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死刑

鎌田安利 連続女性殺人事件

鎌田安利 連続女性殺人事件

1995(平成7)年4月10日、大阪府警は洋品店の倉庫から紳士用のスラックス78本を盗んだとして大阪市西成区の鎌田安利(54)を逮捕した。ところが、この取り調べで鎌田の指紋が1985(昭和60)年6月に奈良・広陵町の竹やぶでバラバラ死体となって発見された知念みどりさん(19)の殺害犯人から警察に送られてきた「挑戦状」の手紙に付いていた指紋と一致。このため捜査本部は鎌田を厳しく追及した結果、5月12日になって知念さん他5人の殺害を自供した。6月12日、警察庁は「広域重要指定122号」に指定。

201603250001鎌田の供述によると、知的障害施設を抜け出し通天閣付近をブラついていた知念さんに声をかけ自宅のアパートに連れ込み関係を持った。その後、知念さんに小遣いとして1万円を渡したところ「少ない」と言われてカッとなった鎌田は知念さんを絞殺し死体をバラバラにして奈良県内で死体を遺棄した。

更に1985(昭和60)年5月、家出中の主婦・東富佐枝さん(46)と飲み屋で知り合い、自宅アパートに連れ込み関係。その後、絞殺して死体をバラバラにして兵庫県西区の雑木林に遺棄した。

1987(昭和62)年1月22日には小学校3年生の辻角公美子さん(9)に大阪・住吉区で道を尋ねるふりをして、いたずら目的でアパートに連れ込み騒がれたため絞殺。死体を大阪・豊能町の山林に遺棄した。さらに、公美子さんの自宅に身代金を要求する電話をかけた。

1993(平成5)年7月にもホステスの須田和枝さん(45)、1994(平成6)年3月には飲食業の中野喜美子さん(38)もそれぞれ自宅アパートで絞殺し死体をバラバラにして遺棄した。この結果、鎌田は5人の女性を連続殺害していたことが判明した。

鎌田は死体をバラバラにした理由を「運搬に楽だったから」と供述し、隠ぺいする目的ではなかったことが判明した。その証拠に、バラバラ死体を遺棄する場合、各所・各場所に別々に遺棄するのが通常であるのに対して、鎌田は全て一ヶ所にまとめて遺棄していた。


鎌田は愛媛・大洲市で出生。地元で結婚しニ児をもうけたが、妻と死別。その後、故郷をあとにして大阪の西成区に20年間住み着いていた。鎌田の生計は盗品の衣料や装飾品を自転車に積んで地元の飲食関係の女性達に売り歩いていた。盗品のため価格も安かったことと、太った体型・満面の笑顔・ボロボロのジャンバーにズボンという格好は「愛嬌がある」と女性達には評判で、皆から「鎌ちゃん、鎌ちゃん」と呼ばれていた。

ところが、客として居酒屋やスナックに行くと一変して実に金に細かく、ホステスに札びらを見せては口説くのだが、実際に飲食代の支払いになると「なんでこんなに高いんだ」と狂ったように怒鳴りだし、地元ではトラブルメーカだったという。

公判中、鎌田は「自白を強要された」として無罪を主張していたが、1999(平成11)年3月24日、大阪地裁は鎌田に死刑を言い渡した。2001(平成13)年3月27日、控訴審の大阪高裁は控訴を棄却。1審の死刑を支持した。

2005(平成17)年7月8日、最高裁は鎌田の上告を棄却。その上で、「人命への慈しみや尊重の念はみじんもうかがわれない。特に、9歳の前途ある少女を殺害したうえ身代金を要求した行為は残酷、卑劣極まりなく、非人間的な所業というほかない」と指摘した。これにより、鎌田の死刑が確定した。

死刑執行 2016年3月25日

「闇サイト事件」で死刑執行、被害者母の思い

「闇サイト事件」で死刑執行、被害者母の思い

あまりに残忍な殺人事件の主犯格に死刑が執行されました。神田司死刑囚は8年前、闇サイトで知り合った2人の男と磯谷利恵さんを車で拉致し、金槌で殴るなどして殺害しました。磯谷さんは恐怖の中「殺さないで下さい」と命乞いをしたといいます。極刑を求め続けた母親、25日の死刑執行に何を思うのでしょうか。

