タモリ「1週間で辞める」…横澤夫人、いいとも開始秘話語る
1982年10月にスタートしたフジテレビ系「笑っていいとも!」を立ち上げ、タモリを司会に抜てきした元同局プロデューサー、故横澤彪さん(享年73)の夫人、雅子さんが22日、サンケイスポーツの取材に応じ、「開始当時、主人はタモリさんから『すぐ辞めるよ』といわれていたんです」と振り返った。それが32年続く長寿番組に。「生前、主人はタモリさんが突然『1年後に辞めます』って発表することもありうるっていってたけど、それが本当になるなんて」としみじみ語った。31年前、深夜番組に出演していたタモリを、ミスマッチともいえる昼の番組に起用したのが横澤さんだった。「何か違うことをやらなければならない」という信念からだった。
雅子さんは「タモリさんに『1週間で辞める』といわれたそうです。主人は『じゃぁ、そこまでで』と答えたといいます」と明かした。横澤さんはタモリが降板したときは、また考えればいいと思っていたという。いつも辞表を持ち、仕事に向かう横澤さんの番組に対する覚悟が「自然とタモリさんに伝わったのでは」と懐かしんだ。
横澤さんは、2007年に夕刊フジで連載したコラム「電視超人列伝」でこう記述している。
「タモリは目が不自由で、デビュー時アイパッチをして登場していた。その後はレイバンのサングラスがトレードマーク。『いいとも!』を始めるとき、昼間の番組だし、“密室芸人”のイメージを払拭したいからと思い切って薄目のサングラスにしたんです」
番組で新しい企画が提案されても、タモリは一切、口をはさまず、やってダメなら変えればいいという考え方だった。「タモリに怒鳴られたこともないし、裏切られたこともない。正確無比というのがタレント、タモリへの変わらぬ評価である」とつづっている。
生前、横澤さんは「番組の継続はタモリさん次第」と口にし、「適当」を座右の銘にするタモリを「タモリ的“テキトー”主義は、ちょうどいいあんばいにやるということで、過不足なしということだ」と称えていた。
放送終了間際に友人の笑福亭鶴瓶にネタふりをしてもらい、突然ひょうひょうと半年後の番組終了を告げたタモリ。これまで番組に一切、口をはさまなかった司会者が、横澤さんの“予言”通り最後は自ら決断を下したのかもしれない。






