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関光彦

関 光彦 市川一家4人殺人事件

関 光彦 14時間で一家四人を殺害

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19歳未成年でありながら、関 光彦には異例の死刑判決

関光彦は元々が相当なワルで、暴力・盗み・強姦などは当たり前で、ケンカ用にナイフや警棒などを持ち歩いているほどだった。母や弟などは容赦なく殴り、祖父の金を盗んだ時には、そのことで怒った祖父に逆に腹を立て、祖父の顔面に蹴りを入れて眼球を破裂させ、祖父を失明させたこともある。

18歳の時(平成3年3月)千葉県船橋市内で一人暮らしを始める。同年10月25日、市川市内のフィリピンパブでホステスをしていたエリザベスという女性とフィリピンで結婚する。

関光彦19歳の平成4年 市川一家4人殺人事件

元々の事件の発端は、2月6日、光彦が市川市のフィリピンパブの顔なじみのホステスを連れ出し、自宅に二日間監禁したことに始まる。

翌々日の8日、二人のホステスは泣きながら店に戻り、光彦に監禁されたことを経営者に報告する。怒ったパブの経営者は、知り合いのヤクザに光彦の落とし前をつけてくれるように頼んだ。この日から光彦はヤクザに追われることとなる。 

11日、光彦はイライラしての行動か、東京都中野区の路上を歩いていた24歳の女性を襲い、鼻の骨を折るなどの怪我を追わせ、車に連れ込んで自宅に監禁し、強姦する。

一家四人殺害 事件の流れ 関 光彦

そしてその翌日の12日。後に自分の家族四人を惨殺されてしまう「15歳の少女」はこの日、関光彦に出会ってしまう。

光彦は買い物帰りの少女の自転車にわざと車をぶつけ、車で病院に連れて行った後、自宅に送ってあげるふりをして自分の家に少女を連れ込み、監禁して強姦した。

その際、少女の生徒手帳から名前と住所を書き写し、誰にもしゃべるな、と脅しをかけた。

くしくもこの日の夜、光彦は暴力団組長から呼び出しをくらい、先の、ホステスを監禁した件で売上損失分と慰謝料として200万円払うように強制された。もちろん断ることも出来ないし、そのような金を持っているはずもない。

月は変わって3月5日。連日ヤクザに激しい追い込みをかけられていた光彦は、すでに家に帰ることも出来なくなっていた。ここで光彦は、先日住所を書き留めておいた少女の家に押し入り、金を強奪することを思いつく。

平成4年3月5日午後5時ごろ。

光彦はその少女一家が住むマンションに押し入る。その時マンションにいたのは少女の祖母(83)一人だけであった。光彦は通帳を出すように迫ったが、拒否されたため祖母の首を電気コードで絞めて殺害した。

光彦はそのままマンションに居座り、他の家族が帰って来るのを待った。そして約二時間後、少女(15)と母親(36)が一緒に帰ってきた。

包丁をつきつけ「騒ぐと殺す」と脅し、母の首を後ろからつかみ、「黙ってうつぶせになれ」とうつぶせを強要。母が背中を見せたところを容赦なく包丁でメッタ刺しにして殺害した。光彦は床に流れた血を少女に掃除するように命じる。恐怖で凍りつきながら少女は黙々と掃除を行った。

間もなく4歳の妹が保母さんに連れられて帰ってきた。光彦はこの時点で二人殺しておきながら、少女に命じて食事を作らせ、光彦と少女と妹の三人で夕食を食べた。

間もなく妹は「おばあちゃんが寝てるから私も、もう寝る。」と言っておばあちゃんの部屋に入った。妹は、おばあちゃんが殺されているとも気づかず、遺体のそばで眠りについた。