 「やっとという感じ。事件のことを忘れたいと思うのが当たり前。そういう段階を終えた」(磯谷富美子さん)

 「本日、神田司の死刑を執行しました」(上川陽子法相)

 死刑が執行された神田司死刑囚(44)。2007年8月、共犯の男2人とともに、名古屋市千種区春里町の路上で、たまたま通りかかった派遣社員の磯谷利恵さん(当時31)を拉致。財布などを奪ったうえ、磯谷さんを殺害し、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に遺棄しました。

 何の面識もなかった3人を引き寄せたのが、「闇の職業安定所」。犯罪のために仲間を募る携帯電話のいわゆる「闇サイト」が社会に明るみにでた事件でした。

 「娘は去年の8月に自宅を目前に拉致され、そして2時間後には本当にむごい殺され方をいたしました」(磯谷富美子さん、2008年)

 死刑を求める遺族。2009年、一審の名古屋地裁が動機や被害者の数などを考慮して、やむを得ない場合に死刑が許されるとした「永山基準」をどうとらえるのか。

 「死刑判決です、死刑です。神田被告と堀被告に死刑判決が言い渡されました」(記者)

 「犯行は極めて悪質で、被害者が1人であることを考慮しても極刑はやむを得ない」(近藤宏子裁判長、名古屋地裁 当時)
 「インターネット上の掲示板を通じて匿名性の高い集団によって行われ、模倣される恐れも高い極めて悪質性の高い種類の犯行」(近藤宏子裁判長、名古屋地裁 当時)

 裁判所はそうも付け加えました。

 最も積極的に殺害行為に及んだとされた神田被告は、判決後、名古屋拘置所での記者との面会に、こう応じます。

 「地裁では更生の余地について触れていない。高裁では更生の余地について争うべきでしょう」(神田被告)

 しかしその後、神田被告は控訴を自ら取り下げて、死刑が確定。他の2人は控訴審を経て無期懲役が確定します。

 死刑確定から6年。
 「誠に身勝手な理由から、被害者の尊い人命を奪った極めて残忍な事案」(上川陽子法相)

 去年の8月以来となる死刑が執行されました。

 「遺族にとっては刑が執行されることは大きい。私が忘れたいことは利恵も忘れたいと思うので、一切、報告する気はない」(磯谷富美子さん)

 遺族が求め続けてきた死刑。それが執行された25日、事件はひとつの区切りを迎えたことになるのでしょうか。

闇サイト殺人事件 神田司

闇サイト殺人事件 神田司

闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日に愛知県名古屋市内で発生した強盗殺人事件。闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことが注目された。愛知女性拉致殺害事件ともよばれる。
kanda2015BNLbMZ6J犯行まで2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区の路上を歩いていた31歳の女性を、男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。にわかつくりの犯罪実行グループであった。この闇サイトで無職の40歳男Aが投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった36歳男Bと無職の32歳男Cの2人の男が参加し犯行を決め、女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

犯行当日8月24日午後10時頃、名古屋市千種区で帰宅途中の路上を歩く女性を車に連れ込んで、手錠をかけて拉致。約6万円とキャッシュカードを奪う。さらに包丁で被害者を脅して、キャッシュカードの暗証番号を聞き出し、8月25日午前0時頃、愛西市佐屋町の駐車場で被害者を殺害する。

被害者の女性は「殺さないで下さい」「話を聞いて」と何度も命ごいをしたが聞き入れられず、容疑者は犯行が露見するのを恐れ、被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、ハンマーで頭を数十回めった打ちにし、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走した。女性の死因は窒息死とみられている。この男ら3人以外に男1人(第4の男D)も「闇の職業安定所」で知り合って行動を共にしていた。一緒に女性拉致事件の前日に名古屋市内の事務所に窃盗目的で侵入したものの、途中で怖くなり逃げ出し女性拉致事件直前の時間に警察に自首した(Dは裁判で窃盗未遂罪と強盗予備罪で懲役2年・執行猶予3年が確定)。

