たまたま入ってきた会社員の男性(当時30)にナイフを突きつけ「金を出せ」と脅したが、応じなかったため、胸などを刺して殺害した。加賀山被告は2007年秋に仕事を辞めて以降、競馬やパチンコで所持金を使い果たしていた。
 加賀山被告は2月8日午前、大阪府府警此花署に出頭した。当初は盗みの準備をしていたところを見られたため殺害したと供述していたため殺人容疑で逮捕されたが、後に強盗目的を認めた。
 大阪府警は加賀山被告の余罪を調べていたが、2000年の事件現場に残されていた犯人の血液のDNA型が加賀山被告と一致。3月21日、大阪府警は加賀山被告を再逮捕した。

裁判 加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

2008年11月20日の初公判で、加賀山被告は「殺そうとは思っていなかった。取り押さえられそうになり夢中で刺した」と述べ、被害者2人への殺意を否認した。検察側は冒頭陳述で、1999年に会社を退職後、借金をしながら遊び暮らしていた加賀山被告が知人と強盗計画を立て、自転車で帰宅中の女性からバッグを奪った際、逮捕を逃れるため胸を狙ってナイフを突き刺したと指摘。胸と腹を2回刺し、傷口も17センチと深いことから殺意があったとした。
 12月26日の論告求刑で検察側は胸などを複数回刺したことや傷の深さが7〜17センチに達していたことなどから殺意があったと主張。「犯行は冷酷、執拗で残虐非道。鬼畜と化した者のなせる沙汰。一片の人間性のかけらも見いだすことができない。反省の態度が認められず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「捕まりそうになり夢中で刺した。殺意はなかった」として強盗致死罪にあたると主張。2月の事件後、警察に出頭しており、自首を認めて懲役刑にするよう求めた。加賀山被告は最終意見陳述で「今さら遅いが、申し訳ないことをした」と述べた。
 判決で細井裁判長は強盗殺人が、ナイフを用意した上で胸などを複数回突き刺し、傷も深いことに触れ「計画的であり、殺意を持って犯行に及んだと認められる」と殺意を認定。加賀山被告が男性の事件後、警察署に出頭したとして、自首の成立を主張していた点についても、強盗目的を隠していたことなどに言及し「申告したとは評価できず、自首と認められない」と弁護側の主張を退けた。その上で「留学生事件から約7年半後に男性を殺害しており、真摯に反省し、再犯防止に努めると期待するのは困難。加賀山被告は法廷で不合理な弁解に終始しており、真に反省しているとは認められず、死刑回避を相当とするような酌量すべき事情は見当たらない。2人の若者の尊い命を奪った結果は重大。遺族らの処罰感情もしゅん烈。殺意も認められ、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 被告、弁護側は控訴した。
 弁護側は一審に続き控訴審でも「いずれの事件も、無我夢中で振るった刃物が当たった。事件当時は正当な判断能力を欠いていた」として殺意を否認し心神耗弱状態にあったと主張。加賀山被告が男性刺殺事件の1週間後に出頭した点に触れ、「殺人を申告したことで捜査を容易にした」として無期懲役への減刑を求めた。
 湯川裁判長は判決で「相当の力を込めて何度も突き刺しており、いずれの事件にも、未必の殺意が認められる。金品を奪取しており、完全に責任能力はあった」などと弁護側の主張を退けた。そして「危険かつ残忍な犯行で若い2人の無念は察するに余りある。性懲りもなく凶悪犯罪を繰り返し、金銭のために人の命を顧みない危険な犯罪性向は根深く、更生の可能性は乏しい」と述べた。

 2012年6月19日の最高裁弁論で、弁護側はいずれの事件も殺意を否認。「仮に殺意があったとしても未必の故意にとどまり、実質は限りなく傷害致死罪に近い。自首も成立する。最も重くても無期懲役が相当」と訴えた。検察側は「殺意は明らかで、結果の重大性を考えれば死刑が重すぎるとは言えない」として上告棄却を求めた。
 判決で寺田裁判長は、「あらかじめ凶器を準備して金品を奪えそうな相手を物色するなど、強盗については計画性が認められる上、殺害態様は残虐かつ冷酷。何ら落ち度のない2人の生命を奪い、1人に傷害を負わせた結果は誠に重大。1件目の犯行後に再び金銭に窮して強盗を決意しており、経緯や動機に酌量すべき事情は認められない」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。