通帳と印鑑の場所は父親しか分からない。光彦は父親が帰ってくるのを待つ間、少女に襲いかかり、強姦を始めた。

間もなくして父親が帰ってきた。いつもより早い帰宅だった。強姦の途中ではあったが、光彦は包丁を持って父親を待ち伏せ、いきなり左肩の辺りに包丁を突き刺した。

悲鳴を上げて父親が床に倒れる。

「現金でも通帳でもいいから200万出せ!」

倒れた父親を足蹴にしながら光彦が叫ぶ。父親は家族を守るため、通帳と印鑑の入った引き出しを教えた。口座に入っていたのは、銀行と郵便局を合わせて約360万。

「もっとあるだろう!」欲にまみれた光彦は更に上を要求した。

「(会社の)事務所に通帳と印鑑がある・・。」重症を負いながらも父親は答えた。

「取りに行くぞ! 親父の会社に電話しろ!」
もはや抵抗する気力の失せていた少女は、言われるままに父親の勤務先である編集プロダクションに電話し、これから通帳を取りに行くことを告げた。

会社に着くと父親の同僚たちが心配そうに事情を聞いてきたが、喋っては家に残っている父親と妹が殺されると思い、

「ヤクザがお父さんの記事が悪いと言ってお金を取りに来てるんです。通帳と印鑑があれば何とかなるからって・・。」とだけ言い、光彦のことは喋らなかった。

「大丈夫?」と聞かれたが「大丈夫です。」と答え、通帳と印鑑を受け取って会社を出た。

しかし少女が家に帰ってみると、無情にも父親はすでに殺されていた。一足先に帰った光彦がとどめを刺していたのだ。

朝になり、少女の家の電話が鳴った。昨日行った事務所の人が心配して電話をかけてきてくれたのだ。電話にはいったん出たものの、光彦に強引に切られてしまった。
「余計なこと話すんじゃねえ!」と、少女を怒鳴る。

怖がった妹が泣き始めた。「うるせえ!黙れ!」光彦は、泣いている妹に腹を立て、身体をつかんで背中から包丁を突き刺した。包丁は胸まで貫通した。

「痛い・・痛い・・」と苦しんでいる妹に対して、光彦は少女に「お前がとどめを刺してやれ!」と命令する。
しかし少女が硬直して動けないでいたため、光彦が首を絞めて殺した。

妹まで殺されて、少女はここで初めて光彦に抵抗したが、「お前も殺されてーか!」と、逆に包丁で腕や背中を切りつけられてしまった。

「殺される・・」
そう思った瞬間、突然家のドアがバーンと開き、警官隊が突入してきた。

さっきの事務所からの電話が不自然に切られたこともあって、事務所のスタッフが「様子がおかしい」と感じ、警察に通報していたのだ。現場に急行した警察官が外から様子を伺い、犯行を目撃した。そして事件と判断し、一気に室内に突入したのだ。

平成4年3月6日午前7時ごろ、ついに関光彦は現行犯で逮捕された。14時間における凶行は終わりを告げた。少女には毛布がかけられ救出されたが、祖母・母・父・妹は惨殺された。

逮捕された後も光彦は、平成元年年の綾瀬女子高生コンクリート詰め事件で誰も死刑になっていないことを引き合いに出し、「俺なんか楽勝でしょ。」などと語っていた。

「未成年が死刑になるはずがない。」、「とうとう少年院行きか。」ぐらいにしか思っていなかったというが、平成6年8月、千葉地裁が下した判決は死刑であった。

「金銭を工面するための犯行で動機に酌量の余地はなく、四人の命を奪った結果は極めて重大。犯行時、被告が少年だったことなどの事情を考慮しても死刑はやむを得ない。」

高裁、最高裁ともに上訴を棄却し、平成13年12月、死刑判決が確定した。「未成年であれば、どんな凶悪犯罪でも少年院で済む」と思っていた光彦の甘い考えは完全に覆(くつがえ)された。

元少年死刑執行 関係者の評価、分かれる

元少年死刑執行 関係者の評価、分かれる

千葉県市川市の会社役員一家4人殺害事件(1992年)で強盗殺人罪などで死刑が確定した関光彦死刑囚(44)ら2人の刑が19日午前、執行された。関死刑囚は事件当時19歳。20歳未満を適用対象とする少年法は、事件当時18歳未満だった少年の死刑を禁じているが、18、19歳は許容されている。同日の記者会見で執行を明らかにした上川陽子法相は事件の被害の甚大さなどから異例の執行を決断したとみられる。