女性を殺害した翌日の8月25日午後1時になり、容疑者のうちAが愛知県警に犯行をほのめかす電話をし、逮捕に至った。警察に事件に関与したことを話した理由は「死刑になりたくなかったから」とのことだった。逮捕後なお、当該事件を報道で「犯罪の温床」と大きく取り上げられた闇サイト「闇の職業安定所」は8月27日に閉鎖された。また被害者の女性は趣味のブログを公開しており、そこには被害者に対し哀悼のコメントが殺到した。被害者の母親がマスコミ宛に「もう少しで自宅につけたのに」「犯人を絶対に許せない」という趣旨の手記を寄せた。のちに母親は容疑者らを極刑にするために陳情書の署名を集めるホームページを設立、2007年10月1日に10万人、2008年12月18日に目標の30万人を超える署名を集めた。海外に住む日本人や外国人の署名もあったという。なお、被害者の母親は容疑者3人全員の極刑を求めている。

容疑者3名は強盗殺人罪・営利目的略取罪・逮捕監禁罪・死体遺棄罪、うち1名に強盗強姦未遂罪を加えて起訴された。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行

「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行

法務省は25日、2007年にインターネットの「闇サイト」で知り合った男3人が名古屋市の契約社員・磯谷いそがい利恵さん(当時31歳)を拉致、殺害した事件で、死刑が確定した神田司死刑囚(44)の刑を、同日午前に名古屋拘置所で執行したと発表した。

昨年8月29日以来の執行で、現安倍政権下では7度目(計12人)。昨年10月に上川法相が就任してからは初めてとなる。同省によると、未執行の死刑確定者は130人となった。

 この日、記者会見した上川法相は「身勝手な理由から人命を奪った極めて残忍な事件。被害者は無念この上ないと思う」と述べた。

 確定判決によると、元新聞セールススタッフの神田死刑囚は、堀慶末よしとも受刑者(40)(無期懲役が確定)ら2人と共謀。07年8月、名古屋市の路上で帰宅途中の磯谷さんを車で拉致し、現金約6万円を奪った上、首をロープで絞めて殺害した。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行

名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行

法務省は25日朝、名古屋市で起きた「闇サイト殺人事件」の神田司死刑囚の死刑を執行しました。上川法務大臣の下で初の死刑執行です。
kanda201506259033b643名古屋拘置所で死刑が執行されたのは神田司死刑囚(44)です。神田死刑囚は2007年、携帯電話の「闇サイト」で知り合った男2人とともに、名古屋市で磯谷利恵さん(当時31)を拉致して殺害した強盗殺人などの罪に問われ、2009年、一審の名古屋地裁で死刑判決を受けました。

 その後、自ら控訴を取り下げ、死刑が確定。共犯の男2人は無期懲役が確定しています。

 死刑の執行は去年8月以来で、上川法務大臣の下では初めてです。

闇サイト殺人事件 神田司
「闇サイト」殺人・神田司死刑囚の刑を執行
名古屋闇サイト女性殺害、神田司死刑囚の死刑執行
闇サイト殺人事件【神田司/堀慶末/川岸健治】 神田司死刑執行
名古屋闇サイト殺人 神田司・堀慶末・川岸健治

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

平成13年11月25日、群馬県安中市の山口組系暴力団組長の高見沢勤(当時46歳)は、前年の平成12年7月に起こした玉突き事故の保険金詐欺が発覚するのを恐れて、配下の組員に命じて、事故の被害者役にさせていた土木作業員のA(当時60歳)を群馬県安中市の林道で射殺して山林に遺棄した。高見沢は、保険会社から約1300万円を詐取していた。

平成17年4月3日、高見沢は配下の幹部と共謀して、組事務所に身を寄せていたB(当時35歳)を拳銃で射殺した。その後、遺体を松井田町の山林に遺棄した。高見沢とBは、かつて同じ組に所属していた仲間だった。5年前に関西地区から移り住み高見沢の組事務所に出入りするようになった。だが、Bの態度、言動が原因で組内にトラブルが続いていた。

更に同年8月、稲川会系の幹部Cが破門となり、高見沢の事務所に出入りするようになった。これを不満に感じた稲川会系のD組長(当時61歳)ら数人がCの自宅を襲撃してCに重傷を負わせた。高見沢は、面子をつぶされたと激昂し同年9月4日午後11時過ぎ、安中市の路上でD組長を射殺した。

高見沢勤 死刑確定

同年11月17日に高見沢は逮捕された。取調べから公判を通して「自分は、遺体を遺棄しただけ。いずれの殺人は配下の者が行った」として無罪を主張した。だが、平成20年2月4日、前橋地裁は、「組長の立場から組員に殺害を指示した。被告が責任を最も問われる立場にある」と断じて死刑を言い渡した。