犯行日時

2000年7月29日/2008年2月1日
事件当時年齢 58歳
罪状 強盗殺人、強盗殺人未遂
死刑執行 2013年12月12日 63歳没

死刑:2人の刑を執行…政権交代後、4回目

死刑:2人の刑を執行…政権交代後、4回目

法務省は12日午前、1986年に山梨・新潟両県で2人を殺害した藤島光雄死刑囚(55)=東京拘置所=と、2000年と08年に大阪市で2人を殺害した加賀山領治死刑囚(63)=大阪拘置所=の2人の刑を執行した。死刑執行は9月12日以来。昨年12月末の政権交代後では4回目で、計8人に執行されたことになる。今回の執行により確定死刑囚は129人となった。
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確定判決によると、藤島死刑囚は86年3月、山梨県笛吹市(旧春日居町)の前妻宅で、口論になった前妻の伯母(当時73歳)を浴槽に押し込んで殺害。5日後、逃走資金を得るため、前妻の知人男性(同26歳)を新潟市内のホテルに呼び出し、金を脅し取って殺害した。

 加賀山死刑囚は00年7月、大阪市中央区の路上で中国人留学生の女性(同24歳)からバッグを奪って刺殺。取り押さえようとした男性(同34歳)にもけがをさせた。08年2月には、大阪市北区の商業施設のトイレで強盗目的で男性会社員(同30歳)を刺殺した。

 記者会見した谷垣禎一法相は「いずれも極めて残忍な事案だ。十分な審理を経た上で死刑が確定しており、慎重な検討を加えた上で執行した」と述べた。

熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

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事件当時年齢 64歳
犯行日時 2004年5月29日/6月23日
罪状    強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗未遂、銃刀法※違反、現住建造物等放火未遂、建造物侵入
死刑執行    2012年9月12日

横浜中華街店主銃殺事件

無職熊谷徳久(くまがい・とくひさ)被告は2004年4月に窃盗罪で服役していた刑務所を出所すると、ディスコの開店資金を得るために強盗を計画。
 2004年5月6日、熊谷被告は東京駅のキヨスク集金事務所を拳銃で襲撃するつもりだったが、目的の集金所を見つけることができず、腹いせのため午後5時頃、東京駅地下3階の機械室に灯油をまいてライターで放火。廃棄するため置いてあったエアコンやペンキ缶などを焼いた。この火事で、東京駅地下5階にある総武快速・横須賀線ホームに白煙が立ちこめ、乗客約300人が避難する騒ぎになった。なお、熊谷被告が思い込んでいたキヨスクの集金事務所というものは存在しない。
 5月27日、熊谷被告は現金を奪おうと横浜市内の警備会社事務所を襲ったが、何も奪うことはできなかった。
 5月29日深夜、熊谷被告は横浜中華街の中華レストラン経営者(当時77)を横浜市中区の自宅前で待ち伏せし、頭を拳銃で撃ち殺害。経営者が持っていた売上金約44万円入りのバックを奪った。
 6月23日朝、熊谷被告は東京メトロ渋谷駅構内で駅員(当時32)の腹を拳銃で撃ち、右足まひなどの後遺障害を残す重傷を負わせ、持っていた洗面用具などの入った紙袋を奪って逃走した。
 熊谷被告は6月26日、渋谷駅銃撃事件について警視庁に出頭。その後、横浜市の強盗殺人事件で家の周辺に残された指紋が一致したこと、銃弾に残された線条痕が酷似していることから神奈川県警が追求、犯行を自供した。出頭当時、所持金は数百円だった。
熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
強盗殺人の73歳男 死刑執行
熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害

熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害

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法務省は12日朝、2004年に横浜市の中華料理店の店主を殺害したなどとして死刑が確定していた熊谷徳久死刑囚(73)の刑を執行した。

 確定した判決によると、熊谷死刑囚は2004年5月、横浜市で中華料理店の店主を射殺して現金を奪った他、翌月には東京・渋谷駅で売上金を奪おうとして駅員に発砲し、重傷を負わせた。