 事件当時20歳未満の少年だった死刑囚に対する刑執行は20年ぶり。成人以上に慎重な判断が求められるだけに、関係者の評価は分かれた。

 犯罪被害者問題に詳しい諸沢英道・元常磐(ときわ)大学学長は「事件の動機や犯行手口の残虐性、社会に与えた影響、被害者感情を考慮すれば、今回の執行はやむを得ない。年齢だけで更生の可能性があると単純に捉えるのは間違い。今回の執行は評価できる」と話した。

 日本弁護士連合会死刑廃止等実現本部事務局長の小川原(おがわら)優之(ゆうじ)弁護士(第二東京弁護士会)は「少年は家庭環境や社会の影響を受けやすい一方で、成長によって変わりうる存在だ。少年時代に起こした事件の責任は、個人だけに問えるものではない。当時19歳の元少年への執行は望ましくない」と批判した。

 一方、関死刑囚の公判で弁護人を務めた弁護士は「コメントはしない」とした。

2人の死刑執行…一家4人殺害の元少年も

2人の死刑執行…一家4人殺害の元少年も

法務省は19日、千葉県市川市で1992年に会社役員一家4人を殺害するなどした関光彦てるひこ死刑囚(44)(犯行時19歳)と、群馬県安中市で94年に交際相手ら3人を殺害した松井喜代司死刑囚(69)の2人の刑を、同日午前に東京拘置所で執行したと発表した。

関死刑囚は3回目、松井死刑囚は4回目の再審請求中だった。死刑の執行は7月13日以来で、2012年以降の安倍政権下では12度目(計21人)。犯行時に少年だった死刑囚に対する刑の執行は、連続射殺事件で1997年に刑が執行された永山則夫死刑囚(犯行時19歳)以来。

 同省によると、これにより、執行されていない収容中の死刑確定者は122人となった。

 確定判決によると、関死刑囚は92年3月、市川市内の会社役員(当時42歳)の自宅に押し入り、役員の母(同83歳)を電気コードで絞殺。その後、帰宅した会社役員と妻(同36歳)を包丁で刺殺して現金や預金通帳を奪い、次女(同4歳)も包丁で突き刺して殺害するなどした。

 1審・千葉地裁は94年8月に死刑判決を言い渡し、東京高裁も支持。最高裁は2001年12月、「執拗しつようかつ残虐な犯行で、死刑はやむを得ない」として関死刑囚の上告を棄却した。

 松井死刑囚は1994年2月、交際していた女性(当時42歳)をハンマーで殴り殺し、女性の父親(同69歳)と母親(同65歳)の2人も撲殺。隣に住む女性の妹(同39歳)夫婦方にも侵入し、妹とその長女(同6歳)を殺そうと首を絞めるなどした。1審・前橋地裁高崎支部は同年11月、死刑判決を言い渡し、東京高裁も支持。最高裁は99年9月、松井死刑囚の上告を棄却した。

読売新聞は、罪を犯した未成年者について、少年の健全育成を目的とした少年法の理念を尊重し、原則、匿名で報道しています。しかし、国家が人の命を奪う死刑が執行された対象が誰なのかは重大な社会的関心事であるため、実名で報道します。

犯行時少年への死刑執行、永山死刑囚以来

犯行時少年への死刑執行、永山死刑囚以来

法務省が19日、5か月ぶりに死刑を執行したことにより、2012年以降の安倍政権下では12度目、執行は計21人となった。

 上川法相は記者会見を開き、「今回の2件は誠に身勝手な理由から被害者の人命を奪う極めて残忍な事案だった。執行はこれらを踏まえ、慎重にも慎重な検討を加えて命令した」などと述べた。

 この日、刑を執行された関光彦死刑囚(44)は、千葉県市川市で会社役員一家4人を殺害した1992年当時、19歳だった。強盗殺人や強盗強姦(ごうかん)など14の凶悪犯罪に手を染め、4〜83歳の男女4人の生命を奪ったことについて、96年7月の東京高裁判決は、「少年時の犯行だとしても、死刑はやむを得ない」としていた。

 犯行時少年への死刑執行は、97年の永山則夫死刑囚への執行以来、約20年ぶり。同省は犯行時少年に対する死刑執行に慎重な姿勢を取ってきたが、上川法相は、「犯行時に少年だったことについては執行の判断に関わる事項のため、回答を差し控える」と話した。
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