同年12月12日、東京高裁は一審判決を支持して高見沢の控訴棄却。平成24年10月23日、最高裁は上告を棄却して高見沢に死刑が確定した。

死刑執行 群馬・暴力団組長ら3人射殺事件 高見沢勤

2014年8月29日

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

kobayashi20140830pic_2108【事件概要】
2001年5月8日、武富士弘前支店に押し入った男が「金を出せ」とガソリンに火を付けた。これにより従業員5人が死亡、4人がやけどを負った。犯人は何もとらずに逃走した。

 2002年3月3日、タクシー運転手・小林光弘(当時43)が逮捕された。

武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

青森県南津軽郡平賀町で4人兄弟の次男として生まれる。
 千葉県で定時制高校に通っていた当時、ガソリンスタンドでアルバイトしていた。

 1987年、青森に帰りタクシー会社に勤務。人当たり良く、勤務態度も真面目だった。

 1995年1月、自宅購入。このときの1760万円の住宅ローンを組む。

 1997年ごろ、自身の仲人の女性・A子に「面倒を見ている一人暮らしの老人から近々1000万円もらえる予定だが、その手続きに金がいる。貸してもらえないか」と持ち掛けられ、青森市内の4つの消費者金融から50万円ずつ、計200万円を借金した。小林の妻も消費者金融から50万円を用立てていたという。

 1998年頃、タクシー会社の労働組合から10万〜20万円程度を借りて青森競輪場に行き「一発勝負したが負けた」などと話していた。この借金は給与から天引きで返済していたというが、競輪資金として複数の消費者金融から金を借りていた。借金の総額は2300万にまで膨れ上がっていた。

 一時は同僚を交え、A子に金を返す旨の念書を書かせたりしたとされるが、既に督促に困っていた小林は、退職金を見込んで10年勤めた青森のタクシー会社を退社して、以後職場を転々とする。上京し、東京のタクシー会社にも勤めたこともあったが、3ヶ月ほどで青森に戻った。

 2000年4月、増収を見込んで軽貨宅配の仕事を始める。

4月末、行方をくらましていたA子が、岩手県にある港で一家三人と心中。A子はその直前、詐欺容疑で青森署から指名手配されていた。小林もA子を信じ込んでおり、A子の死で借金を完全に背負う形になった。増大した借金に小林はますます競輪にのめりこむようになる。

 2001年5月、1度辞めたタクシー会社で再び働き始める。同僚は「勤務態度はまじめ」「安定したノルマを果たす仕事ぶりだった」と話している。

武富士弘前支店強盗放火殺人 犯行について

5月7日、勤務先の休日を利用して弘前支店を訪れ、カウンターの位置や従業員数を確認。浪岡町周辺のガソリンスタンドで約4リットル入りの金属缶でガソリンを購入した。ちなみに犯行当日も休日だった。

 5月8日午前10時45分頃、小林が弘前市田町5丁目のビル3階の武富士弘前支店に押し入る。支店には出入り口から奥が見えないように、カウンター部分と店舗奥にある管理室との間を仕切る壁があり、男は出入り口近くからカウンターの内側に向かって、金属製の缶に入ったガソリンを主成分とした混合油をまいた。撒き終えると、小林は「金を出せ出さねば火をつけるぞ」と津軽弁で脅迫、支店長が断ると火を付けた。同48分には支店長が「今、男が来て火を付けるところだ」と通報。凶行はわずか2〜3分の間に行われた。

当時、支店内の金庫には1000万円が入っていたが、小林は予想以上に火の勢いが強かったためか、何もとらずに外に停めておいた緑色の軽ワゴン車「スバル・サンバー」で青森市方向に逃走。
 
 この火災により、同支店勤務の田沢伸治さん(36歳)、太田はるかさん(20歳)、葛西志保里さん(22歳)、笹森容子さん(46歳)、福井貴子さん(30歳)の5人が焼死、他に店長ら4人も火傷を負った。亡くなった5人は店舗奥に追い詰められたような状態で発見された。出入り口は1カ所しかなく、このため、従業員らは出入り口から反対方向の管理室の方に逃げたが火の回りが早く、避難口に設置したロープ式の避難器具も使えなかった。駆け付けたファストフード店の店長らがかけたはしごで、火傷を負いながらも4人が脱出できただけだった。

