山本昌50歳、ついに引退決断の時。「ラジコンはもちろん再開するよ」

中日に押し寄せる年波。それが今季、チームの功労者たちの引退、退団という顕著な形となって現れた。

 選手生活に別れを告げた44歳の谷繁元信兼任監督をはじめ、43歳の和田一浩、41歳の小笠原道大の2000本安打達成者。4度の2けた勝利を記録した34歳の朝倉健太も引退を決断し、常勝期に絶対エースだった40歳の川上憲伸の退団も決定している。

 だが、なによりも球界を驚かせたのが、山本昌が引退を決断したことだ。

 山本昌は9月25日に更新された自身のブログに、<若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました>と、その心中を綴っている。

 通算219勝。41歳1カ月でのノーヒットノーラン、49歳0カ月での勝利、そして、32年にもわたる現役生活……。球界のレジェンドは数々の最年長記録を打ち立てた。

 今年で50歳。節目の年齢で引退、と決断するのもありではある。

 しかし、これらの要素以外にも、引き際を悟る決定的な出来事はあった。

今季初登板時の大暴投が“悪夢”の予兆に。

 8月9日のヤクルト戦。

 この日は、自身の最年長登板記録を塗り替える試合であり、なにより、ジェイミー・モイヤーがロッキーズ時代の2012年に残した、世界記録となる49歳180日の最年長勝利の更新を懸けたマウンドでもあった。

 その場にいた全ての者たちの目を疑うような“悪夢”。その予兆は初回に訪れた。

 1点を失い、なおも2死三塁。5番の雄平への初球だった。カーブが大きくすっぽ抜け、雄平の背中を通過する大暴投。山本昌本人も、「僕はあんまりコントロールがよくないからね」とは言っているものの、このようなあからさまなコントロールミスは見たことがない。

 この時は雄平を空振り三振に抑え、追加点は許さなかった。だが2回に、その“悪夢”を迎える。

 ボール、ボール、ボール。この回先頭の大引啓次に対して、ストライクが入らないどころか、明らかなボール球が続く。カウント3ボール。ここで山本昌は左手を少し上げ、ベンチから友利結投手コーチを呼び寄せる。

人差し指に襲った、今まで感じたことのない痛み。

 試合序盤で投手がコーチをマウンドに呼ぶ。その大半はアクシデントである。静寂とざわめきが混在するような空間が数分続いた後、場内アナウンスがコールされる。

 ピッチャー、山本昌に代わりまして山井――。

 「えぇ!」。ナゴヤドームを覆い尽くすほどの落胆の声を背に受け、山本昌は詫びるように肩を落としマウンドを降りた。

 試合後の本人の話によると、初回の雄平への初球に、左手人差し指が「体のどこかに当たったらしい」とのことだった。

 「関節と爪をちょっと突いた感じだと思う。雄平はなんとか抑えられたけど、ボールを抜いたときに変な動きになった。次(大引)はごまかしがききませんでしたね。こういう経験はあんまりないかな? まさか指とはね、思わなかったですけど。試合でこれだけ痛みを感じると、何日かは投げられないと思う」

 山本昌は、いつもどおり淡々と囲み取材を受けた。記者から質問されれば、できるだけディテールを伝えようと言葉を紡ぐ。その姿勢に何ら変わりはない。

「すみません」「申し訳ない」を繰り返し……。

 ただ、ひとつだけいつもと違っていたとすれば、質問の度に球団、チーム、ファンに対して、「すみません」「申し訳ない」と繰り返していたことだった。

 今にして思えば、この時すでに山本昌の脳裏には「引き際」の三文字が浮かんでいたのかもしれない。囲み取材の終わり際に、忸怩たる思いを振り絞っていた。

 「今日投げる前から登板間隔を空けることは決まっていたけど、次のチャンスがあるかまだわからない。こういうピッチングをしているようじゃいけないな、と」

 そして、車に乗り込むとき、山本昌は最後の謝罪をして球場を後にした。

 「本当にね、迷惑をかけてしまって……すみませんでした」

万全の状態は来季まで待たなければならない。

 当初は「突き指」と報道されていたが、しばらく経って靭帯を痛めているのだと知らされた。現時点でも投げ込みは十分にできていない。今季中の完全復帰は絶望的で、万全の状態でマウンドに立つためには来季まで待たなければならないそうだ。

 そんな状況下で落合博満GMから、「引き際は自分で決めろ」と一任され、ほかのベテラン選手が引退を決断した姿を目の当たりにしたのだから「自分もそろそろか」と、引き際を見定めるのも無理はない。

 そもそも、山本昌が球団に引退する意向を告げたのは、これが初めてではないのだ。

 右足首の手術の影響で、1986年以降では初めて一軍登板ゼロに終わった'11年にも、球団に「引退します」と自分の意思を伝えたことがあった。だがこの時は、球団から引き止められ現役続行を決意した。

「先発投手として機能できるか否か」という線引き。

 山本昌にとって引退の線引きは、「先発投手として機能できるか否か」にあった。

 現に'12年は47歳ながら3勝をマークし、'13年には前年を上回る5勝。昨年は1勝に終わったものの、それが国内の最年長勝利記録を塗り替える大きな勝利となった。「大ベテラン」と呼ばれるようになってからも、山本昌は先発として勝ち続けてきた。

 今季も山本昌本人が「例年以上にボールがきている」と言っていたように、先発として投げられることをキャンプからアピールしていた。3月3日のソフトバンクとの教育リーグで、たった1球で右膝を痛めリハビリ生活を余儀なくされても、「6月には二軍だけど先発するから。状態はね、全然いいよ」と笑顔で話していた彼の様子からは、虚勢の色は全く窺えなかった。事実、6月に実戦復帰を果たしてからは、7試合26回2/3を投げ防御率2.36と安定感を示していた。

 だが、8月9日のヤクルト戦でも、たった1球に泣いた。

「先発として投げられなければ、ユニフォームを脱ぐ」

 表面だけを見れば、怪我がきっかけで引退を決意したと受け取られるかもしれない。山本昌自身、こんなことを言っている。

 「怪我で引退するのは天命だと思っているけど、僕自身では先発として投げられなくなったら潔くユニフォームを脱ぎますよ」

 今季、怪我によって2度も戦線を離脱した。山本昌にとってそれは、「先発として機能していない」に等しい判断だったのだろう。だから、最年長勝利の世界記録を目前としながらも現役にしがみつくことなく、潔くユニフォームを脱ぐ決意を固めたのではないか。

 いずれにせよ、これで山本昌の32年にも及ぶ濃密な野球人生はひとつの区切りを迎えたわけだが、そうはいっても、山本昌自身の人生はまだまだ濃密な世界が待っている。

ラジコン、クワガタ、PC……再びディープな世界へ。

 「本業の野球で運を使いたい」と'10年に趣味だったラジコンを封印し、ほかにもクワガタの飼育だって休止中だ。来年からは、満を持してそれらを再開することができる。

 山本昌は引退後の展望について、嬉しそうにこんな妄想を描いていたものである。彼はいつだってディープな世界を求め続けるのだ。

 「ラジコンはもちろん再開するよ。また世界と戦うためには練習しないとダメだけど、感覚を取り戻したら世界戦に行くから。今まで野球をたくさんやらせてもらったから、引退したらそれと同じくらいいろんなことに挑戦したいよね。興味を持っているのはパソコンなんだけど、あれって奥が深い世界じゃない。僕は多分、ハマっちゃうだろうからあえて勉強しないようにしているんだよね。でも、引退したら本格的に始めると思う。きっとディープな世界なんだろうなぁ」