日航機事故 安全への思い「子、孫へ」 木の銘標を石碑に

あの日から32年の夏が巡ってきた。1985年の日航ジャンボ機墜落事故の現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」は12日、遺族らが慰霊登山に訪れ、無数の銘標が並ぶ現場は鎮魂の祈りに包まれた。一方で、遺族の胸には風化への懸念が募る。「子の代、孫の代につながっていけば」。三十三回忌の今年、木の銘標を石碑に替えた遺族もいる。

「パパ安らかに」。川崎市の内野理佐子さん(57)は、父への思いが刻まれた深緑色の真新しい石碑に花を供え、今年、学校職員の長女(30)が結婚したことを報告した。この日に合わせ、これまでの木の銘標から替えた。毎年油性ペンで銘標に父の名前を重ね書きしていたが「これでもう大丈夫」と笑顔を見せた。

 事故で電機メーカーに勤めていた父、南慎二郎さん(当時54歳)を失った。あの日の朝、「行ってきます」と大阪出張へ向かう父を玄関で見送ったのが最後の別れとなった。

 事故の3カ月前、結婚したい気持ちを打ち明けていた。「合意があるなら早くしなさい」。優しくうなずいてくれた父。結婚式の日取りが12月に決まると、ピンクのドレスを贈ってくれた父。「この年齢になって初めて父の気持ちが分かる。『どうして父は……』と余計に悔しい思いがします」

 石碑に替えたのは「自分が来られなくなっても目印くらいはあってほしいな」と思ったからだ。これまでは、木の銘標が朽ちて山に戻れば受け入れるつもりだった。だが、父と同じ年齢になった3年前ごろから気持ちが変わってきた。

 父の遺体はまだ見つかっていない。捜索で発見されたのは義歯の金具とボロボロになったアタッシェケースなどの持ち物だけ。「この地に執着するのは、それが原因なのかもしれない」。最後にきちんと別れの言葉を言えなかったのが今も心残りだ。

 三十三回忌を迎え、風化させたくないとの思いはますます強まっている。「この犠牲が少しでも役に立って、二度と事故が起きないようにしてほしい」。この日同行した長男の慎一さん(28)=川崎市=も石碑の前で「家族が休まる場所がきれいになってうれしい。周りの人にも事故のことを語り継いでいきたい」と話した。