 一審は死亡した被害者が1人であることなどから無期懲役を言い渡したが、二審は死刑を言い渡し、2011年、最高裁で死刑が確定していた。

 谷垣法相が就任してから死刑が執行されるのは2月に3人、4月に2人の死刑が執行されて以来、3回目となる。今回の執行で、確定死刑囚の数は132人になった。
熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
強盗殺人の73歳男 死刑執行
熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に

熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に

政権交代後としては3回目となる死刑が12日執行された。

 熊谷徳久(くまがいとくひさ)死刑囚(73)は2011年6月、前社民党党首の福島瑞穂参院議員と死刑廃止を求める市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が全国の死刑囚を対象に行ったアンケート調査に回答を寄せ、拘置所内での様子をつづっていた。

 熊谷死刑囚は「自分は平成23年3月8日に脱走を企てて、武器を作り、牢番(ろうばん)を傷つけている人間」などと最高裁判決後に、拘置所からの脱走を図ったことがあると記載。同月下旬には、「運動所」で自殺を図って「懲罰」を受けたとも記していた。

 また、「寝る時は布団はなしで、毛布が3枚と、黒色の上下の、下が5ミリと上が1センチの黒色の布」と寝具について記し、1人で入っているとみられる「鎮静房」にいるとした上で、「自分がどうしてと言うと、お前は特別な人間であるから」と拘置所の職員に言われたとしていた。

 アンケートは社会の人々に伝えたいことなどを自由に記載するよう促していた。

 一方、04年5月、横浜市中区の自宅前で熊谷死刑囚に父親(当時77歳)を殺害された長男(59)は、死刑執行の知らせに「やっと終わった」と声を震わせた。

 長男は「何の面識も理由もなく父を殺した熊谷死刑囚の死刑は当然。判決が確定して執行まで時間がかかったが、遺族にはどうしようもない。中ぶらりの状態がたまらなかった」と振り返り、「82歳になるお袋が生きている間に決着がついてよかった。早く伝えたい」と述べた。
熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
強盗殺人の73歳男 死刑執行
熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

強盗殺人の73歳男 死刑執行

強盗殺人の73歳男 死刑執行

平成16年に横浜市で料理店の経営者をけん銃で射殺したほか、東京の地下鉄渋谷駅で駅員に発砲して大けがをさせたとして強盗殺人などの罪で死刑が確定した73歳の男の死刑が、12日午前、執行されました。安倍政権で死刑が執行されたのは、ことし4月以来3回目です。

死刑が執行されたのは、平成16年5月に横浜市で中国料理店を経営していた当時77歳の男性をけん銃で射殺し、店の売上金40万円余りを奪ったほか、翌月の平成16年6月に東京の地下鉄渋谷駅で駅員をけん銃で撃ち、大けがをさせたとして、強盗殺人などの罪で死刑が確定した熊谷徳久死刑囚(73)です。安倍政権で死刑が執行されたのは、ことし4月以来3回目で、合わせて6人になりました。

また、今回の死刑執行で刑が執行されていない死刑囚は132人となりました。谷垣法務大臣は会見で「誠に身勝手な理由で尊い人命を奪った極めて残忍な事案であり、被害者や遺族にとって無念このうえない事件だ。裁判所で十分な審理を経たうえで最終的に死刑が確定した事実を踏まえ、慎重な検討を加えたうえで死刑の執行を命令した」と述べました。

「容認出来ない」

日本弁護士連合会の山岸憲司会長は「執行された死刑囚は、1審は無期懲役で、2審で死刑判決が言い渡され、裁判官の間でも死刑にすべきかどうかの意見が分かれた事件だった。社会的な議論が行われないまま繰り返し死刑が執行されるのは到底容認できない。死刑に関する情報を広く国民に公開し、有識者による会議を行うべきだ」とするコメントを出しました。

「やっと区切り」

死刑の執行について、殺害された男性の59歳の長男は「死刑執行の知らせを聞き大変驚きました。遺族にとって死刑は当然のことです。やっと区切りがついたように思います。死刑判決の確定後は何の情報もなく本当に長かったです。早く父の墓前に報告したいと思います」と話していました。
熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
強盗殺人の73歳男 死刑執行
熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件
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