健さん、未発表“遺曲”あった!十数年前にレコーディングした演歌
俳優だけでなく歌手としても活躍した高倉健さんに未発表の“遺曲”があることが18日、分かった。タイトルは「対馬酒唄」で、十数年前にレコーディングしていた演歌。健さんは生前、親しい音楽関係者に「オレが死んでから出してくれ」と同曲を託していた。健さんの渋い歌声は“遺言”通り、今後お披露目されそうだ。遺曲となったのは「対馬酒唄(つしまさけうた)」。作詞家の荒木とよひさ氏(71)、作曲家の徳久広司氏(66)が手掛け、十数年前にレコーディングしていた“幻の演歌”だ。
♪俺が死んだらよ 桜の下によ 骨は 埋めて 花見してよ−
荒木氏が福岡県出身の健さんをイメージして作詞した「九州の男の歌」で、約5分間、九州弁を交えながら、一節一節ドスを利かせた低い声で歌い上げているのが印象的。カップリングに、故フランク永井さん(享年76)が歌った「流れの雲に」のカバー曲が収録されていた。
生前、発表されなかったのには理由があった。健さんはレコーディング後、親しい音楽関係者に「オレが死んでから出してくれ」と“遺言”のように託していた。そのため十数年もの間、ごくわずかの人間しか同曲の存在を知らなかった。
荒木氏はこの日、サンケイスポーツの取材に「この悲しみをどこにしまえばいいのでしょうか…」と吐露。健さんと八代亜紀(64)とのデュエット曲「挽歌」(1990年)などでもタッグを組んだが、「対馬−」について「健さんも気に入ってくれていた」と明かす。
「歌がお好きで、2人で温泉旅行に行ったときはカラオケにも行きました。堀内孝雄さんの『ガキの頃のように』をよく歌っていましたね」とも述懐。「レコーディングのときは、たくさん用意されたあめの中から『バターボール』だけを取って、『僕が好きなあめなんです』と言ってなめていたのを覚えています」と振り返った。
最後に会ったのは約5年前。東京都内のホテルで握手したといい、「男としての手本のような方。もう一度お話ししたかった」と声を振り絞った。
「対馬−」は今後、故人をしのぶ場面で披露されることになりそう。荒木氏は「もちろん皆さんに聴いていただきたい。でも世に出なくても僕にとっては宝物です」と大事そうに語った。
高倉健さん死去 83歳、10日に悪性リンパ腫で