同支店では防犯ベルが5箇所に設置されており、ベルが鳴れば数分で警備員が駆けつける体制になっており、2台の防犯カメラも24時間稼動していた。しかし、店内の焼失とともにカメラも燃えてしまい、科学捜査研究所にまわせないものが多かった。

 5月9日、小林は事件翌日にはなにくわぬ顔で出勤している。この日、ガソリンを入れていた4リットルの金属缶を自宅近くの雪捨て場のようなところで捨てた。

 5月下旬、小林、裁判所で自己破産の申請。

 12月25日、事件が起こった弘前市のビルが取り壊される。

 武富士では犯人の似顔絵入りのポケットティッシュ2億5000万個を配り、犯人逮捕に協力した。ニュース番組などでも似顔絵がたびたび紹介されるなど、小林を追いつめていった。

小林光弘 逮捕

翌2002年3月3日朝、犯人が逃走に使った車と同じ色の緑色の軽ワゴン「スバル・サンバー」を保有、犯人の似顔絵とよく似ていたことから、青森県浪岡町の小林に任意同行を求めた。3月4日、取り調べた結果「わたしがやりました」と容疑を認め、逮捕。犯行当時着ていたつなぎも小林の自宅でみつかった。

 逮捕後の小林の供述は以下のようなものである。

「5人も死ぬと思わなかった」
「火を付けたのは逃げるためで、殺意はなかった」
「人生、命を奪ってしまい、ひたすら頭を下げるだけです。後は、法の裁きを受けるだけ」

武富士弘前支店強盗放火殺人

2003年2月12日、青森地裁、「競輪にのめり込んで借金を重ねた末の犯行。焼死者5人、負傷者4人を生じさせた罪責は限りなく重い」として、求刑通り死刑を言い渡した。小林、控訴。

 2004年2月19日、仙台高裁、控訴棄却。小林は上告。

 2007年3月27日、最高裁・上田豊三裁判長「逃げ道のない室内で放火し、恐怖におののいている被害者らを焼き殺した凶悪で残虐な犯行。結果も極めて重大」と述べ、上告を棄却。死刑が確定した。

死刑執行 武富士弘前支店強盗放火殺人 小林光弘

2014年8月29日

日本で採用の絞首刑 執行現場の様子を元刑務官が重い口開く

日本で採用の絞首刑 執行現場の様子を元刑務官が重い口開く

死刑執行数が、自民党政権に移って1年余で8人とハイペースになっている。オウム真理教元幹部・平田信被告の裁判に同じく幹部だった死刑囚たちが証言を行うなどしたこともあり、死刑制度への関心が高まっているが、日本の死刑に関する基本的な事項をおさらいしておこう。

 死刑が行なわれるのは刑務所ではない。高松を除く全国7か所の高裁所在地の拘置所内に刑場が設けられており、そこで死刑執行が行なわれる。高松には死刑台はなく、大阪拘置所で執行される。

 死刑囚は、死そのものが刑であるため、執行までは拘置所に収容されており、懲役囚のような刑務作業はない。死刑が確定すると例外なく単独房に拘禁され、他の収容者との接触は許されない。冒頭に述べた平田信被告の裁判には3人の死刑囚が出廷したわけだが、それが異例だったことから大きな話題になった。

 死刑執行は法務大臣が署名捺印した執行命令書によって行なわれる。拘置所長には約1か月前から死刑執行に関する内々の情報が入るが、一般刑務官には数日前、本人には当日直前まで知らされない。

 執行に関わった経験を持つ西日本の元刑務官が重い口を開いてこういう。

「執行前に死刑囚の身長と体重を測り、同じ体重の砂袋を作って何回も実験します。踏み板からドンと落ちた瞬間に衝撃で首が30センチくらい伸びる。それを考慮して、ロープの長さなどをセッティングしておくわけです。先輩刑務官からは、首が締まって死ぬのではなく脊髄が一気に切れるから、痛みを感じずに死ねるんだと教えられました」

