渋谷暴動事件 大坂正明
渋谷暴動事件(しぶやぼうどうじけん)とは1971年11月14日に日本の東京・渋谷において発生した暴動事件。当時21歳の警察官が殉職した。大坂正明 渋谷暴動事件 事件概要
1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキ(11・10ゼネストまたは沖縄ゼネスト)に呼応して渋谷・四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生ら約400人が1971年11月14日 、渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶等で襲撃。中核派の学生らが規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の中村恒雄巡査(当時21歳)を鉄パイプで殴打した後、大坂正明が火炎瓶を投擲。中村巡査は翌15日午後9時25分に死亡した。他3人が重傷を負った。警察はこの事件のデモ隊を指揮した委員長松尾真を逮捕、大坂と星野文昭・荒川碩哉・奥深山幸男ら中核派の学生7人を犯人と特定し、その内大坂以外の星野・荒川・奥深山ら6人が1975年8月までに逮捕・起訴された。1987年7月に星野に無期懲役、荒川に懲役13年が確定した(荒川は2000年7月満期出所)。大坂のみが現在も逃亡中で、殺人・放火・傷害・凶器準備集合・公務執行妨害容疑で指名手配されている1971年の事件の国内逃亡犯に対して公訴時効(殺人罪は当時15年)が成立せずに指名手配されているのは、共犯の奥深山が一審懲役15年で控訴中の1981年に精神疾患のために公判停止になっており、共犯者の公判中を理由に刑事訴訟法254条2項の規定で公訴時効が停止していたほか、2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃されたためである。
奥深山の支援者などの弁護側は公判停止の長期化は迅速な裁判を侵害しているとして免訴を求めていたが、検察側は病状安定後の公判再開を目指していた。なお奥深山は2010年1月に「病状安定」の鑑定結果が出ており、今後における公判再開の見込みが報じられていた。他に星野が冤罪を主張し再審請求を行なっている。
また、2012年3月に警視庁公安部が東京都立川市の中核派秘密アジトへ家宅捜索で押収した暗号文書を解読した結果、逃亡中の大坂正明は中核派革命軍のメンバーであり、2012年2月まで別の秘密アジトに潜伏していたことや群馬県内の病院で治療を受けていたことが報道された。
2016年1月には、大坂が2007年から2008年夏頃まで東京都北区の賃貸マンションにある中核派の非公然アジトに潜伏していた可能性があることが分かった。
2016年11月1日から捜査特別報奨金対象事件となり、大坂の逮捕に繋がる情報に300万円の懸賞金がかけられた。また前述の立川の秘密アジトで発見された文書について捜査を進めた結果、大坂の逃亡を支援していたグループのリーダー格の男の逮捕状を警視庁公安部が取っていたことが判明した。
2017年2月7日、公判停止中の奥深山が入院先の群馬県内の病院で死亡した。
2017年5月22日、大阪府警が広島県内で公務執行妨害容疑で逮捕した男が大坂正明容疑者の可能性があることが22日、捜査関係者への取材で分かった。府警などが確認を進めている<渋谷・警察官殺害>全国指名手配の「中核派」大坂容疑者か
大坂正明
氏名:大坂正明生年月日:1949年9月29日
出身地:北海道
身長:178cm位
体格:やせ型
頭髪:ややウェーブ
特徴:面長・色白・やや猫背・右目下に1〜2針縫った跡・左目下に小豆大の傷跡・近視