吉野家・伝説の築地1号店、豊洲に移転へ

20140602-00000009-wordleaf-000-3-view魚市場の人向けに115年前に生まれた牛丼・吉野家の創業店「築地1号店」(東京都中央区)が、築地市場の移転とともに、江東区豊洲の新市場に移転することがわかった。築地市場は、世界最大級の水産物の取扱規模を誇る。ここで育まれた吉野家の牛丼は、今や世界に展開する日本食文化の一つとなった。建設が進む豊洲新市場は2016年3月に完成予定で、2020年東京オリンピック選手村は目と鼻の先。6年後、吉野家の牛丼をほおばる世界中のアスリートたちの姿が豊洲で見られるかもしれない。

吉野家によると、吉野家の創業は1899年。東京都中央区日本橋にあった魚市場に、個人商店として誕生した。忙しい市場の人たちのために、「早い、うまい、安い」食べ物を提供しようと生み出されたのが、吉野家の牛丼だった。この1号店は、関東大震災(1923年)の影響で、1926年に魚市場が築地に移転したため、一緒に移転。以来、営業を続け、現在に至る。

2004年、米国産牛肉が輸入禁止となり、牛丼の販売を休止せざるを得なくなった時期でも、この1号店は国産の牛肉を使って牛丼を売り続けたという逸話も残る。同社の1号店への思い入れは強い。吉野家は取材に対し、「豊洲へ移転するつもりで進めています」と、ルーツ店の移転を認めた。

東京都中央卸売市場によると、築地市場の場内には吉野家を含め、38の飲食業者が営業している。都はこれらの業者に対し、豊洲への移転を希望すれば、もれなく場所を確保する意向を伝達。その結果、すべての業者が豊洲への移転を希望。昨年11月、場所の抽選を終えたという。現在は、店内のレイアウト希望などを聞いており、それに沿って工事が進んでいる。

都によると、築地市場は昭和60年代に入り、施設の老朽化・過密化が目立ち始め、再整備を検討した結果、1999年11月、移転する方針が決定。そして、2001年12月、移転先は豊洲地区に決まった。 現在、豊洲で新市場の建設が進んでおり、2015年度中に完成する予定だ。市場関係者も、移転に向けた準備を進めつつある。

5月下旬のある日、吉野家1号店を訪ねてみた。正午過ぎだったにもかかわらず、市場内に足を踏み入れると、車が行き交い、慌ただしい雰囲気。土産物屋や食べ物店が並ぶ「水神様通り」は、観光客や市場関係者らでにぎわっていた。その角に、吉野家第1号店があった。オレンジ色に染め上げられた入り口の大のれんが、ひときわ目を引いた。

コの字型のカウンターは15席ほどで、ほぼ満員。市場関係者と思しき、がっちりした体格の男性らが牛丼をほおばっていた。その中に、まさに今まで仕事をしていた雰囲気を漂わせる、エプロンと三角巾姿の中年女性の姿があった。

話を聞くと、近くの場外にあるおにぎり店従業員という。年は55歳。近くの月島に長年住んでおり、この1号店は30年以上通っている。女性は「すき家とか松屋とかあるけど、吉野家が一番おいしい。昔からなじみだから、市場の移転でここがなくなると、寂しいね」とぽつり。牛皿とご飯を平らげると、自転車にまたがって場外へと消えて行った。

市場や周辺の働く人たちの胃袋を満たし続けた伝説の1号店は、近く幕を閉じる。だが、新市場でまた新しい歴史を刻んでいくことだろう。