宅間守の生涯【附属池田小事件 宅間守】

附属池田小事件 宅間守
次々に血に染まる白い制服、校舎を逃げ惑う子供たちの悲鳴、泣き声……。8日午前、大阪府池田市緑丘の大阪教育大教育学部付属池田小学校が、刃物を持った男に襲われた事件は、わずか15分の間に児童ら8人が刺殺される惨事となった。叫ぶような校内放送が流れ、校庭へ逃げだす子供たち。血まみれで動かない児童を抱きかかえる教師。負傷者が運び込まれた病院では必死の治療が続き、父母らはわが子の無事をひたすら祈った。宅間守の犯行時は、悲鳴、パニック、無言の凶行
惨劇は突然起きた。「知らんおっちゃんが教室に入ってきた」。約15分間の無言の凶行。格闘の末、先生が男を取り押さえたが、8人の尊く幼い命が奪われた。悲鳴と泣き声で、教室はパニックとなった―。午前10時15分。学校では2時間目の授業が終わろうとしていた。1〜2年生6クラスが並ぶ三階建て校舎の一階。北側は廊下、南側は校庭に面している。宅間容疑者(37)は通用門に車を止めた。金色に染めた髪、白いシャツに緑のネクタイ。校庭を横切り校舎東端の2年東組に包丁を持って乱入した。
「給食の人かな」。ある男児はそう思ったが、すぐに「違う」と考え直した。出刃包丁に気付いたからだ。「『ハァ、ハァ』と息が荒かった」と別の男児。佐藤裕之教諭(36)が「外に逃げろっ」と大声を出した。悲鳴を上げ走りだす児童たち。男は無言で、逃げ惑って転んだ児童を襲った。教諭がいすを投げつけ、男は校庭側のテラスに。4人が重軽傷を負った。
次いで隣の2年西組。包丁の赤い血の色が岩崎真季教諭(28)の目に飛び込んだ。児童が次々に刺され、8人が死傷した。
最も多い5人が犠牲になった、その隣の2年南組。既に休み時間で、教師の姿はなかった。そこを襲われた。「馬乗りで刺したとみられる傷もあった」と治療に当たった医師。
「包丁で刺してる」。助けを求める児童の声に、花壇に水をまいていた担任の河上洋介教諭(27)は教室に向かった。佐藤教諭と田辺義朗教諭(28)が懸命に男に追いすがるが、田辺教諭は刺され大けがをした。
無人だった2教室を飛ばし、男は西端の1年南組へ。音楽室で授業を終え、惨劇を知らないまま児童は教室に戻ろうとしていた。男児の1人は「教室に入ると、友達が倒れ『痛い、痛い』と泣いていた」。床は血の海。「入っちゃ駄目。逃げなさい」。先生の声に夢中で飛び出した。
背中を切られながらも、同教室内で河上教諭が包丁を持つ宅間容疑者の右手をつかんだ。顔を切られながらの格闘。矢野克巳副校長(43)が加勢し、包丁を取り上げ足を押さえつけた。10時25分ごろのこと。ふっと同容疑者の力が抜け、「しんどい、しんどい」と2回つぶやいた。凶行の間に、副校長らが耳にした同容疑者の唯一の言葉だった。

