戦争は必ず弱者を殺す!第二次世界大戦が変えた日本の社会構造 生存率と死亡率を見てみると…

■「リンゴの唄」を聞いた人々

1945年の敗戦後、最初の大ヒット曲となったのは「リンゴの唄」(サトウハチロー作詞、万城目正作曲)である。

松竹が戦後初めて制作した映画「そよかぜ」(佐々木康監督)の主役に抜擢された並木路子が、その挿入歌として歌った。戦争で父と母、兄、そして初恋の相手までも失った彼女は、この歌によって図らずも大スターとなる。

戦中・戦後を生きた人々の手記や回想には、この歌を聴いた思い出が頻繁に登場する。敗戦の傷跡も生々しい街角で、買い物客でごった返すヤミ市で、混乱の残る職場で、外地からの引揚げ船の上で、人々はこの歌を耳にした。この歌を聴いたとき、多くの人々は流浪のさなかにいた。

復員兵たちの一部は、以前の職場に戻って仕事を再開しようとしていたが、他の者は職を失い、生きるすべを探していた。引揚者たちは、帝国の侵略先での職と財産を失い、困難な戦後を生き始めていた。国内にいた人々も多くが職を失い、また住む家を失い、農村の実家や親戚を頼ったり、その日暮しをするしかなかった。

ヤミ商売で生計を立てた人も多かったが、そうでなくてもヤミの食糧を求めて歩き回らねばならなかった。つまり人々は、移動のさなかにあったのである。

■戦中・戦後の社会移動

社会学では、人々が社会的地位の間で移動することを「社会移動」と呼ぶ。常態の安定した社会では、人々は就職や昇進、転職、退職などによって社会移動をする。事故や災害、倒産、解雇など、外的な要因によるものも多いけれど、これが主流とはいえない。

しかし戦中から戦後のこの時期、膨大な数の人々が、戦時体制の成立、戦争、そして戦後の混乱という、外的な要因によって社会的地位を失い、新しい社会的地位を求めてさまよわなければならなかった。

戦争によって、社会移動を強いられたのである。その過程は、個々人にとっては自らの生活の再建だったが、社会全体としてみれば、日本社会の戦後復興の過程だった。

個人の生活の再建というミクロな出来事と、社会の復興というマクロな出来事が、ここで結びついていたのである。

移動を強いられた人々の数は、膨大である。ここでは移動を、次のようにとらえることにしよう。

まず人々を、6つの階級・階層に分類する。それは、資本家階級(企業の経営者・役員)、新中間階級(企業などで働く専門・管理・事務職)、労働者階級(新中間階級以外の現場労働者)、自営業者層、農民層、そして兵役である。戦中から戦後にかけて、多くの人々がこれら6つの間をめまぐるしく移動した。

そのようすを、データでとらえてみよう。1955年に実施された「社会階層移動全国調査」(1955年SSM調査)という調査では、1885年から1935年までに生まれた男性を対象に、それまでのすべての職歴・経歴を尋ねている。

このデータを用いれば、人々の人生の道のりを1年刻みで明らかにできる。そこで、これら6つの階級・階層へ新たに加わった人数が全体に占める比率(これを入移動率という)を1年ごと計算し、グラフ化したのが図1である。

それぞれへ移動した人の数を積み上げているから、グラフの上の縁は、なんらかの移動をした人々の比率(全移動率)を示すことになる。

全移動率は、日中戦争が始まった1937年に急上昇し、太平洋戦争の始まった1941年にはさらに上昇して、1945年にピークを迎えるが、以後は急速に低下していく。ピーク時の全移動率は0.168。つまり全男性の6人に1人が移動したことになる。

内訳をみると、まず1937年に応召率、1937年から1938年に労働者階級入移動率が急上昇し、いずれも1942年まで高水準を保つ。後者は軍需工場などへの徴用・動員を示している。

しかし1943年と1944年には応召率が極端に上昇し、そのあおりで労働者階級入移動率など各階級の入移動率が低下して、自営業者入移動率はほぼゼロとなる。

1945年になると復員のため各階級の入移動率、とくに農民層入移動率が急上昇し、自営業者層入移動率も前例のない水準に達する。

戦争、そして敗戦によって地位や職を失った人々が、故郷の農家に戻ったり、あるいは都会のヤミ市などで新たに商売をはじめたからである。労働者階級入移動率もかなり大きいが、その多くは戦地から工場へ戻った人々である。

また資本家階級入移動率も前例のない高水準を示しており、戦後の混乱のなかで起業した人々が多かったことをうかがわせる。1949年になると各階級への入移動が沈静化して、ほぼ日中戦争開戦前の水準に戻る。

■戦争は弱者を殺す

このように戦争は、多くの人々から職業や地位を奪い、移動を余儀なくさせた。

しかし、もといた地位によって、事情は違っていた。そもそも、徴兵率には階級による違いがあった。

同じデータによると、徴兵対象となる年齢層の人々のなかで、一度でも兵役を経験した人々の比率は27%だが、これを1935年時点の所属階級別にみると、資本家階級22%、新中間階級21%、労働者階級34%、自営業者層19%、農民層22%だった。

つまり兵役経験率は、所属階級によって最大で2倍近くも違っていて、労働者階級はとくに徴兵されやすかったのである。

だから戦争は、とくに労働者階級の人生に大きく影響した。職業的キャリアを断ち切られることが多かったからである。そのなかには当然、戦争によって人生そのものを断ち切られることも含まれる。

1965年SSM調査では、回答者の兄弟全員について、自分との年齢差、学歴、職業、そしてすでに死亡している場合には死亡時の年齢を尋ねている。これを用いれば、所属していた階級別の死亡率を時期ごとに算出することができる。

これを示したのが、図2である。生存率と、主に戦死・戦災死と考えられる戦中期(1937〜45年)の死亡率については、数字を付しておいた。

労働者階級の生存率は74.9%で、きわだって低い。そして戦中死が14.6%と、他を大きく上回っている。戦争は、必ず弱者を殺す。今日への教訓である。

【格差社会論の決定版】日本社会はいかにして、現在のようなかたちになったのか