 別の刑務官はこんな証言をする。

「首を吊ると失禁するといわれているが、私はそういうケースに当たったことがない。ただ、高齢でない男の場合、射精することは少なくない。やっぱり人間の本能なんだろう」

 世界を見渡すと、絞首刑を採用する国は減っている。

「そもそも死刑自体を存続しているOECD加盟国は日本とアメリカだけです。しかも米国では3分の1の州で死刑を法律で廃止している。ヨーロッパを見ると、死刑廃止はEUの加盟条件でもある。2012年の日本の死刑執行数は世界ワースト10位という多さです」(アムネスティ・インターナショナル日本事務局長の若林秀樹氏)

 アムネスティの資料によれば、絞首刑を採用しているのはアフガニスタン、バングラデシュ、ボツワナ、スーダンなど決して先進国とはいえない国ばかり。アメリカで死刑を存置している州でも絞首刑は廃止され、致死薬注射が一般的だ。

加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

元アルバイト、加賀山領治被告は2000年7月29日午前1時頃、大阪市中央区の路上で帰宅途中の中国人女子留学生(当時24)のバッグを強奪。自転車で逃走し、取り押さえようとした会社役員の男性(当時34)の左足を刺し、さらにバッグを取り返そうと追いすがってきた女性の胸や腹などを刺して逃げた。女性は搬送先の病院で約1時間後に死亡した。加賀山被告は1999年に退社後はアルバイトをしていたが、事件直前は大阪城公園でホームレス生活を送っており、借金も断られ所持金はほとんどなかった。
20131212001waf13121211180018-p1加賀山被告は「当時一緒に路上生活をしていた男に誘われた」と語っている。犯行直後「60歳ぐらい」とされる共犯の男と大阪城公園で合流し、奪った6000円を山分けしていたが「名前は知らない」と言い、氏名不詳のまま特定には至っていない。

 加賀山被告は2008年2月1日午後10時15分ごろ、大阪市北区にある複合ビルのトイレに窃盗と強盗の両方の準備を整えて潜み、たまたま入ってきた会社員の男性(当時30)にナイフを突きつけ「金を出せ」と脅したが、応じなかったため、胸などを刺して殺害した。加賀山被告は2007年秋に仕事を辞めて以降、競馬やパチンコで所持金を使い果たしていた。
 加賀山被告は2月8日午前、大阪府府警此花署に出頭した。当初は盗みの準備をしていたところを見られたため殺害したと供述していたため殺人容疑で逮捕されたが、後に強盗目的を認めた。
 大阪府警は加賀山被告の余罪を調べていたが、2000年の事件現場に残されていた犯人の血液のDNA型が加賀山被告と一致。3月21日、大阪府警は加賀山被告を再逮捕した。

裁判 加賀山領治 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件

2008年11月20日の初公判で、加賀山被告は「殺そうとは思っていなかった。取り押さえられそうになり夢中で刺した」と述べ、被害者2人への殺意を否認した。検察側は冒頭陳述で、1999年に会社を退職後、借金をしながら遊び暮らしていた加賀山被告が知人と強盗計画を立て、自転車で帰宅中の女性からバッグを奪った際、逮捕を逃れるため胸を狙ってナイフを突き刺したと指摘。胸と腹を2回刺し、傷口も17センチと深いことから殺意があったとした。
 12月26日の論告求刑で検察側は胸などを複数回刺したことや傷の深さが7〜17センチに達していたことなどから殺意があったと主張。「犯行は冷酷、執拗で残虐非道。鬼畜と化した者のなせる沙汰。一片の人間性のかけらも見いだすことができない。反省の態度が認められず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「捕まりそうになり夢中で刺した。殺意はなかった」として強盗致死罪にあたると主張。2月の事件後、警察に出頭しており、自首を認めて懲役刑にするよう求めた。加賀山被告は最終意見陳述で「今さら遅いが、申し訳ないことをした」と述べた。
 判決で細井裁判長は強盗殺人が、ナイフを用意した上で胸などを複数回突き刺し、傷も深いことに触れ「計画的であり、殺意を持って犯行に及んだと認められる」と殺意を認定。加賀山被告が男性の事件後、警察署に出頭したとして、自首の成立を主張していた点についても、強盗目的を隠していたことなどに言及し「申告したとは評価できず、自首と認められない」と弁護側の主張を退けた。その上で「留学生事件から約7年半後に男性を殺害しており、真摯に反省し、再犯防止に努めると期待するのは困難。加賀山被告は法廷で不合理な弁解に終始しており、真に反省しているとは認められず、死刑回避を相当とするような酌量すべき事情は見当たらない。2人の若者の尊い命を奪った結果は重大。遺族らの処罰感情もしゅん烈。殺意も認められ、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 被告、弁護側は控訴した。
 弁護側は一審に続き控訴審でも「いずれの事件も、無我夢中で振るった刃物が当たった。事件当時は正当な判断能力を欠いていた」として殺意を否認し心神耗弱状態にあったと主張。加賀山被告が男性刺殺事件の1週間後に出頭した点に触れ、「殺人を申告したことで捜査を容易にした」として無期懲役への減刑を求めた。
 湯川裁判長は判決で「相当の力を込めて何度も突き刺しており、いずれの事件にも、未必の殺意が認められる。金品を奪取しており、完全に責任能力はあった」などと弁護側の主張を退けた。そして「危険かつ残忍な犯行で若い2人の無念は察するに余りある。性懲りもなく凶悪犯罪を繰り返し、金銭のために人の命を顧みない危険な犯罪性向は根深く、更生の可能性は乏しい」と述べた。