小さな命を奪った 宅間守
木曽友香ちゃん(7つ) 将来の夢は花屋さん。自宅の庭のミニトマトやナスの世話をしていた。7月の塾の合宿を楽しみにしていた。昨年の合宿で食べ過ぎて体調を崩したので、「今度は注意する」とかわいらしく話していた。最近、一輪車に乗れるようになったのをとても喜んでいた。塚本花菜ちゃん(7つ) お母さんに付き添って華道教室に通い「花が大好きで、わたしもいつか華道を習いたい」と話していた。母親といつも手をつないだり、一緒に縄跳びをしたり、゛お母さんっ子″だった。
本郷優希ちゃん(7つ) お絵かきが大好きで、幼稚園の卒園アルバムには、花に囲まれた自分の似顔絵をフェルトペンで一生懸命かいた。似顔絵の横に「お花屋さんになりたい」。
森脇綾乃ちゃん(7つ) 毎週、体操の教室に通い、トランポリンや鉄棒を練習していた。音楽教室にも通い、友達と励まし合いながら7月の電子ピアノの試験に向けて頑張っていた。自分も小さいのに、頑張って2歳の妹を抱き上げ、ぐずる様子を母親に楽しそうに話した。
酒井麻希ちゃん(7つ) プールの帰りに近所の小さい子にあめをあげたり、面倒見のいい、優しくてしっかりした子だった。パソコンが得意で、同級生にお絵かきソフトの使い方を教えてあげた。友達と一輪車を競い合っていた。
猪阪真宥子ちゃん(7つ) 12月のピアノの発表会に向けてメヌエット(舞曲)の練習を始めたばかりだった。以前の発表会で頭に白い大きなリボンを付けておめかしした。夏休みにユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に遊びに行くのを楽しみにしていた。
山下玲奈ちゃん(8つ) 歌が大好きで、宇多田ヒカルさんの歌を全部歌えた。単身赴任の父親に電子メールで「(ハワイ旅行の)チケット取れたんだって。とってもうれしい。ぱぱちゃまの大好きな玲奈」と送った。家族でUSJに行った時は「急流下りが楽しかった」。
戸塚健大君(6つ) 生まれた時は人より小さかったが、健康に大きく育った。友達とよく鬼ごっこしたり、一緒にふざけあっていた。駆けっこがとても速いし、サッカーも得意。昆虫好きで、カブトムシを育てるのに夢中だった。「何をやっても上手で器用」と評判だった。
―全ては叶わない夢、永遠の夢へと化した―
人を不幸にする性格の宅間守
「息子が事件をおこす前兆はありました。20歳のころに病院の屋上から飛び降りて死にかけたんです。あのとき死んどってくれたら、今回の事件はおこてへん。ワシは当時、家内と話しとったんや。『このまま死んどってくれたほうが苦労せんとにな』って」宅間守容疑者の年老いた父親は、凶行から8時間たった6月8日夜、兵庫県内の自宅で報道機関の質問に淡々と語り始めた。
「そのとき守は精神病院に入院しとったんですが、4階建ての建物の屋上から、金網の柵を乗り越えてふらっと飛び降りた。ところが、運良く下のガレージの屋根がクッションになって助かった。そのまま命を永らえたから、今日の結果になってしもうたんや。ワシの悪い予感があたってしもうた」
宅間容疑者は精神病院を退院後、他人の車を傷つけるという事件を起こした。
「自分が運転しているとき、対向車のヘッドライトが上向きになっていて、ギラギラまぶしかったらしい。それに怒って相手の車を追いかけて、殴り合いのケンカをしよったんです。守は持ち合わせていたキリ(工具)で、相手の車の天井をべコベコにした。もちろん警察沙汰になった。ワシは異常な話やなと思ったから、精神病院に引っ張っていって入院させてくれと頼んだんです。けど、あかなんだ」
父親によると、そんな宅間容疑者が始めて警察に逮捕されたのは、この「べコベコ事件」の2年後のことだという。
「あの野郎が警察の検問を突破して逃げよったんです。警察がパトカーで追いかけてくると、阪神高速を猛スピードで逆走して逃げたんや。そのときは一応逮捕されたけど、結局、何の処罰も受けなんだ」
粗暴な性格は何もこのころに始まったものではなかった。中学生時代の同級生はこう語っている。
「昔からあいつは、生きてるもんを殺すのが好きやったんや。ほら、教室とかに虫がでたりするでしょう。あいつは先頭にたって殺しよったわ。いつだか体育祭の練習のときにヘビがでてな。みんなが悲鳴あげよるのに一人でせっせと捕まえよる。女生徒が『カッコええ』って冗談半分に言うと気を良くしたんかしらんけど、今度はヘビの頭の部分をギュッと締めよった。バキバキって音がしてヘビは死によった。周りのみんなは引いとったな」

宅間守の生涯【略歴】附属池田小事件 宅間守
1963年11月 兵庫県伊丹市で生まれる。81年 3月 兵庫県立尼崎工業高校を中退、ガソリンスタンドに勤務する。
81年11月 航空自衛隊に入隊、小牧基地第一輸送航空隊に配属される。
83年 2月 本人の意思で除隊。
85年から 婦女暴行事件で有罪判決、3年間服役。
90年 6月 Aさんと結婚。
90年 9月 Aさんと離婚。
90年10月 Bさんと結婚。
93年 7月 伊丹市交通局に採用。
94年 9月 Bさんと離婚。
95年 5月 同僚とけんか、訓告処分。
95年11月 市バス清掃係の女性と養子縁組。
96年 8月 女性客に対して暴言、減給処分。
97年 1月 市バス清掃係の女性との養子縁組を解消。
97年 3月 Cさんと結婚。
98年 4月 伊丹市立池尻小学校の技能員に移動。
98年 6月 Cさんと離婚。
98年 8月 Cさんに復縁を迫って殴り、逮捕。
98年10月 Dさんと結婚。
99年 3月 薬物混入事件で逮捕、同時にDさんと離婚。
99年 4月 薬物事件について精神障害を理由に不起訴、その後、5月まで措置入院。
伊丹市から分限免職処分。
99年 5月 自己破産を申請。
99年 9月 元養母宅への住居侵入で逮捕されるも精神障害を理由に不起訴、その後、措置入院。
99年12月 Cさんとの離婚無効確認訴訟を起こす。
2000年 9月 タクシー会社に入社、タクシードライバーとして勤務。
00年10月 ホテル従業員の注意に腹を立て暴行、逮捕。
タクシー会社を解雇。
01年 1月 元養母を相手に損害賠償訴訟を起こす。
大阪小学校児童殺傷事件 吉岡守(旧姓 宅間)