 2012年6月19日の最高裁弁論で、弁護側はいずれの事件も殺意を否認。「仮に殺意があったとしても未必の故意にとどまり、実質は限りなく傷害致死罪に近い。自首も成立する。最も重くても無期懲役が相当」と訴えた。検察側は「殺意は明らかで、結果の重大性を考えれば死刑が重すぎるとは言えない」として上告棄却を求めた。
 判決で寺田裁判長は、「あらかじめ凶器を準備して金品を奪えそうな相手を物色するなど、強盗については計画性が認められる上、殺害態様は残虐かつ冷酷。何ら落ち度のない2人の生命を奪い、1人に傷害を負わせた結果は誠に重大。1件目の犯行後に再び金銭に窮して強盗を決意しており、経緯や動機に酌量すべき事情は認められない」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。

犯行日時

2000年7月29日/2008年2月1日
事件当時年齢 58歳
罪状 強盗殺人、強盗殺人未遂
死刑執行 2013年12月12日 63歳没

熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件

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事件当時年齢 64歳
犯行日時 2004年5月29日/6月23日
罪状    強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗未遂、銃刀法※違反、現住建造物等放火未遂、建造物侵入
死刑執行    2012年9月12日

横浜中華街店主銃殺事件

無職熊谷徳久(くまがい・とくひさ)被告は2004年4月に窃盗罪で服役していた刑務所を出所すると、ディスコの開店資金を得るために強盗を計画。
 2004年5月6日、熊谷被告は東京駅のキヨスク集金事務所を拳銃で襲撃するつもりだったが、目的の集金所を見つけることができず、腹いせのため午後5時頃、東京駅地下3階の機械室に灯油をまいてライターで放火。廃棄するため置いてあったエアコンやペンキ缶などを焼いた。この火事で、東京駅地下5階にある総武快速・横須賀線ホームに白煙が立ちこめ、乗客約300人が避難する騒ぎになった。なお、熊谷被告が思い込んでいたキヨスクの集金事務所というものは存在しない。
 5月27日、熊谷被告は現金を奪おうと横浜市内の警備会社事務所を襲ったが、何も奪うことはできなかった。
 5月29日深夜、熊谷被告は横浜中華街の中華レストラン経営者(当時77)を横浜市中区の自宅前で待ち伏せし、頭を拳銃で撃ち殺害。経営者が持っていた売上金約44万円入りのバックを奪った。
 6月23日朝、熊谷被告は東京メトロ渋谷駅構内で駅員(当時32)の腹を拳銃で撃ち、右足まひなどの後遺障害を残す重傷を負わせ、持っていた洗面用具などの入った紙袋を奪って逃走した。
 熊谷被告は6月26日、渋谷駅銃撃事件について警視庁に出頭。その後、横浜市の強盗殺人事件で家の周辺に残された指紋が一致したこと、銃弾に残された線条痕が酷似していることから神奈川県警が追求、犯行を自供した。出頭当時、所持金は数百円だった。
熊谷徳久死刑囚の死刑執行 料理店店主殺害
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
強盗殺人の73歳男 死刑執行
熊谷徳久 横浜中華街店主銃殺事件
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